2010.8.20(金)快晴
昨日自転車旅行中の最も暑い日の話題を書いたが、実はその翌日の長野市から安代温泉に向かった20日も暑かった。旅行中二度ばかし体調を崩したことがあったが、この日がその一つであった。中野あたりでふらふらしてきて、渋温泉への登りなどいつ倒れるかの状態であった。安代温泉の超熱い湯に浸かったら治ったのでびっくりである。今年も同様にどうも今日が最高らしい。残暑とは怖ろしいものである。
猛暑のせいで読書が進む、代わりに野外の作業はストップしたままだ。
「東国の古代」産鉄族オオ氏の軌跡(柴田弘武著)崙書房発行1990年第四刷、定価803円、購入価600円。
柴田氏は「鉄と俘囚の古代史」の著者で、別所地名の研究者である。綾部市星原町の別所、岼地名を調べていたら、おお野という地名が出てきたので、オオ氏に関係があるかもと思い読んだわけである。大野という地名はあちこちに沢山あり、岐阜県大野郡、福井県大野市など自転車旅行中近隣を通過した。大分県豊後大野市などもあるが、日本地名ルーツ辞典というあまりにお粗末な辞典ではすべて字のとおり大きな野と解している。航空写真で見ても特別大きな野ではないので別の意味があるのではないかと思っている。ただ、元々の大野という地名が出たところがどこか調べないと何とも言えないのだが。星原町のおお野が大きい野原とは解せない。地図で見る限りユリ地形に突き出た小さな尾根の末端部分である。別所の隣にあるので気になった次第である。オオ氏は蝦夷に所縁のある安倍氏のような氏族かなあと思っていたら、逆で蝦夷を討伐した側の氏族のようだ。星原町のおお野がオオ氏と関連あるようには思えない。
オオ氏が装飾古墳と深い関係があることが解った。自転車旅行の際、宮城県大崎市三本木の山畑装飾古墳を訪れている。ここは装飾古墳の最北端ということだが、資料館は休日で見学できなかった。装飾古墳のなんたるかも知らなかったが、4年後の今、改めて知ることとなった。
山畑装飾古墳、最北端の装飾古墳だ。
オオ氏も九州の出自で大和に東進し、ついには東国を支配するわけだが、その背景に産鉄の氏族であるということが大きく影響している。そしてその軌跡に多くの”オオ”地名を残している。雨読で紹介はしていないのだが、「日本の地名」谷川健一著でも古代多氏の足跡という項で多氏について記述している。装飾古墳についても北九州に多く存在していることに注目されている。谷川氏の言うところの物部氏、邪馬台国の東遷とオオ氏の東遷とどのように関わりがあるのかと想像が膨らむところである。
表紙の装飾古墳の連続三角紋は蛇のウロコを表しているそうだ。
【作業日誌 8/20】
藤棚用材料のペンキ塗り
薪割り
今日のじょん:人間も夏バテだがじょんも最近ボケている。おとーが車で帰ってきたり、外で作業していたりすると吠えることがあるのだ。「こらっおとーやないかい」と言いながら部屋に入って面と合わせてもまだ吠えている。ボケとんかい。
写真は散歩を待っているところ。