晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

訂正 猪鼻峠 8/23

2010-08-23 | 山・峠

2010.8.23(月)快晴

 昨日小唐内の奥の峠を調べていたら、「上林探訪小唐内他」(2010.8.19)でとんでもない誤りをしていることに気づいた。府道1号線の川上に越す峠は猪鼻峠ではなくて永谷坂峠と言うのが正当であることだ。Img_1228

永谷坂峠、「?是西丹波國何鹿郡」と書いてある。


 以前に寛政十一年丹波國地図を見たときだろうか、猪鼻峠の文字を見つけ、思いこんでしまったようだ。「北山の峠」(金久昌業著)の地図でよく確認すると確かに府道よりは三国岳よりにあり、小唐内から関屋に越える峠が猪鼻峠であることが解った。2万5千分の1地図で見ると三国岳から南東に545mのピークがあり、更に南東にある乗越が猪鼻峠である。更に南東に尾根を辿ると、市茅野から上がってくる道がある。この道もやがては猪鼻峠の道に合流し関屋に下るわけだが、この峠を坪坂峠という。
 
「丹波の上林へゆくには、佐分利の河上、宝尾村をへて上林谷へゆく」と、津田一助『稚狭考』は述べる(『小浜市史資料編第一巻』[1971]175頁)。とMyあやべにある。つまり上林から川上に行くには当初は小唐内、市茅野から国境稜線に取り付き、宝尾峠に到る尾根を下り、宝尾村から川上に向かったのだと思う。府県道1号線のある現在、なぜそんな遠回りでしんどい道を通ったかと思いがちだが、道には発展過程というものがある。道というものは稜線、尾根上に始まり、時代と共に高度を下げて、ついには川筋につくものだそうだ。それは道の作製上の都合と保全上の問題であり、当初は徒歩に限られていたものが牛馬、荷車となり、ついにはモータリゼーションの発現となる使用状況の問題もある。私がこのことを思い知ったのはもう20年ほど前のことだろうか、廃村八丁を訪れたときであった。MTBの会の例会で、コシキ峠を越えトチヤナギ谷の出合いにMTBを置き、トラゴシ峠を廃村八丁に向かった。MTBも置いていかなければ行けないようなこの道はコシキ峠から鴨瀬谷山の尾根を通り、八丁村と上弓削を結ぶ幹線道路であり、八丁大道と呼ばれていた。この尾根伝いの道は今やそう使われていないにもかかわらず、随分しっかりしていて、初心者を連れていた私も何も不安を感じることはなかった。八丁村を巡った後、帰路は八丁川沿いにトチヤナギ谷出合いに向かった。この道はMTBでも荷車でも通行可能な広さであったが、馬場谷の出合いを過ぎたあたりから河川の浸食のためずたずたに崩壊しており、道としての面影はなかった。尾根沿いの道は生活道路として過去から使われており、川沿いの道は多分木材の運搬のためだろう、道作りと管理の技術が進んだ後の時代に出来上がったものと考えられる。
 寛政十一年の丹波國地図では猪鼻峠も永谷坂峠も記されている。ただし川上村に向かうのは永谷坂峠と強木村から越える尼公峠のようだ。というのは地図が写しのため確認できないでいる。上記「稚狭考」の文書がいつの時代のものなのか解らないのだが、宝尾峠に向かう尾根上の道が当初の道だとするならば、その尾根の派生する474mのピークに向かって猪鼻峠或いは坪坂峠から国境稜線を東進するか、永谷坂峠から国境稜線を北進することとなる。Img_1229

国境稜線を三国岳に向かう道。



【作業日誌 8/23】
畑ネット回収
草刈り七回目追加

今日のじょん:朝のぽんぽこぽんが妙に元気だ。温度計を見ると26℃、やっぱり涼しくなっている。暑さに弱い犬だけに気温のちょっとした差で行動がうんと違うもんだ。ところが陽が上がって午後ともなると、いつものバテバテじょんになってしまう。Img_1256
あつ~。

コメント
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