2010.8.22(日)快晴
昨晩公民館で納涼祭の打ち上げがあった。とりとめのない話をしていたら、納涼祭はいつごろできたんかいなと言う話となった。予想通り盆踊りが無くなって納涼祭になってきたようだ。もう20年ぐらいなるんかなあと言われていたが定かではない。かつての盆踊りは現在ゲートボール場になっているところで行われていたらしく、櫓を組んで福知山音頭が踊られていたそうだ。私の田舎でも福知山音頭が踊られていて、憶えているのは小学校の時代だから、20年どころの話じゃない。太鼓の囃子も踊りも練習するわけで無いのにいきなりよくできるなあと思っていた。私の父親は風采の上がらない人だったが、太鼓だけは上手くて櫓の上でねじりはちまきで得意げに叩いていたのを憶えている。他所から人を集めて楽しませる新しいイベントがどんどん出来ているが、自分たちが楽しめるイベントを作らないと意味がないのじゃないか。
自転車旅行中は8月8日の芦原温泉湯まつりと14日の木曽福島の花火大会に遭遇した。
上林の歴史を考えるとき、この細長い地域は上流と下流でかなり文化的に違いがあるのではないだろうか。綾部市史では上林をひとくくりにしてあるので解らないが、奥上林村誌、中上林村誌などを見ているとそういう風に感じる。特に奥上林などは若狭、近江などの影響が強いようだ。言葉なども若狭弁が多く使われている。同様に中上林でも畑口川流域は丹後とのつながりが多いようである。塩や海産物は当然この地方から入ってくるだろうし、大丹生や水嶋などの姓は丹後からの移住者だろう。同じく上林には一軒も残っていない上林姓が舞鶴にあるのも興味深いところではある。
小唐内の谷(奥から望む)この谷のツメが猪鼻峠らしくて、先日の府道1号の峠は猪鼻峠ではないようだ。このことについては明日。
中上林の下流域や口上林では、山家、八田そして綾部方面の影響があろうと想像する。ただ通婚圏というのは少なくとも今の世代の人については、上林内というのが圧倒的に多く、若狭から、丹後から、或いは北桑田から嫁に来たというのはそう聞かない。ただしこれは年配の方のはなしで、若い人については通婚圏を云々する意味は無い。
というわけで、上林を研究するには若狭や丹後の歴史文化も研究しなければならない。最近若狭に行くことがあったので特に気になる地名などもあった。青葉山、青鄕、青、青戸、青井、泊、蒼島などなど、海人族や蝦夷を思わせる地名もある。特に三方周辺は縄文文化の香りもするし、砂鉄浜も良質のものが得られるそうである。上林から山ひとつ越えればそこは大陸、半島につながる海である。山国の印象が強い上林だが実はこれらの海の文化の影響が強いのではと思っている。
【作業日誌 8/22】
草刈り7回目
今日のじょん:人間はすっかり夏バテしているがじょんもとっくに夏バテ状態だ。昨日は草食べて吐いていた。今朝もちょっと涼しいかなと張り切っていたが、帰ってくるとぐったりしている。なちゃけ無いシリーズ写真も簡単に撮れる。それでも食事はそれなりに摂れているので涼しくなれば元気になるだろう。