晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(54) 丸山とイモリ村 5/26

2011-05-27 | 歴史・民俗

2011.5.26(木)曇

 その山を写真で初めて見たときははっとした。雪の小唐内の谷の奥に海坊主のようにぬっと現れているその山容は、この山には何かあると思わせる偉容である。渡辺さんに戴いたこの写真はいつも私の机の前に置いてある。古代のこの地の人々もこうして毎日眺めていたのだろう、それは否が応でも眼に入る山である。Img_2228
 
これが渡辺さんに戴いた丸山の写真。


 国土地理院の2万5千分の一地形図を見ると三国岳の南東、胡麻峠の東に545mの国境稜線上のピークがある。これが大唐内、小唐内でいうところの丸山である。
 京都新聞だったろうか、サンドラ岩、サントウ山の記事を見た憶えがある。その時はその山が三国岳(616,4m)のことだろうと思っていた。名前も有名だし、高さも充分である。ところがサンドラ岩について調べるうちに、また大唐内の方々に聞き取りなどするうちに、この地図上名前も着いていない小ピークが実は重要な山であることに気づいた。写真を見て益々この山に魅入られることとなった。
 しかしこの写真を見る以前に小唐内も市茅野も訪れているのだ。しかしこの山に気づくことはなかった。人間の目というものは意識があって初めてものを見るのだと言うことをつくづく知らされた。Img_2734
 
4月15日丸山に登る。


 まず一番にこの山について思ったことは、古代の住人にとって宗教的な存在ではなかったかということだ。古代人にとって山は聖なるものであり、また葬送の場でもある。特にその形が重要視され、各地にある神奈備山とは将にその山容が円錐形の美しい形である。神聖なところと葬送の場というのは現在の感覚で言うと相反するように思いがちだが、もともとは葬送の場、祖霊の眠る場というのが神聖な場所であり、後々神社などになっていると考えて良いだろう。古墳が神社になっている例を見れば納得がいくかもしれない。
 サンドラ岩は桟俵(さんだわら)、つまり俵の蓋の部分を表すという。
Img_2851
サンドラ岩。

この桟俵が下鴨神社の流し雛神事に使われていることをご存じだろうか。各地の流し雛にも使われており、精霊流しにも使われている。この地でもお盆の送りには、お供え物や胡瓜やナスでこしらえた馬などを桐の葉に乗せて送っていたが、かつては桟俵を使用していたこともあったそうだ。そのいわれはよく解らないのだが、桟俵がこの世とあの世を繋ぐ船の役目をしていると考えて良いのではないだろうか。その桟俵、実は火山岩の節理なんだが、丸山の山頂近くにあるわけだから昔の人々が、この山に他界感を感じても不思議ではないと思うわけである。つづく

今日のじょん:一日おとーと留守番していたら、おかーがいくみちゃん連れてきた。もうひこひこ。Img_2972
 

コメント
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