2011.7.13(水)晴
「京都・滋賀 古代地名を歩くⅡ」吉田金彦著に和束町の湯舟、犬打の地名について書かれており、この地が鉱山地帯であったこと、そのことに因む地名が多いことなどが書かれている。その例としてユ・イ(湯舟、湯谷、射場)などを挙げ、かつてマンガン鉱山のあった猪谷(いのたに)についても同様として次の著述がある。
これら鉱山地名に関連して出てくる地名に、イヌ・イノ・イナがある。猪谷マンガン鉱がその一つであるが、湯舟射場から滋賀県信楽町の朝宮に出る峠も「猪鼻峠(いのはなとうげ)」という。採掘場で人が事故で亡くなったり、峠から人が去ってゆくので、イヌ(去)の名があるのかとも思うが(猪谷・猪鼻)、それだけでは片付けられない。
確かにこの地は古代からの鉱山地帯であり、戦後もマンガン鉱は掘られていた。別所地名もあるし、金谷、鋳物師川などそれらしい地名は沢山ある。しかしそれら総てが鉱山に因む地名というのは無理があるし、猪谷・猪鼻がイヌ(去る)から来ているというのは説得力に欠ける。それでは各地にある猪鼻地名の説明が付かないと思うのだ。そういう意味で「それだけでは片付けられない」という言い方をされているのだろうか。
猪鼻峠とは湯舟射場から信楽町の朝宮に出る峠と記されているが地図で確認することが出来ない。宇治田原から信楽に抜ける国道307号線の協和ゴルフクラブの東西どちらかの道かと思うのだが、ゴルフをしているときは何度も通ったあたりだが今となってはちょいと調べに行く訳にもいかない。
気になるのはやはりこの地も金属関連地域だということだ。それは猪鼻が金属関連地名ということではなくて、同じような地域に同じ地名が存在することがあるということだ。例えば「イノハナ」が水の湧く岩壁、あるいは尾根の末端という意味であるとしよう。そういう地形の所に「イノハナ」という地名が、遠く離れていても同じように付くというのは、不思議なことである。今日のように情報が全国同時に拡がるという時代ではないのだ。地名には製造年月日が打ってない。地名辞典などには最初に文献に現れた年代を記しているが、それはその年代以前にその地名があったというだけのもので、地名発祥の新旧を比較できるものではない。
私はある地名が発祥して次々と広まるのは、職業集団や開拓を続ける部族や渡来人というような集団が移動しながらその地名を付けていくのが元来の状態なのだろうと考える。同じ地名でもその付けられた時代は移っていると云うことだ。もちろん地名の意味が固定され、情報として広まると一般的な地名は全国に広まり定着するのだろうが、希少な地名や特殊な地名は文化的に共通した地域に同一地名として残存するのではないだろうか。そういう風に考えると地名によって文化の伝播経路、その地域の産業や特色などを探ることが可能になってくる。
猪鼻峠の次は胡麻峠である。南丹市の日吉町胡麻を調べることで何かわかるかもしれない。つづく
【作業日誌 7/13】
看板ニス塗装2回目表
トマト収穫
やっと赤くなったトマト、ナスと胡瓜は食傷気味。
今日のじょん:自動車で出かけるときは一応連れてってもらえるかもと期待するみたいだ。おかーの買い物に連れてってもらえずにいじけているところ。