2012.4.14(土)曇、雨 災害地名
「とちぎの地名」一九八九年初版、「とちぎの地名を探る」一九九六年初版の二冊の本がある。わたしは後者のみ保有しているが、著者は塙静夫氏という考古学者である。考古学者として遺跡の発掘などで栃木県の各地をめぐってこられた氏が一九八六年八月の集中豪雨の被害を目の当たりにして、地名と災害の関係を研究されることになったそうである。つまりその災害の際に、古代人の居住地は被災していない、あるいは崩壊、崩崖地名のところなどは高い確率で被災しているということに着目されたのが発端であるらしい。
災害地名に関する書物はいくつか目にしているが、この塙氏の書物が一番信頼できる。その理由は地名の由来について偏りがないことだ。地名の研究者というのはなぜか一つの思考で地名の総てを解読しようという傾向がある。例えば地形説なら何でもかんでも地形に基づくものとする傾向、言語にしても総てをアイヌ語で解読しようとしたり、何々語で総てを解読しようという傾向である。
地名というのはもともと人間が生活に必要とする場所やところに付けた符号のようなものだから、それは地形だけでは無いはずだ。言葉だって、極東の日本には北方から半島から大陸から南方の島々からあらゆる人種と文化が流入している。地名の語源を一つの言語で解読できるはずが無い。そういう意味で語源のジャンルにしても言語にしても偏りのある論文、書物は信頼が置けない。塙氏は災害地名として地形を主に書いておられるが、考え方は柔軟で他の分野での考察もされている。そういう意味で信頼を置いている一冊だ。
雨読2010.9.7~8参照
話がそれてしまった感があるが、災害と地名について相関関係があるとは思っているが、地名というのは変遷もあるし、多様な意味も含んでいるので一概に災害地名いわゆる崩壊、崩崖地名、浸水地名などであっても必ずしもそこが災害に遭うとか、遭いやすいとかは言えないのではという風に考えている。
例えば志古田の大栗であるが、「刳る(くる)」という動詞から来た「土地をえぐる=土砂崩れ」というような意味でとらえていて、実際に大規模な土砂崩れが起こっており、地滑り地形ともなっているのだが、忠(ただ)の大栗はどうもそのような地形では無さそうだ。上林川の流域なので、川の流れが岸を削っているのかなと思いきや、それらしい様子も無い。流域が変わっているかもと明治二六年の地図を見てもその部分での川の流れは素直なものである。大栗というのには大きな岩という意味もありそうだ。しかしその場所に大きな岩は存在しないようだ。 このようにみると忠の大栗には地滑り、土砂崩れの危険性は少ないように思える。つづく
左岸の細長い部分が大栗、崩崖地形とは思えない。
今日のじょん:食が細くなって体重が減ってないか心配している。心配なら測ったらどうかということで、よっこらじょんと体重計に乗ってみる。18,4Kg、問題なし、あまり心配することもないようだ。それよりおとーの体重が増え気味でやばそー。
背後霊じょん、御飯の時に背後霊のように寄り添ってねだる。回数が増えると段々距離をとって座るのが面白い。