2012.4.19(木)晴
大飯原発の再稼働に関する問題が連日クローズアップされている。30Kmちょい圏内の我が家としても態度をあきらかにする必要があろうかと筆を執る。
京都、滋賀両知事が提出した七条項共同提言が話題を呼んでいる。
その前文はこうだ。
「日本で原子力災害を二度と起こしてはならない
京都と滋賀は大飯原発で事故が起きれば、立地自治体同様大きな被害を受け
る「被害地元」
原発の安全性と再稼働の必要性について、国民への説明は不十分で、理解は
得られていない」
というものである。一見妥当な意見と思われるのだが、原発の安全性云々という 箇所は政府の再稼働ありきの論理に同調しているものである。
つまり原発に安全性があり、それを国民に十分に説明していないじゃないかという理論だからだ。原発を語るとき、原発の安全性は今のところ無いという明らかなことから話を始めないといけない。
再稼働の必要性とは最需要期の夏期に供給電力が足りるかどうかということであろう。ここのところについて関電側があやふやな数字を出すものだから紛糾しているわけである。なぜあやふやな数字が出るのだろう。過去の使用電力の統計と火力発電等の供給電力を比較すれば簡単に明確な数字が出るはずである。それが出ないのは、節電の努力如何によっては供給可能であるということでは無いだろうか。
そうであるとしたら、再稼働が不可能になるということでは無くて原発の存在そのものが矛盾することになるからだ。なぜなら、総ての原発が停止しても需要電力が賄えるとなれば、一体原発って何だったのだということになるからだ。
関電と政府の本音はどんどん電力を使ってもらいたい、しかしそうすれば電力は不足する、だから原発の再稼働をして欲しい、ということではないだろうか。原発無しで節電されて夏を乗り切られても利潤は出ないし、営々と培ってきた大きな利権が消滅してしまうと言う身勝手な都合があるのではないか。つづく
【作業日誌 4/19】
草刈り(1/3)
今日のじょん:朝の散歩はコゴミ採り。じょんには興味無いかも知れないが、夜は美味しくいただきやした。