2016.1.14(木)晴
サーノ博士のヒーリング・バックペインを読む-3
「概念からいっても、理学療法の処方は、われわれが発見した唯一理にかなった方法に矛盾する。われわれは、痛みを発生させている本当の場所は心だと教えることで解決しようとしているのだ。さらに、理学療法を全面的に信頼し、プラシーボ効果を得ている例があることも明らかにはなったが、この場合の痛みは遅かれ早かれ再発する。痛みや治癒に関する構造的説明をすべて否定するのが原則であり、この原則に従わなければ症状はいつまでもつづくことになる。マニピュレーション、温熱療法、マッサージ、運動療法、鍼治療などはいずれも理学的な手段で治療可能な身体の疾患を前提としている。この考え方全体を否定しない限り、痛みもその他の症状も消えることはない。大抵の患者は、これまで背中や腰にいいと教えられてきた運動療法やストレッチの中止を提案されると驚いてしまう。しかし、心がTMSの本質を確実に理解するためには、身体に対する治療の中止は不可欠である。もちろん、健康維持のための運動は別の話で、こちらは大いにお勧めする。」
なんともショッキングな内容である。なにか宗教的、神秘的な雰囲気さえ感じるのである。これらの療法をやっている限り、心の問題だということに気付かないのだろうか、しっかり理解したということにならないのだろうか。
わたしがこれらの療法を続けているのは少し違った見方をしているからだ。慢性痛が脳の作用で起きていたとして、その痛みを感じる患部は如何なる状態にあるのだろう。器質の異常は無いだろうが、生理的変化は起きていると思うのだ。サーノ氏もTMSは痛みを伴う筋肉の生理的変化と言っているし、痛みの原因は軽い酸素不足だと言っている。これは単純に考えて「凝り」ではないのだろうか。このことはどの本を読んでも書かれていないのだが、「凝り」とすれば酸素不足というのも肯ける。もしそうだとすると、筋肉内では凝り→酸素不足→痛み→凝りの悪循環が繰り返される。脳内の問題が解決しても筋肉内ではこの循環が繰り返されるので、理学療法でこの循環を断ち切るのは理にかなった治療法なのではないだろうか。例えプラシーボ効果であっても脳内の問題が解決されれば痛みは永遠に消えることとなる。
また、これらの理学療法がすべて身体に対する療法とは思えない。温泉に入るのは悪いところを治そうということよりも心も身体もリラックスしようというものである。ストレッチだって痛みを取ろう、凝りをほぐそうとするのではなく、気持ちよさを感じるためではないか。それが心に抑圧された不快な感情、身体の痛み以外の第三極(快楽、落ち着いた感情)を生み出すのではないかと密かに考えている。
運動療法も同様である。谷川先生推奨の腰、肩、膝の運動もその箇所の凝りをほぐし、筋肉を付け痛みを消すというのが目的でないことはやっていれば解ることである。もちろん相乗効果、おまけとしてそういうこともあるだろうが、本来は「脳の習性を変えるべく行動すること」なのだろう。
まだまだいっぱい紹介したいことはあるのだが、きりが無いのでこのあたりで終了しておこう。なお、この本は舞鶴市立東図書館からお借りしたものである。おわり