晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

新聞は面白い 6/14

2010-06-15 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.14(月)曇

 倉庫を整理していたら、新聞切り抜きのスクラップブックが8冊出てきた。その時々に新聞の興味ある記事を切り抜いていたのだが、さりとて後で読み返すこともない。そのくせ後でおいとけば良かったなあと思うこともしばしある。やっぱり切り抜きを保存しておこうか。切り抜きをしてもスクラップブックに貼らないといつか無くしてしまうものだ。
 先日京都新聞社の方々と会う機会があったので、その際に聞いたことなんだけど、近年新聞の購読数がかなり減少傾向だということだ。かつては全国紙と地方紙の両方を購読している家庭も多かったが、経済状態の悪化によって、一紙のみとする家庭が増えているが、そういうことではなく、新聞そのものを購読しない傾向が拡がっているということだ。新聞そのものに興味が無い、購読料がもったいないというのも多いそうだが、インターネットの普及によって新聞は不要だという考えも増えているそうだ。確かにニュースはテレビやインターネットで充分に知ることが出来る。実際に私自身も新聞のニュース欄など読むことはない。既に知っていることばかりだからだ。
 しかし新聞の真の値打ちは今やニュースではない。例えば讀賣新聞の今日の紙面を見ると国際、経済、文化、環境、スポーツ、歌壇・俳壇、家計、家庭、科学、小説などニュース以外の記事、あるいはニュースの解説といった記事がある。これら一方的に毎日送られる情報こそ新聞の値打ちではないだろうか。
 今まで読んだ新聞は、毎日、朝日、日経、産経、赤旗、京都、讀賣、あやべ市民新聞、京都民報である。はじめておぼえたひらがなは新聞で、「きんぴらごぼう」という味の素の宣伝であった。これは小学校に入る前であり、小学校3,4年頃だろうか、早稲田大学山岳部の連載記事を読んで、アルピニズムというものに憧れた。強烈な印象があるのは、ベトナム戦争初期の僧侶の焼身自殺である。戦争の意味など何もわからなくて、新聞記事を見てなんでそのようなことが起こるのか不思議であった。ベトナム戦争の終結、いわゆるハノイ陥落は大学時代で、その時のニュースはもっぱらテレビであった。Img_4739
 小屋の中からスクラップブックがでてきた。

 現在は讀賣新聞を購読している。別にジャイアンツのファンと言うわけでないし、社の思想的傾向も好きではない。ただ、記事としては面白いし、読みやすい。今一番気に入っているのは、「古里こんな王国」という記事である。各都道府県の意外な日本一を紹介しているのだが、その内容が面白い。
 6月8日の記事は新潟県で、神社の数が日本一ということだ。これだけなら低俗なクイズ番組でもやってることだが、その理由が、明治の後半に行われた神社の統廃合である合祀政策に県が消極的であったこと、明治時代には人口も日本一だったということである。神社の数は新潟、兵庫、福岡、愛知、岐阜の順だそうだが、明治時代の人口(明治21年)は新潟、兵庫、愛知、東京という順だそうだ。これって眼から鱗って感じだ。
 今日の主役は鹿児島県で、金の産出日本一という記事だ。菱刈鉱山という鉱山が年間7.5トンを産出し、日本のほぼすべての産出をまかなっていると言うことだ。佐渡金山が400年かかって掘った金を12年で産出したという驚異的な数字だ。金属について勉強しているつもりでも、今現実に起こっていることを知らないもんだ。こういう新聞の情報は何時、どんな分野で、どんな内容で出てくるか解らない。インターネットのようにこちらから要求する情報でなくて、何が出てくるか解らないおもちゃ箱のような情報がとても楽しく思える今日この頃である。Img_4738

興味ある記事は切り抜きに。
村上さんの持ってきてくれる京都新聞の記事も面白い。

【作業日誌 6/14】
ドッグランど柵作り(5柵目)
木小屋増築(桟渡し)
材料の塗装

今日のじょん:メーとサチが遊びに来た。メーはしょっちゅう来るので仲良しになってきたが、サチは久しぶりなので吠えられていた。ドッグランどが出来たら毎日来てよね。Img_4735 Img_4737
最近はメーの方が積極的、サチはおひさしぶりこちゃん。

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究極のメニュー 「ちりめん山椒」 6/13

2010-06-13 | 食・レシピ

2010.6.13(日)雨

 じょんのび究極のメニューシリーズで自慢が出来るというのか、まともなものは今のところ梅干しと柚子大根とちりめん山椒である。このうち最も歴史があるのはちりめん山椒だ。といっても3回目の作製だが、梅干しは今年は不作で作れないし、柚子大根は昨年一回作っただけだ。
 最初に作ったちりめん山椒はべちょっとしてしかも塩っぽいという欠点があった。昨年はその反省を活かし、ちりめんじゃこの塩抜きをしっかりして、水分を少なく、しかも天日干しをするなどの工夫をし、ほぼ完璧に仕上がった。私は超辛くて、唇のしびれるようなのが好きなので、ゆであがり後の冷水さらしを短くして超辛に仕上げたが、他の人びとには人気が悪かった。今年はややマイルドに仕上げるべく、さらしの時間を一時間としたが、山椒の辛みはどうもそれだけで決まるようでもないようだ。更にいいものをつくろうと、レシピを色々探ってみる。
 わりかし単純な調理だけにまあレシピも千差万別だ。それぞれにうんちくが書いてあって、なるほどなあと思わせる反面どうすればいいのか迷ってしまう。例えば最初の山椒のゆで時間でも、一分以上は絶対駄目というのもあれば、しっかりゆであげるというのもある。どちらも根拠が示されていないので判断のしようがない。ちりめんが高価なだけに失敗は許されない。結局無難に昨年までのレシピに基づいて作ることとする。

【材料】
山椒の実 大さじ8杯
濃口醤油 大さじ6杯
みりん   大さじ3杯
縮緬じゃこ  140g
酒       適当

山椒の実は中身が少し堅くなっていて、黒っぽくなっている。収穫時期が少し遅いようだ。自前で採れるようにならないとこの調節は難しい。昨年までは濃口と薄口を半々に使ったが、薄口醤油が無かったため濃口だけになってしまった。塩気は少なくなるだろうが、色合いは濃いものになりそうだ。みりんはよく見たらみりん風味調味料であった。これはみりんとは全然違うもので、合成の調味料である。本みりんを買うように言ったら、「高いもん」と一蹴された。一度原材料を見て欲しい。
 酒は料理酒というのが購入してあった。酒を飲まない家ならともかく、料理酒をわざわざ買う方が不経済と思うのだが、、、。しかし、安物の、あるいは偽物の材料で旨く作るのが究極の調理人なのかもしれない。

(1)山椒の葉っぱや枝をとる。今回は手でとったが、残った山椒は冷凍して簡単に取れる方法を試しているので、うまくいけば来年はその方法を紹介したい。

(2)ほぐした実を5分ゆで、冷水に一時間さらす。ここのところの時間加減がいろいろあるようだ。

(3)ちりめんじゃこは熱湯をとうして塩気を抜き、汚れを落とす。しっかり塩気を抜いた方がよろしい。

(4)鍋にじゃこを入れ、1/3の水を入れ酒を適当に足す。じゃこをほぐしながら水気が無くなるまでゆでる。じゃこの形が崩れないように注意する。

(5)水気が無くなったら、先程の醤油を入れて弱火で炊きあげる。しっかりしょうゆがしみこんだら、みりんを入れてこくを出す。

(6)再度水気が無くなったら、山椒を入れて混ぜる。水気が無くなったら、笊にあげて天日干しする。Img_4720




(7)好みの問題だが、私は硬くてカリッとしたのが良いので半日ぐらい干す。あとは瓶に詰めて終了。いただきます。Img_4730

京都の老舗なら何万円としそうな量のちりめん山椒が千円以下で出来上がる。二ヶ月ぐらいは楽しめそうだ。

今日のじょん:メーパパが「じょんは情けない顔をさしたら日本一やなあ」などと妙なほめ方をするもんだから、人の息子に失礼なことを言うもんだと思いつつも、なるほど情けない顔しとるなあと感心したりする。記事がないときに情けない顔シリーズでも出しとこう。2010.4.18、ベランダで日向ぼっこ。
Img_4309

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ストーブ始末記 6/12 

2010-06-13 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.12(土)晴

  天気の良いのも今日までということなので、ストーブ関係の掃除とメンテナンスを行う。といっても昨日からやり始めていることで、二日がかりでやっと完了という仕事となった。煙突掃除とストーブの掃除は毎年やらなければならない、まあ一種の年中行事みたいなもんだが、煙突上部の塗料が剥がれかかっており、余分な作業がかかってしまった。Img_4715
 
降ろした煙突、微妙な剥がれが気になる。


 設置してから二年で少し塗料が剥げてしまった。ステンレス製の煙突なので腐食等の問題はないが、ステンレスの地金色がでているので目立ってみっともない。屋根に上がって下見をする。煙突はバンドを外せば簡単に取り外せるので問題ないが、結構重いので屋根から降ろすのが大変そうだ。煙突掃除だけなら降ろす必要はないが、塗装作業が必要なので降ろす必要がある。
 転落したら大変なので、ヘルメットをかぶり、ハーネスを着け、ザイルで自己確保することとする。小物を入れるのにチョーク袋をぶら下げて、正味岩登りのスタイルとなる。岩登りの用具がここまで役に立つとは思わなかった。Img_4716 Img_4723
 
煙突土台にセルフビレイ、なつかしい岩登りスタイル。


 ザイルの端に煙突をくくりつけてそろりそろりと降ろし、掃除をして、スプレーの耐熱塗料で塗装する。ここまでが昨日の作業。
 今日は煙突ブラシでいわゆる煙突掃除をする。昨年は下からやったが、上からやる方が簡単で、部屋に埃が立たないのでやりやすい。ブラシのサイズがやや小さいようで、来年はもう少し大きいサイズを用意したい。しっかり乾いた塗装済みの煙突を持ち上げて取り付ける。昨日同様安全第一で取り組む、昨日のようにビールは飲んでいない。ここまでで作業の半分が終わる。
 続いてストーブに繋がっている煙突を持ち上げ、ストーブの取り付け口附近にたまったススをスプーンですくって取り除く。昨年は煙突から直接ゴミ袋に入れたので、どのくらいの量のススが出たか解らなかったが、今年は瓶に溜めていったのでその量が解った。瓶に2杯が今年のススで、思ったより少なかった。あとは二次燃焼室附近のススを掃除機で吸い込むのだが、うまく吸い込めない。次回までにホースを使ってくまなく掃除できるような装置を工夫したい。Img_4725
Img_4728
煙突を持ち上げて溜まったススを掻き出す。 



 ストーブ内部の掃除はあまりきれいにしてはいけない。全体にある程度灰を残しておくことが大切。灰はアルカリ性で鉄の腐食を防ぐわけだ。特に多湿の上林では鉄の腐食は想像以上だ。ストーブの外側は、灰汁できれいに拭いて、うっすらと油引きしておく。ストーブやさんに行くとそういったオイルやクリームがあるかと思うのだが、妙に高価で手が出ない。
 ガラスの部分は使用中は灰汁だけで掃除しているが、どうしても落ちない端の汚れなどをクレンザー状の洗剤を使って落とす。これはガラスを傷つけるので、しょっちゅうやってはいけない。Img_4726
Img_4727  一次燃焼室には灰を残すこと、ガラスと外周を掃除して終了。

 余った耐熱塗料で煙突の傷や錆の浮いているストーブガードなどを塗装して、午前中で作業終了、ストーブ君ご苦労さん、また冬になったら頑張ってと感謝する。

 【作業日誌 6/12】
ストーブメンテナンス
トマト剪定
ドッグランど
木小屋増築
ちりめん山椒作製


今日のじょん:虫々ころころ、じょんじょんじょん。
日中の暑さが30℃を超えると虫の出現もぐんと増える。どこから入ってくるのか家の中でも我が物顔だ。これに対してじょんがいちいち反応するものだから、うるさくて仕方がない。虫がいることを知らせるのに生きがいを感じているのか、仕事だと思っているのか、「虫ぐらいで騒ぐんじゃねえ」と言ってもどうにもならない。

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雨読 続「白鳥伝説(上)」 6/11

2010-06-13 | 雨読

2010.6.11(金)晴

 神話の解読と地名の比定だけで、物部氏の東遷、邪馬台国の東遷、物部ナガスネヒコ連合軍と邪馬台国の激戦を語られても、どうも納得がいかない。それは私の神話に対する理解力と文章の理解力が無いからだろう。「白鳥伝説」を理解するには、谷川氏の他の書物を読んでいないと理解できないのかもしれない。今本書の他に「青銅の神の足跡」「鍛冶屋の母」「日本の地名」続・日本の地名」を所有している。既に読了したのは「日本の地名」だけで、特に「青銅の神の足跡」を読む必要があるようだ。Img_4731
 理解できないまま読み進んできたが、疑問に思っていたことのひとつが、物部氏は邪馬台国はなぜ東遷したのかということである。北九州の地でそれなりに栄えていた両国が、おおきなリスクを背負って東遷しなければならない理由とは一体何だろう。私はかつて、人類には移動、移転しなければならないDNAが組み込まれていて、そうすることによって進化発展するのだという抽象的な意見をもっていた。(2010.4.3参照)根底にそういうものがあったとしても、やはり具体的なやむにやまれぬ事情があっただろうと考えるのが普通だろう。この上巻の最後に、寺沢薫氏の論文を借りて次のように述べている。「前文略、また大和(とりわけ東南部)の重要性は生産力にあるのではなく、大和が認識された日本列島の中央にあたるという位置的環境と、続いて顕在化する東国支配への基盤として最適であるという交通上の重要性にあるものと考える。従って纒向遺跡の性格もこの点において評価されねばならない。」谷川氏もこういう考え方をされていることのようだ。もちろんこういう理由で東遷しただろうという証拠はないし、永久に具体的な証拠など出てこないと思う。
 私は邪馬台国東遷の理由は、資源と防衛だと思っている。根拠も証拠もない、ただの当てずっぽうだが、邪馬台国の首長になったつもりで考えてみるとそうなるわけだ。資源とは金属である。農業生産性を飛躍的に上げる鉄製農具と武器としての鉄器は今後の集団の消長をうらなう大きなファクターだし、西に向かえば海となる九州ではその増産を望めない。東に供給路を求めるのは当然だし、ここで気になるのは狗奴国のことである。本書では狗奴国と和解し、東遷したとあるが、東遷したのは邪馬台国に勝利した狗奴国であるという説もあるようだ。いずれにしても狗奴国は九州の中央構造線上にあり、中央構造線の存在を認識していたのではなかろうか。
 もう一つの防衛というのは、大陸もしくは半島に対する防衛である。2007年4月6日、自転車旅行で吉野ヶ里遺跡を昼頃に出発し、東背振トンネルを越えて4時頃には博多に着いていた。
Img_3992
山ひとつ越えれば玄界灘、こりゃゲンカイダナ。

つまり筑紫平野までは山ひとつで攻め入ることが出来るのである。大和なら、九州に上陸しても、日本海側の沿岸に上陸しても、相当の山越をしなければならない。大陸や半島からの防衛という意味では最適の地と言えるだろう。下巻に期待して、今回はここまでとしよう。

【作業日誌 6/11】
廃材引き取り、釘抜き
木小屋増築(沓石モルタル張り)Img_4713





今日のじょん:じょん語録(50)ぽんぽこジャンプ
ぽんぽこぽんのバリエーションでここんとこ毎日やっている。ボールを咥えて二つの関門を飛び越えてかえってくる芸。わりかし簡単にこなしている。Img_4695  

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雨読 白鳥伝説(上) 6/10 

2010-06-12 | 雨読

2010.6.10(木)快晴

 快晴なのに雨読は変なんだが、とりあえず読み終えたということで、書くこととする。「白鳥伝説」谷川健一著、集英社文庫1988年出版、定価400円、購入価1,000円。文庫本の古本で定価以上、それも定価の倍以上の値段で購入した本は珍しい。下巻を先に163円で購入し、上巻もそのくらいとよんでいたらいつまでたっても1,000円から下がらない。それどころか出展数も少なくなって、やむなく1,000円で購入したものだ。上下巻に分かれていない単行本がオークションで1、200円で出されており、大失敗だ。この本不思議と数も少なく、値段も高いのだ。なにかみみっちい話をしているように思われるだろうが、古本の値段というのはなかなか奥が深いものがあって、なぜか本当に読んでみたいという本は高くなっている。逆にどうでも良いような本は極端に安い傾向があるが、人それぞれの指向というか要求があるのでこのことは意外と不思議なことだと思う。私にとって読書欲をそそるこの本が、万人にとって果たして読みたい本であるのか、疑問ではあるのだが。Img_4718
 この本の読みたいという源泉は、物部、白鳥、蝦夷、邪馬台国の東遷である。物部は綾部市内にあるし、白鳥は舞鶴に白鳥街道というのがある。蝦夷については、もともと西日本にも居住していたというような説らしいので興味が沸いたわけだ。先般「鉄と俘囚の古代史」の中で別所地名に関する疑問を呈していた。(2010.4.7参照)別所に蝦夷の俘囚が住まわされたとなると、畿内の文化とは違った文化、独特の地名が残るはずなのに、どうも見あたらないようだというのが私の疑問である。しかしもともと、蝦夷の人間がそこいら中に住み着いていたとしたら、改めて東国から連れてこられたとしても、それは異文化にはならないだろうというのが私の推理である。蝦夷というのは征服した側の呼び名なので、自らはそうは名乗らないだろうから、エビスとかエビス谷等という地名が別所に無くても当然である。Img_4649
 
小畑町別所はこの谷の奥、もう一ヶ所小字別所もあるようだ。


 さてこの本の要旨は、物部氏が筑紫から大和に東遷し、続いて狗奴国と和解した邪馬台国が大和に東遷し、物部、ナガスネヒコ連合軍と激戦の末、大和に定着するというものである。タイトルの優しさに比して、内容はすこぶる難しい。記紀をはじめとする神話の解釈、地名の比定からこの説を展開されており、神名に弱い私などちんぷんかんぷんである。それでも「古代の鉄と神々」以来、神様の勉強はさせて貰ったが、まだまだというところだ。つづく

【作業日誌 6/10】
山椒のへた取りImg_4706

これって大変なのだが、冷凍して手でもんだら簡単に取れるそうだ、さっそく冷凍してみる。

今日のじょん:じょんの一番のお友だちはジロー、最近トラブルが多いジローだが、元気でおってよ。Img_4709 Img_4710

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じょんのびアラカルト 6/9

2010-06-11 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.9(水)快晴

 梅雨前のカラッとした晴天が続いている。日本海側では年中の内、最も快適な気候なのではないか。朝夕は随分寒く寝具も冬のままだ。近頃のじょんのび村の様子をお知らせしよう。
(1)バラのアーチ
 かみさん自慢の黄色いバラがきれいに咲いている。よくぞここまで咲いたかと思うぐらい沢山ひらいた。今日あたりではもう盛りを過ぎていると思うが、遠目にはよく映るようで、この花を確かめたくて立ち寄られるお客さまもたまにあるようだ。私は花の美しさよりも香りに驚いている。花の香ってあんまり好きじゃなかったのだけれど、アーチをくぐるときのバラの香りって、とてもいいもんだ。「バラの香りのニュービーズ」なんてCMがあったけど、本当に素敵な香りである。Img_4686 Img_4687




(2)キュウリの一番果収穫
 一番最初の実は10~15cmぐらいの小さな内に収穫することが、その後の収穫によい影響を与えるそうだ。早速一本収穫し、もろきゅうにしていただく。昨年、放任キュウリを作っていたら、化け物キュウリが実ったのが8月29日だから、今年は随分順調だ。一夏なり続けるよう頑張ってみよう。Img_4685




(3)実ものはさっぱり
 今年は梅肉エキスを大量に作るべく気合いを入れていたが、梅の出来がさっぱりで数個成っていた実も先日の風ですっかり落果して、皆無となってしまった。春の低温で全国的に不作のようで、綾部の産地和木でも、日本の名産南高梅も不作の様子だ。梅肉エキスは無駄が多いというか、大量の原料が必要なので、無尽蔵に手に入るときしか作れない。今年は諦めて、来年に期待しよう。実ものはすべて不作なんかなあと思っていたら、メーパパが山椒が豊作なので採りにおいでと言ってくれた。棘に気をつけながらチマチマ採っていたら、ばっさり木を切ってくれた。軽トラに積んで持って帰る、こんな豪快な収穫もあるんだ。ちなみに我が家の山椒は2粒のみの貴重な収穫である。Img_4705

こういう収穫方法もあるわけだ。


(4)大正解木陰の繋ぎ場
 先日メーのために作った古いザイルの繋ぎ場所が威力を発揮している。自然の暮らしの大先輩、新田君の山羊が綱が絡まって死んでしまったというのを聞いて、工夫したもので、我ながら良くできていると思う。しかも桐の木の大木の下で、炎天の日でも涼しく過ごせる。メーだけでなくジローももちろんじょんも楽しんでいる。Img_4703 Img_4707

地中からザイルが直接出ているので絡まらない。

今日のじょん:本文に登場なのでお休み。

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続・マムシの真実 6/8

2010-06-10 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.8(火)曇一時雨

  マムシは蛇なのに何でマムシなんだろう、そういえば”蝮”と書くなあ。マムシの語源を調べてみると、虫の中の虫、最も虫らしい虫だから真虫という説とハミムシ(咬むムシ)が訛ってマムシとなったという説があった。でもどうして虫なんだろう。普通虫といえば昆虫を考えてしまう。そんな時、武田鉄矢の漢字の話をテレビでやっていて、虫偏のことが語られていた。虫とは蛇のようにぐにゃぐにゃとした生き物を形取った象形文字ということだった。なるほど、虫は本来蛇を表すわけだ。そういえば爬虫類というなあと感心していた。そうなるとマムシの語源はハミムシ説が信憑性があるように思えるのだが、、、。(ハミについてはハメ考、2010.5.10、11参照)
 虫といえば中上林、五津合町に睦志というところがある。かつては虫村と呼ばれ、鎌倉権五郎伝説の若宮神社がある。鎌倉権五郎が虫退治をしたといういわれがあるが、これは付会であろう。勇猛果敢な武士が虫退治とはいかにもそぐわない。むしろ片目の権五郎が金属関連地域に祀られていることに注視すべきだろう。虫は昆虫の虫ではなく蛇の虫ではないかと思っている。蛇信仰が鉱山や冶金と関連することは知られているところである。Img_1210
 若宮神社由緒

 与謝野町温江虫本に大虫神社という神社がある。谷川健一氏は「日本の地名」の中で武生市大虫町の大虫神社、名田庄村虫鹿野の皇王神社などと共にウンカやイナゴなど稲の害虫に対する神様という見方をされている。私は温江の大虫神社はもともと池ヶ成の地に小虫神社と共にあったということ、祭神が大己貴命であることなどから、農耕の神様というより金属に関する神社であると思っている。池ヶ成はいわゆる大江山連峰の稜線からすぐのところにあり、温江と違って田園地帯とは言い難い。大江山の河守鉱山の北側に当たり、戦前ニッケル鉱山として隆盛を極めた蛇紋岩地帯の一部ではなかろうか。温江自体も古代の鉄精錬の地として知られ、大虫神社が金属の採鉱、冶金の神様として存在してもおかしくないと思うのである。若尾五雄氏は、武生の大虫神社によせて、水銀の蒸留法の大蒸しから来ているのではないかとも言われている。銅の精錬に於いても蒸しという行程はあるようだ。いずれにしても金属に関連あるものとしたら、虫は蛇につながるかも知れない。このことは調査研究も不十分なので、いづれ「睦志のこと」として記述してみたいと考えている。完

今日のじょん:じょんのシャンプー日、体重は18Kg、200gづつ増えている。ちょうどいいくらいの体重と思う。いくら食べてもいい、それだけの運動をしてやろう。
午後はキャドックさんに混合ワクチンの接種に行く。考えてみればじょんに明け暮れた定休日だ。注射終わってなんとなくルンルン。Img_4688  

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マムシの真実 6/7

2010-06-08 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.7(月)曇

 「念道橋のたもとにはマムシがおるで」と地元の人に聞いた。私が見たのはアオダイショウの幼蛇だった。2年前だったら、「やっぱりマムシがいた」ということになってるだろうが、はっきりとマムシでないことが解る。それは昨年のマムシ騒動があって、何かと調べてはじめて解ったことである。(2009.5.12参照)50数年生きてきてはじめて知ったことだけに私自身も驚きを感じた。アオダイショウの幼蛇は模様がマムシそっくりなのだ。違うところと言えば、頭が三角でないこと、胴体が細いこと、逃げ足が速いことぐらいかな。
 今朝も念道橋の手前の坊獣用のネットにヘビがぶら下げてあった。畑の作業中にマムシと思って殺して吊り下げられたのかなと思うが、あれはマムシではない、アオダイショウの幼蛇だ。長年上林で暮らしている人でも、両者の区別のつかない人はいるんじゃないだろうか。Img_2373

これはマムシではなく、アオダイショウの幼蛇だ。


 マムシは卵胎生といって、卵を胎内で孵化させて小蛇を生むことは皆が知っていることと思う。ところがあちこちで聞くことは、「マムシは秋口に子供を口から産むので、子供が毒に当たらないよう牙を抜くために咬むんやで」というものである。私の故郷でも同じように言われていた。かなり全国的にこの説は流れているようだ。しかしこれは迷信で、落ち着いて考えればあり得ないことが解る。生殖器官で孵化した小蛇がどうして消化器官から出てこられるだろう。落語の蛇含草でも解るように、蛇の消化力は相当と思われる。どうしてそんなところを小蛇が通ってこれようか。牙の毒どころじゃないだろう。口ではなくて尻尾のつけ根にある総排泄肛という、まあお尻みたいなところから出産するわけだ。晩夏から秋にかけての時期は交尾、出産の時期であり、興奮状態のため咬まれる事故が多いため、このような迷信が流布するのではないか。
 もう一つマムシについてよく言われることが、山椒の臭いがするとか茗荷の臭いがするとか言われていることだ。私も聞いたことがあるが、この真偽は解らない。よく山に行っているとき、山中で山椒の臭いがすることがあった。「マムシがいるぞ」なんて言い合っていたが、今思えば山椒の有る山でしかその臭いはしなかった。その多くは比良山系だった。マムシがいたのではなくて、山椒があったということではないか。
Img_4638
畑の向こうに我が家の山椒が見えている。触ると凄い臭いがする。

要するに山椒や茗荷の育つ、湿気の多いところに居やすいということではないか。なんでもジャガイモの皮をむいたところの臭いとか、ゴキブリの糞、あるいはゴキブリを潰したような臭いがするという説もあるそうだ。ここまでくるとちょっと怪しい感もする。つづく

【作業日誌 6/7】
第二木小屋増築作業(梁渡し)
草刈り(今年度三回目)

今日のじょん:ご飯を待っているときはフェンスにあごを乗せて独特のポーズをする。上目遣いになるのでなんとも情けない顔になり、これがまた一段と哀愁があってよろしい。Img_4677

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真面目に夏野菜 6/6

2010-06-07 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.6(日)曇

 二王公園まつりで朝から府道は大賑わい。今年は絶好の天気で参加者の方々は大喜びだろう。店の方も帰りの人がポツポツと立ち寄っていただき、イベントのおかげさまである。まつり開催中は暇なんで畑仕事にいそしむ。というのは昨年夏野菜なんて簡単と思い、野放しの栽培をしたら、キュウリもトマトもナスもジャングルのように生い茂り、味覚収量ともに情けない結果だったから、今年こそ真面目に取り組もうとしているわけだ。大体昨夏のナスったら、ちっとも実らず、やっと小さな実が着いたと思ったら、石みたいに硬くて、味は最低だった。キュウリと言えば、ちっとも成らないで諦めかけた頃ヘチマみたいな化け物キュウリが出来たりして、その後は数本採れただけ。トマトは昔ながらの青臭いのが出来て良かったのだが、ジャングルのように茂って、実は小さく、収量は少なかった。これひとえに野菜の管理が出来てないものと反省し、今年は「やさい畑」という雑誌の夏野菜特集を買ってきて、基本から徹底的に勉強して、いいものを作りたいと思っている。Img_4680
 
ナスは第一果の下2本を伸ばして3本仕立てにする予定。追肥1回済み。


 苗は普通の安物の苗だが、施肥や株間など本の通りやって、下はすべてマルチでやることにした。虫はなるべく殺虫剤を使うことなく手で捕っているが、アブラムシなどは天然系の殺虫剤を使っている。天候が遅れ気味で生育が悪いが、毛虫の発生は少ない。代わりにテントウムシの類の虫が多く、ナス、キュウリは結構やられている。これは捕獲が難しいのが難点だ。Img_4679

キュウリは下5節までのわき芽は全部かき、それ以降は2節で摘芯する。第一果は10cmぐらいになっている。追肥1回済み。


Img_4678  
トマトはわき芽をすべてかいてスッキリ支立てようとしていたが、先日の大風で一本が折れてしまい予定が狂ってきた。というのは、折れた先を挿しておいたら着いてしまったのだ。新しい苗を一本植えたので、3本のところに5本植わることとなり、折れた株の方も主枝がどれだか解らず変なことになっている。


 夏野菜栽培のポイントはやはり剪定だと思う。冬の大根や白菜などと違って、放っておけば幾らでも伸びてくる。わき芽かき、摘芯、仕立てがポイントか。昨年はそのいずれもやってないのだから、今年は真面目にやって、うまい野菜を食うぞ。

【作業日誌 6/6】
夏野菜の世話
第二木小屋の増築(柱立て)

今日のじょん:日曜日はお客さまのお相手が多く、かなり疲れるようだ。仕事が終わると、部屋に入ってぐったりと寝てしまう。もちろんご飯時には起きてくるが、枕をして寝ている様子はなんとなく面白い。Img_4682  

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蛇力 6/5

2010-06-06 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.5(土)晴

 大のヘビ嫌いのN尾さんが蛇に強くなる方法というのを教えてくれた。なんでも蛇の映像を40秒間見つめることができたら、恐怖心が無くなると言うことだ。眼力なんてのがゲームで流行ってるそうだが、蛇力なんてのはこのサイトが世界初だろう。私の秘蔵の映像を提供するので、手元に時計を用意して、是非蛇に強くなっていただきたい。
 ただし、クリックしてアップで見ると、かなり強烈なショックがあるので、真に蛇力の無い方は小さな画像で試していただきたい。
 それでは第1ステップからスタート、Img_2917 Img_2918
昨年夏、北側犬走りに迷い込んだもの、大格闘の末谷に逃げていった。



次に第2ステップImg_2977Img_2978




昨年夏、芝生広場でのショッキングな映像、

第3ステップImg_4483

好きな人にはたまらない映像今年5月、岩王寺を訪れたときのもの。この石垣は岩王寺の硯石でできたもので、それを守るように夫婦の蛇が現れた。

5枚で200秒、これで蛇なんざ怖くも何ともねえ。えっ何、寒気がしてきた?唇が真っ青だぜ、だめだこりゃあ。

【作業日誌 6/5】
花壇の枠完成Img_4681

本当は枕木でやりたいのだが、手に入らないので古材の柱で代用、それなりに絵になるものだ。


今日のじょん:夕方のベランダビヤガーデンが最高の季節となってきた。じょんもこれが大好き、ビールは飲まないが一緒に戴く砂肝、ビスケ、きびなごがたまりませんなあ。

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念道スネークマップ 6/4

2010-06-05 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.4(金)快晴

 上林でたわいもない雑談のネタになるのは猿と蛇である。猿についてはその被害より、仏壇にお詣りしている話や頭の上に乗っかった話など愉快な話、蛇については蛇嫌いの人の面白い話が続出である。私も蛇は苦手だが、さすがに慣れてきたというところである。かみさんは強烈蛇嫌いで、筋金入りである。じょんの散歩など完全装備で長靴、手袋は勿論のこと、堤防などの草道も真ん中を歩いているそうだ。怖くて見ようとしないので、余計どこに出るか、どのように出没するか解らない。そこで私の散歩しているコースのスネークマップを作った。本当は蛇がいるところの写真が臨場感があるのだが、それだと見ないので場所だけにしておく。参考にしていただきたい。じょんと歩くスネークマップのはじまり、はじまり~Img_4665
(1)隣のM井さん宅の下り坂、コンクリートの隙間に巣がある。じょんは毎朝挨拶に行っている。主はシマ公、出没度A。


Img_4667 (2)M井さん宅の石垣、南向きで絶好の日向ぼっこ地、住人はシマ公、出没度A。じょんは目線が合わないので気がつかないみたい。


Img_4668 (3)H多野さん宅の溝、影で涼しいのか時々見かける。出没度C。



Img_4669 (4) K北鉄工の石垣、ここは近くに巣があるようだ。角のところが絶好の日向ぼっこ場所。種類はアオダイショウやったかなあ。出没度C。


Img_4670  (5)F井さんとこの畑の新しい石垣。石垣というのは絶好のすみかのようだ。ところが人が住んでいる家の石垣には少ない。逆に畑の石垣とか、空き家の石垣にはしっかり居住している。やはり外敵の少ないところが選ばれるのだろう。出没度C。
Img_4671 (6)念道橋にいたる、鋪装の割れ目。子供のシマ公がいる。いつも首だけ出しており、じょんが行くとスーッと引っ込む。出没度A。


Img_4673 (7)念道橋たもと。マムシがいるでと言われたが、アオダイショウの子供を一度見ただけである。紋はマムシと同様である。ただ、頭は細く、すばしこかった。出没度D。

まあ充分注意してちょうだいか。

今日のじょんは、本文に登場のためお休みだワン。

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雨読 地名の研究(2) 6/3

2010-06-05 | 雨読

2010.6.3(木)晴

 縦貫道無料化の文句を言ったら首相が退陣してしまった。で、一体この話はどうなるのだろう。振り出しに戻る、となるのだろうか。どっちにしても無責任じゃないの。
 さて、雨読の話に戻るが、柳田国男氏は明治8年の生まれということで、文体はかなり難解である。格調が高すぎて今の人間には理解しにくいと言うこともあるが、回りくどい感を受けるのも確かである。そういう意味で読破するには時間もかかるし、理解するには何度も読み返さなければならない。日本民俗学の父と言われる柳田氏に対する賞賛と批判は多くあるが、史学における文献史料主義というものを批判し、民間伝承や伝説など従来は学問的には無視されていた分野から歴史や民俗を解明しようという姿勢は大いに賞賛されるべきだろう。批判については様々あるようだが、私は農耕文化至上主義でも言おうか、稲作農耕以外の文化について無視されているという部分が最も大きいと思う。これは本書の記事にも現れており、金属地名である、金子屋敷、多々羅という地名という項もかなり貧弱な文章である。
 しかし、地名に関する考察とフィールドワークはさすがに大御所という感があって、全面的に信頼できる。特にこの種の文章については、信頼感のない受け売り的な文章や、下手をするとオカルトチックなものまで現れる始末なのだが、本書については信頼感充分である。Img_4676

いかにも古本という感じだが、値打ちのある本だ。


 古文書に出てくる吉忠(よしただ)武吉(たけよし)という二つの地名について、いかなる所以があるのだろうかと久しく考えていたところだが、どうにもヒントが沸いてこない。本書の五、開墾と地名という項に、「多くの名が開墾者の名前をかぶせて呼ばるることである。中略。最も流行したのは久・延・吉・則・貞・利・元・友・充・宗などの好字、国・末(季)というのもあれば福・冨・得(徳)などという縁起を祝ったものものもある。これらの文字を二つずつ合わせたのが荘園盛時の身分の低い武士の名であったらしい。」とある。なるほど人の名前から来ている地名だとしたら、いくら地形や方言などを探しても見あたらないはずだ。ちなみに吉忠は現在の忠町、武吉は武吉町に比定される。Img_3338 Img_3340
 



左:上林川から忠町 右:武吉町、昨秋の
金刀比羅さんのお祭りは武吉町だった。

 この他数百という地名について考証されているが、開墾、農耕に関する分野が主流である。各地名が索引で紹介してあり、事典としても使えて便利であるが、やはり地名研究の入門書として必読の書であると思う。 完

今日のじょん:蛇と対峙しているじょんの写真を撮ってやろうと、カメラを持ち出す。すると何時もいるところに今日はいない。なんとマーフィーな蛇だろうと感心しながら、せめてその場所でも撮っておこうとカメラを起動すると、電池切れの表示である。なんとマーフィーなカメラだこと。
 

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雨読 地名の研究(1) 6/2

2010-06-03 | 雨読

2010.6.2(水)晴

 角川文庫「地名の研究」柳田国男著昭和49年九版発行定価不明、購入価250円を読み終える。今日まで地名の研究を続けてきたが、それは概ね金属地名に関するもので、そういう一面的な見方はどうも危険なことだと思うようになり、あらゆる分野から地名に関する研究をすべきと、この書を購入した。他にも数冊読む予定だが、地名に関する研究所の元祖であるようなこの本をまず読むこととした。
 金属地名に関して昨年書いたことがあるが、(2009.11.2~11)例えば菅というのは鉄を表す言葉で、上林と舞鶴の間にある菅坂峠の菅は鉄を表すのは正解だと思う。しかし菅と言えば信州の菅平だろうというのが一般的な思いで、私も菅平周辺の地図を眺めてみた。もし菅が鉄を表すなら、周辺に他の金属地名も現れるだろうし、近隣の神社にもその兆候があるだろうと調べてみたわけである。ところが一向にそれらしいものは現れずガックリしていたのである。ところが千曲川を挟んで西には別所温泉がある。Img_0296

自転車旅行でも別所温泉を訪ねたが、当時は別所地名についても鉄の歴史についてもなんの興味もなかった。


  やっぱり鉄に関係があるのかなあと思っていた矢先に、谷有二氏の「山の名前の謎解き事典」という、かなり一般的な本に、氷の一族、「菅平」と「志賀高原」というタイトルの項があった。そういえば、春になればしがこも解けて、という童謡があったっけ。スガ、シガは氷という意味もあるわけだ。ところがこればっかしでは無くて、横須賀、白須賀、須賀川のスガは州処(スカ)、州に面したところという意味だそうだ。菅=鉄と一様に考えるのは錯誤に陥る危険がある。地名の八割は地形的な要因と言われている、その他にも歴史的なもの、宗教的なもの、農林業に関するものなど様々で、それらすべてを勘案しなければならない。そのためには非常に広い分野の知識を得なければならないが、その手始めにこの書を選んだわけである。つづく。
【作業日誌 6/2】
玄関坂の花壇枠作り(古民家の廃材を利用する)Img_4657 Img_4658
チエンソーの修理(起動用のひもが切れた)



左:ついでにチエンソーの掃除もする。 
右:レンガ敷きはかみさんの作品。左側の花壇に枠を作る予定。

今日のじょん:今朝もシマ公が日向ぼっこしている。頭を穴に突っ込んでいるので、尻尾をツンツンしてやったら、全体が出てきて尻尾を震わせ、やたら挑戦的だ。じょんも負けずににらみ合いを続けている。じょんに巻き付いてもかなわないので、退散する。明日は棒きれを用意して、ひどい目に合わせてやる。なーじょん。


 

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無料とちゃうんかい 6/1

2010-06-02 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.1(火)晴、にわか雨

 おふくろのケアハウス入所が決まり、引越の荷物を長岡京に取りに行く。京都縦貫道の通行量が無料になると言うので、6月を待って初日に引っ越しすることとなった。ところがニュースでも新聞でも何も言っていない、当初は「6月からこの路線が無料」なーんてマスコミでも大騒ぎしたのに、この静けさはなんなんだ。それでも縦貫道に入ると対向車がやたら多い。やっぱり無料化で多くの人が利用してるんだ、などと勝手な想像をして走る。行けども走れどもなんの表示もない、遂に料金所に来たらいつもどおりの徴収である。「無料になったんとちゃうんかい」「国のお達しが無いので、すみません」「・・・・・・・」
 嘘つき民主党、調子の良いことばかりほざいて、このざまーは一体何だ。それにしてもマスコミはなんだ。いきなり大騒ぎして、その後どういう経過なのか、結果はどうなったのか、最後まで責任持って報道せいよ。
 出来もしないことをホイホイ約束して、知らん顔するのをハトると言うそうだ。どうでも良いけど、とりあえず縦貫道ただにしてくれよなあ。
 高速料金は取られたけれど、引越は無事に終わった。94才になって新しい生活を始めなければならない母親の少しでも力にならなければと思うところだ。Img_4599
Img_4598
部屋は南向きで緑に包まれ、バリアフリーの生活空間なんだが、、、、。


今日のじょん:引越から帰ってきたら、かみさんが買い物に行ってじょんが留守番をしていた。夕立が来て真っ暗になっていたので結構嬉しがっていたが、かみさんが帰ってきたら、大喜びで尻尾もちぎれんばかりだ。Img_4656やっぱ、リーダーはかみさんみたいだ。




ワンタッチの雨具を試着したら、やっぱり固まってしまった。

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開店記念日 5/31

2010-06-01 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.31(月)曇

 今日はカフェじょんのびの2周年記念日、思えば2年前、なんとも不安な気持ちで開店したことか。おかげさまでじょんのびに親しんでいただけるお客さまも増え、決して大金持ちにはなれないが、とりあえず生き延びていることを感謝する次第である。
と言うわけで、6月12日までコーヒーチケット11枚綴り3,000円というサービスを始めた。「そんなんでやっていけるの?」というご意見もあったが、もともとやってけない店なので、まあいいかという気持で、日頃のご愛顧にむくいたい。
 たいそうなことも出来ないし、地元に住む方や上林にお越しの方がくつろぎの時間を過ごしていただければ店を続けている意義があるんかなと思っている。
 今日は究極のじょんのびファームが完成した。完成といっても土を持ってきて、ちょっと耕して、九条ネギの種をばらまいたというだけのもんだが、究極の野菜畑とは手をかけないで野菜が採れるというものである。今流行の自然農法とか不耕起栽培などのポリシーのあるものではない。とにかく面倒なことをしないで野菜を手に入れるだけという言ってみればずぼら農法である。現在、茗荷、青紫蘇、ワケギ、ニンニク、ラッキョウ、玉葱が育っている。何の世話もしていないが、草だけは刈っている。なんでって、谷の横だから蛇の住処になってしまうから。ちなみにじょんのびファームは完璧に世話している畑なので、念のため。今日なんかトマトにトマトーンなんかかけちゃって、一番花を確実に着果させることが後々の収穫に影響するという、雑誌の受け売りに乗っ取った農法である。
 もう一つは四度目のアスパラガスを3本植え付けた。結構難しい野菜もそれなりにこなしているのだが、誰もが簡単と思われる野菜がなぜかうまく行かない。1,2回目のは冬を越して、根が枯れてしまった。三回目のは一本大きく育っているが、越冬が心配。今回のは野菜博士のN尾さんに貰ったものだから、プレッシャーも感じる。Img_4646_2 Img_4647_2 Img_4648_2




左:一昨年植え付けた売れ残りの苗、完璧腐っていた。
中:今回植え付けた苗、3本。
右:昨年植えたもの、一本だけ元気に伸びているが、、、。


【作業日誌 5/31】
アスパラガス植え付け
ネギとゴーヤの播種
木小屋前屋根作製
チエンソー目立て

今日のじょん:隣の家に上がる坂の穴に毎朝シマ公が現れる。いつも追いかけて行くので穴に逃げ込むのだが、いないときでも穴のところを嗅いでいる。かみさんと散歩行くときはやってないみたいだ。
 

 

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