2010.6.14(月)曇
倉庫を整理していたら、新聞切り抜きのスクラップブックが8冊出てきた。その時々に新聞の興味ある記事を切り抜いていたのだが、さりとて後で読み返すこともない。そのくせ後でおいとけば良かったなあと思うこともしばしある。やっぱり切り抜きを保存しておこうか。切り抜きをしてもスクラップブックに貼らないといつか無くしてしまうものだ。
先日京都新聞社の方々と会う機会があったので、その際に聞いたことなんだけど、近年新聞の購読数がかなり減少傾向だということだ。かつては全国紙と地方紙の両方を購読している家庭も多かったが、経済状態の悪化によって、一紙のみとする家庭が増えているが、そういうことではなく、新聞そのものを購読しない傾向が拡がっているということだ。新聞そのものに興味が無い、購読料がもったいないというのも多いそうだが、インターネットの普及によって新聞は不要だという考えも増えているそうだ。確かにニュースはテレビやインターネットで充分に知ることが出来る。実際に私自身も新聞のニュース欄など読むことはない。既に知っていることばかりだからだ。
しかし新聞の真の値打ちは今やニュースではない。例えば讀賣新聞の今日の紙面を見ると国際、経済、文化、環境、スポーツ、歌壇・俳壇、家計、家庭、科学、小説などニュース以外の記事、あるいはニュースの解説といった記事がある。これら一方的に毎日送られる情報こそ新聞の値打ちではないだろうか。
今まで読んだ新聞は、毎日、朝日、日経、産経、赤旗、京都、讀賣、あやべ市民新聞、京都民報である。はじめておぼえたひらがなは新聞で、「きんぴらごぼう」という味の素の宣伝であった。これは小学校に入る前であり、小学校3,4年頃だろうか、早稲田大学山岳部の連載記事を読んで、アルピニズムというものに憧れた。強烈な印象があるのは、ベトナム戦争初期の僧侶の焼身自殺である。戦争の意味など何もわからなくて、新聞記事を見てなんでそのようなことが起こるのか不思議であった。ベトナム戦争の終結、いわゆるハノイ陥落は大学時代で、その時のニュースはもっぱらテレビであった。
小屋の中からスクラップブックがでてきた。
現在は讀賣新聞を購読している。別にジャイアンツのファンと言うわけでないし、社の思想的傾向も好きではない。ただ、記事としては面白いし、読みやすい。今一番気に入っているのは、「古里こんな王国」という記事である。各都道府県の意外な日本一を紹介しているのだが、その内容が面白い。
6月8日の記事は新潟県で、神社の数が日本一ということだ。これだけなら低俗なクイズ番組でもやってることだが、その理由が、明治の後半に行われた神社の統廃合である合祀政策に県が消極的であったこと、明治時代には人口も日本一だったということである。神社の数は新潟、兵庫、福岡、愛知、岐阜の順だそうだが、明治時代の人口(明治21年)は新潟、兵庫、愛知、東京という順だそうだ。これって眼から鱗って感じだ。
今日の主役は鹿児島県で、金の産出日本一という記事だ。菱刈鉱山という鉱山が年間7.5トンを産出し、日本のほぼすべての産出をまかなっていると言うことだ。佐渡金山が400年かかって掘った金を12年で産出したという驚異的な数字だ。金属について勉強しているつもりでも、今現実に起こっていることを知らないもんだ。こういう新聞の情報は何時、どんな分野で、どんな内容で出てくるか解らない。インターネットのようにこちらから要求する情報でなくて、何が出てくるか解らないおもちゃ箱のような情報がとても楽しく思える今日この頃である。
興味ある記事は切り抜きに。
村上さんの持ってきてくれる京都新聞の記事も面白い。
【作業日誌 6/14】
ドッグランど柵作り(5柵目)
木小屋増築(桟渡し)
材料の塗装
今日のじょん:メーとサチが遊びに来た。メーはしょっちゅう来るので仲良しになってきたが、サチは久しぶりなので吠えられていた。ドッグランどが出来たら毎日来てよね。
最近はメーの方が積極的、サチはおひさしぶりこちゃん。