晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

蘭ちゃんは生きていた 5/15

2011-05-15 | 違いのわからん農学士

2011.5.15(日)快晴

 スーちゃんは逝っちゃったけど蘭ちゃんは生きていた。なんのこっちゃって?
昨年土井さんに戴いた鈴蘭が咲いたのだ。すこぶる条件の悪いところに植えたのもあるが、とにかくこの冬の大雪以降すっかり姿も見えず諦めていたのだが、小さな芽を見つけ、刈り取らないように石で囲っていたところ、遂に可憐な花が咲いたのだ。思えばこの鈴蘭、土井さんが北海道旅行で気に入って苗を買ってきたとのこと、寒いところの植物なんだ。Img_2899
 種生姜が土の中で生きていたことを書いたが、雪って結局土の中の植物にとっては保温となっているんだ。土井さんとこの庭みたいにきっと鈴蘭で敷き詰めたようになりそうだ。
 
 雪の中で枯れたのが大柚である。コメリで定価千円の苗木が売れ残って、600円になり300円になり、かわいそうだから買ってきたものなんだが、最初から最後まで雪に埋まって、頭の方から枯れてきた。店頭には新しい苗木が出ている。値段は高いが立派に青々としている。折角だから植え替えてやろうかと、枯れた柚を始末しようとよく見ると、なんと根の近いところから小さな芽が出ているではないか。いやー、生きてるぞ。枯れた部分を切り取って水をやる。柚も頑張ってるナア。Img_2900




 昨年植えて雪にやられたのは二本の百日紅である。支柱をして誘引してやったのだが、大雪が乗って縛った部分で折れてしまった。それでも全体に葉が出てきて、折れた先からも出ている。あらためて支柱を立てて補修してやる。Img_2901
 極めつけは胡瓜である。苗を植えつけた途端に大風が吹き、双葉の上から折れてしまった。新しく買って植え替えるしか無いかなと思っていたところ、新しい芽が出てきてるのだ。昨年のトマトの例もあるが、折れても大丈夫というのが実証された。
 そして取りは自然薯だ。一番北の畝は、ヤーコン、キクイモ、ジャガイモの畝となっている。対イノシシ用にイモ類はまとめてあるのだ。ジャガイモの芽かきなんぞをしていると、妙な蔓が2本伸びている。一昨年植えつけた自然薯のようだ。イノシシならぬアライグマなんぞにやられて散々だったのだが、その種芋かむかごからでてきたようだ。この際まとめて面倒みよう。Img_2903
 それにしても植物たちって根性あるなあ。阪神もちったあ見習えよ。



【作業日誌 5/15】
道具収納棚作り、上部扉完成
玉切り

今日のじょん:じょん君なぜかカメムシや小さな虫には猛烈に吠えるのだが、猿は追うが吠えることはない。先日ナメクジに唸っていたが、ヌートリアには知らん顔していた。決して意気地が無いわけではなさそうだが、いまいち理解できないところがある。写真は12日、散歩で見かけたヌートリア。ワカルカナ。Img_2886

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最高の耳石 5/14 

2011-05-14 | 日記・エッセイ・コラム

2011.5.14(土)快晴

 上林でこれ以上の天気は無いという良い天気となった。暑くも無し、寒くもなし、からっと爽やかな一日だった。こんな日は良いことがあっても良さそうなんだが、刈払機の修理は高くつきそうだし、阪神は相変わらず一点差で負けてるしぱっとしない一日だ。
 救いはといえば、朝のじょん散で見つけた耳石である。といっても耳石(みみいし)というのは一般的でなく、私だけの言葉なのかも知れないが、とにかく穴の開いた石である。世間一般では「穴開き石」と呼んでいるようだ。でも穴開き石というのは情緒がない。敢えて耳石で徹してみよう。
 耳石で記事を書いてきたが、今では朝の十分程の散歩で一個ぐらいが見つかる。それは沢山あるということでなく、見つけるのが上手ということだ。種類は大まかに三種類ほどある。緑色の堆積岩だと思うのだが、中に石英のような成分の部分があり、この部分が溶けやすいというか脆いというか、とにかく穴になるのだ。この種類は赤っぽいのもある。そして一割ぐらいに磁性がある。貫通しているものと貫通はしていないが磁性があるものは保管している。
 
もう一つは砂岩状のもので脆い部分、弱い部分が穴となっている。そしてもう一つが全体もしくはほとんどが石英状のもの、これは穴が開いていても偶然で面白くない。
 板状のもので貫通しているのはいまいち面白くない。球状、塊状でも端の方で隣り合わせた穴がつながっているのは面白くない。大きな塊で、そこそこの穴が開いており、思いも寄らない方向の穴につながっているのが最高である。これは針金などでは確認できない。水を流してみるのが一番である。曲がりくねって貫通しているので紐を通す訳にもいかない。
 今朝の耳石は将にこのような石で、しかも二箇所の貫通があるのだ。二箇所の貫通があるのも初めてである。発見場所は上林川左岸堤防田んぼ側、念道橋100m上流の田んぼに降りる道の上20m程のところである。こんなに詳しく拾った箇所を書いておくのは、同時に鉄滓らしき破片も拾っているからだ。Img_2895 Img_2896
 
上の大きな穴と右下の小穴はつながっている。裏面の右下の二つの小穴は別のつがった穴である。据わりも良くて最高の石である。隣は鉄滓らしき破片。


 あまり形が良く、据わりも良いのでかみさんに頼んで小さな花を植えて貰うことにした。植木鉢よろしく水も穴から抜けるので、これって最高である。

【作業日誌 5/14】
ジャガイモ芽かき
薪割り

今日のじょん:久々にジローがきた。14才とは思えない食いしん坊だ。ユキちゃん事件以来二人の間に怪しげな空気が漂っている。一緒に仲良く遊ぶという光景ではない。Img_2898

犬族は犬族で結構複雑なのよね。

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田舎暮らしの三種の神器 5/13 

2011-05-14 | 日記・エッセイ・コラム

2011.5.13(金)曇

 久々の13日の金曜日ということで何かやばいことが起きないかなと不安に思っていたら、刈払機が作動中にプスンと止まり動かなくなってしまった。じょんのび谷の鬱蒼たる薮をすっきりさせようと気合いを入れて取りかかっていただけにショックが大きい。Img_2894
 
ここまで来て刈払機のエンジンが止まった。


 田舎暮らしの三種の神器は刈払機、チエンソー、軽トラックというところだろうか。冬の主人公はチエンソー、夏の主人公は刈払機、軽トラは年中という感じだ。軽トラは平成七年式を安く買って、順調に使っている。ところがチエンソーと刈払機は思うようにいかなくてイライラのつのる厄介者だ。
 チエンソーは京都にいる際に某ホームセンターで展示品を破格の値段で買った。マキタの製品である。「そりゃあ山林用具でなくて大工道具やがな」と揶揄されながらも三年間クヌギや栗など堅い木ばかり切って活躍してきた。最近では自分で刃も研ぐようになって、エンジンのかかりはすこぶる良いのだが、途中でブスブスと止まったり、チエンが滑ったり、真っ直ぐ切れなかったりするようになってきた。農協で刃を研いで貰って今日持ち帰ってきたが、これで上手く切れれば研ぎ方が悪かったということだし、そうでなければバーなどの問題かも知れない。
 ただ、山ちゃんに貰ったグリーンのチエンソーは古くてエンジンもうるさく、振動もひどいのだが、すこぶるよく切れる。新品を自分で購入したものが調子が悪いのは納得がいかない。
 刈払機はもっと悲惨である。某リサイクルショップで4,000円で中古を購入し、もちろん始動テストなど済ましているが、いざ使用すると回転が上がらない。そうこうしているうちに草はどんどん伸びてくるで、新品を買うことにする。一番安いのを買ってジャングルとの格闘が始まる。小さいながらもよく活躍し、四回目の夏で動かなくなった。中古の方は知り合いに頼んで、農機具店で修理してもらったが帰ってきてからも一度もエンジンがかからない。Img_2893
 

二台の刈払機はエンジンがかからないし、一台のチエンソーは調子が悪い。

 三種の神器の二種がこの調子じゃあたまらない。チエンソーはだましだまし使えそうだが、刈払機は待ったなしなので買わなければいけないかなあと思っている。こういうのをところ貧乏というそうだ。

【作業日誌 5/13】
北面カナメ植えつけ、ネット張り
キュウリ植えつけ
道具収納棚作り

今日のじょん:暑くなってきたので衣替えして貰っていた。といっても衣着ているわけじゃないので、サークルの中の布団とかマットのこと。暑いときはうらめしじょんになっている。Img_2889

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雨読 トンカラ・リンと狗奴国の謎 5/12

2011-05-12 | 雨読

2011.5.12(木)雨、曇

 三日間雨が続いた。そのせいで読書が進んだとはいえないが、雨読が続いている。日本一周自転車旅行を終えて、行っておきたかったなあと思うところがいくつかある。もう一度旅に出たら絶対に生きたいところは、熊本県和水町のトンカラリンである。2007年3月23日杖立温泉から中津江村、兵戸峠、菊池市などを経由して熊本市に入った。このルートの北西にトンカラリンはある。トンカラリンを知ったのは旅行が終わってからだし、実はこの日は自転車のトラブルでとにかく熊本へ急いでいたのでいずれにしてもトンカラリンを訪れることは無かった。Img_3506

3月22日、後輪リムにヒビが入り、熊本のクシサイクルさんで急遽組み直すこととなったのである。


 トンカラリンを知ったのは「知られざる古代」水谷慶一著(2010.1.10参照)の中にその記事を見つけた時だ。トンカラリンという響きは憶えがある、「トントントンカラリンと隣組~」なんて唄もあるし、西陣や丹後ちりめんの機織りの音もトンカラリンと表現されることもある。ところが実際のトンカラリンは464mの断続した人工と天然のトンネルなのだ。そしてその古代遺跡の用途や目的は謎である。
 「トンカラ・リンと狗奴国の謎」金思燁著、六興出版、昭和52年7月初版、定価980円、購入価315円Img_2892
 「知られざる古代」ではトンカラリンは主題ではないので詳しく書いているわけではないが、日神祭祀の遺跡だろうということである。この地方に関連のある日置氏についても日神の祭祀に係わる一族だろうという結論である。
 さて本題の「トンカラ・リンと狗奴国の謎」ではこの地方は邪馬台国に従属しなかった狗奴国の中心的なところで、それは高句麗からの移住者であろうという説である。その辺の立証を装飾古墳や日本と朝鮮半島の遺跡などの比較でされているのだが、かなり専門的で一度や二度の読書では理解できそうにもない。トンカラリンについては詳しく考察されており、高句麗に由来する祭祀の場所という結論である。日置氏(へきし)については天文や気象のことを司る一方で製鉄の専門技術者でもあるという認識である。
 日本と高句麗についての整理しきれないほどの多くの情報を事細かに説明されているのだが、トンカラリンが高句麗族の祭祀に係わる遺跡だとしたら、高句麗の地にも同様の遺跡があってしかるべきである。それらの記述がないのはなんとも竜頭蛇尾の感がしてならないのだが。

【作業日誌 5/12】
道具収納棚作り

Img_2891
ゴミ屋敷化している工房をなんとか整理すべく作っている。



今日のじょん:ぽんぽこぽん探索犬しているボールがロストボールになって、替わりに使っているテニスボールがまたしてもロストになった。後がないので必死に探したら、以前のボールが出てきた。明日からまた頑張れるわい。Img_2887 Img_2888

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雨読 拝復ぶろぐ坊さま 5/11 

2011-05-11 | 雨読

2011.5.11(水)雨

 拝復 ぶろぐ坊さま
 先日雨読「真言密教と古代金属文化」にコメントいただきましてありがとうございます。
 私の稚拙な書評を見られて購読を躊躇されたということ、大変恐縮しております。
と言いますのは読了いたしました当時(2010.5.15)とは本書に関する評価が少し変わっているということでございます。それは現在までの間に金属文化に関する書物を沢山読みまして、当時奇想天外とかオカルトチックに思えたことが実は随分真面目な真摯なことであると考えるようになったことが主な理由です。
 金属文化というのは農耕文化をベースにして物事を考えている者にとってはなかなか理解しがたい文化であると思います。それが学習が進むうちに理解できるようになり、オカルトチックにさえ思えたことが、実は深遠な話であることが解るようになるものです。
 それと今ひとつ、下世話なことで申し訳ないのですが、この本に関しては探しに探して、しかもかなりの高価で手に入れたという経緯があります。つまり努力して探し、高価な買い物をした割には内容的に不満足ということを「雨読」の中で書きました。本の価値を値段で云々するのは如何とは思いますが、「つまらない内容だったけれども200円だからいいや」とか「一万円も出したのにこの内容は何だ」とかいう気持は誰にでもあろうかと思います。そういう意味で本書を酷評したわけですが、前述のとおり再評価をして、ところどころ再度つまみ読みをしている次第です。そのうちあらためて再読したく思っていますが、最近は再読というものに価値と楽しみを見いだしています。再度読むことによってより深く理解できるということは当然ですが、以前に見つけられなかった新たな発見があるものです。
 折角読んでみようと思われた本を、私の稚拙な書評で中止されたことは大変申し訳なく存じております。願わくは再度気を取り直して読んでいただきたく思います。真言宗の住職をしておられて古代の金属文化に関心をお持ちでしたら、私などよりも随分理解を深められるかと思いますImg_2879
 ただ多分に手に入れにくい書籍のようで、古書連のサイトでも在庫がないようですし、アマゾンにもかなりの高価で販売されているようです。もしよろしければお貸しいたしますので、その旨ご連絡ください。なお、同じく佐藤任著の「空海のミステリー」も所蔵しております。ご一緒に読まれたらよろしいかと思います。
 多禰寺は麻呂子親王伝説、七仏薬師のお寺であると知り大変興味を持っております。また、近隣の河辺由里は当ブログの記事に書いた事がありますし、大丹生姓の家が近所に数軒ありまして上林となんらかのつながりがあるやも知れません。特に真言密教と古代金属文化ということに関してご教示いただけたら幸いです。
 店を開いている関係で火曜日、金曜日しか出かけることが出来ませんが、よろしければ是非お目にかかりたいと存じます。   敬具

今日のじょん:例年GWにそれぞれの工房展といって福知山、綾部の職人さんが展示会を開いておられるのだが、その一軒の安本工房さんのヌプリくんの写真が案内の新聞に載っていた。写真で見る限りではじょんにそっくりなのだ。小顔のところ、尻尾の大きさ、耳はじょんの方が垂れてそうで、ヌプリくんの方が少し太ってそう。是非工房を訪ねてみたいと思っている。Img_2880



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じょんのびファーム ’11.5  5/10

2011-05-10 | 違いのわからん農学士

2011.5.10(火)雨

 夏野菜の苗植えつけや種蒔きが一段落したので報告しておこう。
夏野菜御三家のトマト、胡瓜、ナス
 GWの由良川花壇展で購入した、桃太郎、北進、千両の定番の苗を植えつけた。ここの苗は安くて育ちがいい。ところが植えつけた途端に大風が吹き、慌てて支柱を立て誘引したが、上林の風はそんなヤワなものじゃなく、胡瓜の2本は誘引した部分でちぎれてしまった。本来は肥料袋のカバーをしてやらねばならないのだが、支柱の数が足りなくて各一本しかレスキューできなかったのだ。ナス、トマトはなんとか頑張ったが、胡瓜は茎が脆いようだ。双葉は残っているので、わき芽が出てきて大丈夫とは思うが、今日コメリで30円で苗を売っていたので2鉢買ってきた。
 ナスはナーオさんが例年のごとくヒスイナスの苗を持ってきてくれたので、昨日植えつけた。
 生姜は手間がかかる割に保存がいまいちなので今夏の栽培は見送る。ところが畑を起こしていると昨秋収穫後の種生姜が土の中で新鮮に生きていた。前年は完全に腐っていたのにどうしたことだろう。思うにこの冬の大雪が保温の役目を果たしたのではないだろうか。寒い方が温いという自然の摂理に頭の下がる思いである。Img_2877

ヤーコン、キクイモとジャガイモが競合している。右端にビッグアスパラガスが写っている。手前にタマネギが出来ているが、誰に貰ったものか忘れてしまった。


 生姜が無い替わりに今年は芋類がある。昨年サーキさんにヤーコンとキクイモを戴いた。食べきれないので植えておいたらしっかり芽が出てきた。その後ナーオさんが男爵系、メークイン系のジャガイモ種芋を持ってきてくれた。ヤーコン、キクイモを植えた場所を忘れてしまったので適当に植えつけたら、競合して生えてきた。まあ何とかなるだろうが、問題は獣害である。
 芋類はイノシシの大好物である。上林の100%の人が害を被っているだろう。ワイヤメッシュは一時よりも安くなったとはいえ、数万円かかるだろう。10年分ぐらいのジャガイモ代金に匹敵する。てなわけで昨年同様ネットを張ることにする。それと小さくてもいい早く食うことである。種芋の時からイノシシに食われていると聞く。そりゃあ、奴らにとったら種芋も食用も変わらないわけだからあり得ることだ。一刻も早くネットを張らなければならないというのがプレッシャーである。
 種はオクラ、ゴーヤ、ニラを蒔く。少し前にスナックエンドウを蒔いて5cmぐらいになってるが、一向に伸びてこない。他所の畑ではもう花も咲こうかという状態になっているのにだ。
 九条ネギを除いてネギ類は順調に育っている。ニラ、ニンニク、ラッキョウなどで、ワケギは増えすぎたので抜いて捨ててしまった。
 嬉しいのはアスパラガスである。二冬枯らしてしまって、三回目の正直で二年目のアスパラガスが食べられるようになった。超でかいのが出てくるが、難点は一本ずつなので食った気がしない。昨秋ナーオさんに貰った苗は順調に育っているが、食用は来年だ。野菜作りは楽しいが、ネット張ったり余分な仕事が面倒である。

【作業日誌 5/10】
道具収納棚作り

今日のじょん:遂におとーの座布団がじょんに奪われてしまった。やむなくイ草の長布団を買ってもらったが、これは臭いがきついためか横取りに来ない。シメシメ。Img_2875

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イワンの里開店 5/9

2011-05-10 | 日記・エッセイ・コラム

2011.5.9(月)曇

 「イワンの里」が開店したでと言って村上さんが北近畿経済新聞を持ってきてくれたのは、丸山に登った日だから4日のことである。「イワンの里」の秋元さんご夫婦は昨年上八田に越してこられて、カフェ・民泊の開業目指して頑張っておられた。昨年12月に訪問したときは薪ストーブが入り、古民家の一室を改造しておられるぐらいで開店までは相当時間がかかると思っていたのだが、なんとも仕事の早いこと。
 連休明けの6日にメーパパを誘って食事にゆく。500円のランチというのが楽しみだ。Img_2864Img_2860
Img_2862_2 



玄関から客席、宿泊室、手洗い場

 驚いたのは四ヶ月の間によくぞここまで仕上がったなあと言うことだ。総てを業者に任せたなら解るけど、自分でやっておられる部分もかなりなので感心する。センス良くできており、素人っぽさが見え隠れするところも愛嬌というものだ。
  ランチはおばんざい風で工夫がされていて味もよろしい。ただ私のような肉体労働者が昼食とするにはチト量が少ない。500円ではいたしかたないが、大盛りとかお代わりが選べるようにしていただければ助かる。食後のコーヒーは200円でいただける。
 まだまだ家の周りの整備や庭、小屋の整備など大変だと思うが、8日には田植え、しかも手植えで、畑も家の下に相当あり、無理をなさらないようにと老婆心ながら思ってしまう。まあとりあえず開店おめでとう。
カフェ・民泊「イワンの里」 綾部市上八田町上ノ岡ノ下24
                 0773-21-1648
                 民泊(要予約)一泊二食付 6,000円
                 カフェ 11:00~15:00
                 イワンの里ランチ 500円
                 水・木定休
                 じょんのびに地図有り。 



Img_1971 Img_2865

ビフォー(2010.12.24)アフター(2011.5.6)



【作業日誌 5/9】
草刈り2-6
草燃やし

今日のじょん:朝起きて二階から降りてくると、階段下でこんな感じで尻尾振って待っている。子犬の時二回ばかし二階に上がってきたが、今は上がってくることはない。Img_2874

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続々・耳石 5/8

2011-05-09 | 歴史・民俗

2011.5.8(日)晴

 磁鉄鉱を含む石を探すのもいろんな種類の石が対象となっているうちは楽しく探すことができたが、ある程度種類が決まってくると退屈なものである。最初に磁石に反応する石を河原で見つけたときは感動した。そのうち数種類の石が磁石に反応することが判り、探す楽しみは無くなってきた。将来たたら実験を行うために鉄を含む石は集めているが、新しい種類の石は中々見つからない。そんな中で楽しみに耳石を探している。大変珍しいものとされているが案外あるもので、現在八個所有している。といっても探し始めたのは二週間ぐらい前からだから相当の確率で見つかる。今河原に行って見つけてこいと言われたら、一時間ぐらいあれば確実に見つける自信がある、まあその程度のものだ。
 種類は基本的に一種類で、黒緑色の堆積岩だろうと思うが、なかに石英の結晶のような部分があり、その部分が溶けて穴になっているようだ。穴の周囲の石は大変硬いもので、人工的に開けるのは相当難しそうだ。他にも穴あき石は無いわけではなく、白い結晶ばかりの石で、その一部が欠けて偶然に穴の開いているものや、軽石状のもので、最初からあいているものもあるようだ。しかしこれ等は邪道である。Img_2871 Img_2802
Img_2827  



 河原に落ちているときに穴が開いてることが解るものは最初の一個だけであって、総ては持ち帰って洗って、研いて、針金を入れて土砂を除いてはじめて解るものである。針金で突いていると反対方向の穴から土が出てきて、やがて針金の先が現れるときは達成感というかファーブル少年が何かを発見したときのような、「やったぞ」という充実感があるものだ。Img_2806
Img_2804  
左:穴が浅いもの
右:左は片想い、中はすれ違い夫婦、右は穴が細すぎて確認できないもの。

 穴の貫通していないものは貫通しているものの5倍ぐらいあり、全然穴の浅いもの、石の中は大きな空洞になっているが出口のないもの(片想い)、両方から充分な長さの穴は開いているがすれ違って貫通していないもの(すれ違い夫婦)などあって、貫通しているものより愛着を感じる。
 この耳石、大唐内の薬師さんに奉納してあり、耳の病気快癒の御礼参りに奉納するそうだ。上林の小さなお堂にもよく奉納してあり、上林川でよく見つかるからかもしれない。
 各地の耳石を奉納する神社などの地域を見てみると、なにか共通しているものが見えてくる。まだ確信がないので発表は控えるが、ただ単に耳の病気にご利益があるというだけのものではなさそうだ。

【作業日誌 5/8】
草刈り2-4(今年2回目の4日目ということ)
薪割り

今日のじょん:あごのせじょんをコンパネフェンスでしていたのだが、最近はテーブルでやっている。写真は目が光っていやらしいが、本当は笑ってしまう光景なのだ。Img_2873

 

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鉄滓発見 5/7

2011-05-08 | 歴史・民俗

2011.5.7(土)晴、曇

 4月4日に第一号の鉄滓を発見したが、今朝上林川堤防で再度発見する。前回のものは5cmに満たない小さなものだが、今回は13cmに達する岩塊である。Img_2614
 
4日に発見したもの。


 発見場所は前回から30mほど下流側の堤防で、前回は山側であったが、今回は川側である。この堤防は28年の水害後に築造されたもので、はたしてその土砂をどこから持って来られたかが問題になる。Img_2604

今回発見場所は、右岸堤防中段部分でコンクリートの通路から20mほど上流部分。

 今日の工事なら全然違った場所からの移入というケースが多いだろうが、おそらく当時はその辺の田畑に蓄積した土砂を集めて堤防が築かれたのだろうと想像している。「上林風土記」の写真集を見ても田畑を埋め尽くしたその累々たる土砂を確認できるし、撤去しなければならないその土砂を堤防の築造に使用されたことは容易に想像できる。このことについてはまだその当時のことを知っておられる方もあろうかと思うので、聞き取りをしてみたいと考えている。
堤防上の石の種類は河原のものと同一であり、田畑から取りのぞかれて堆積している砂利も同様のものである。
 さて、その鉄滓なるものだが、実は本当に鉄滓なのか不安は無いわけでない。インターネットのサイトで鉄滓を眺めてみるが、実に様々な形状、色をしており特定しがたいのは事実である。今回の鉄滓と思われる岩塊であるが、長径は13cm、比重は測っていないが特段重く感じられるものでもなく、普通の石と変わらない感触である。Img_2869 Img_2870

今回発見のもの、表裏。


 前回のものと同様の灰色の溶岩が固まったような形状で、多くの部分が錆びて茶色を呈している。内部に黒い筋状のものを包んでいるのが見え、洗浄している際に細かく砕けた粒となって剥離した。これは炭、あるいは何かが炭化したものではないかと思われる。大きな部分は硬いまま残っている。気泡状の小穴があちこちにあり、砂が沈着している。また、薄くコンクリートを張ったような部分が数カ所ある。全体に磁性は強く、部分的な強弱はあるが、黒く鉄のようになっている部分は強烈な磁性がある。
 今後はこれ等の岩塊が真に鉄滓なのか、専門家を探して確認したい。また、鉄滓もどきの数種の岩塊についても、たたらと関係が無いものか調査したい。そしてこれ等が上流から流れてきたと仮定して、はたしてどこから流れ着いたかを調べることが重要である。言うは易いことだが、実際に行うのは相当困難なことと思えるが、二年前には雲をつかむような話であったことが、一つひとつ立証されるのは楽しいことである。

【作業日誌 5/7】
草刈り2回目ー三日目
道具収納棚作り
薪割り

今日のじょん:ユキちゃんが来たんだが、狂犬病の予防注射をしてきており元気がない。元気なチコでも数日弱っていたそうで、かなり負担が大きいようである。じょんも喜び勇んで飛び出したが、遊んでもらえなくてしょぼんとしていた。Img_2868

ユキちゃんしんどそうだぜ。

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サンドラ岩始末記(4) 5/6

2011-05-06 | 歴史・民俗

2011.5.6(金)曇

 ということは、サイトの管理者と七里野の編集者は別人ということだろうか。同一人物なら写真の向きを間違え
ることはあるまい。なぜこんな事にこだわるのかと思われそうだが、間違った向きの写真をもとにサンドラ岩を探し、見つからないと落胆し、家本さんなどガイドを引き受けながら見つけられなかったと恐縮されているのである。
 「上林七里野」は素晴らしい写真と深く広く調査された文で、よくまとまった本だと思うのだが、編集特に画像の編集には甘いところがある。
 猪鼻峠の写真(29P)については、永谷坂峠もしくは逆峠が正当だろうというのは以前に述べたことがあるが、本文中にも「猪鼻峠・・・老富から関屋」と書いており、写真の峠を猪鼻峠というのは不自然といえよう。Img_1230
 
この峠は永谷坂峠もしくは逆峠ではないか。


 また達田の金刀比羅講300年祭という写真(P60)は301年祭である。Img_1475

2008年11月9日、忠町での大祭が300年祭のふれこみだったのだが、、、。


 百聞は一見にしかずといわれるとおり、画像での情報は長くてくどい文章を読むより一気に理解が出来て効率的である。しかしその画像が間違っていた場合私たちは簡単に錯誤に陥る。それは画像というものへの信頼感が異常に高いことに起因する。インターネットの情報だけでなく書籍の中の画像の量も格段に増えた。私たちに必要とされることはそれらの真偽正誤を見分ける力量ということになるのだろうか。
 写真のサンドラ岩にこだわることなく、私たちが見た岩達は総てがサンドラ岩だと思う。家本さんにこのことを報告しなければならない。そしてまだまだ聞きたいことも沢山あるのだ。
 そういうわけでこれからも老富通いがつづくだろうが、今後「大唐内のこと」の中で丸山(生守岳)、廃村生守村について考察していきたい。この項終わり

 ※金刀比羅講の件について、何鹿三ヶ村強訴がなされたのは宝永5年(1708年)で2008年が300年目に当たるが、講が始まったのが翌年からという風に考えると2009年が300年目に当たる。なんとも言えないが、2008年は300年祭というふれこみであったし、新聞記事もそうなっている。私は両年とも参加している。

【作業日誌 5/6】
草刈り2回目ー2日目
野外テーブル等ペンキ塗り
テラスオープン準備
セルフ散髪

今日のじょん:じょんのびビヤガーデン’11オープン
ったって身内だけで夕方に一杯やる風景だ。暮れてゆく上林を眺めながらやるビールは最高。もちろんじょんもふわふわジャーキーで御相伴。Img_2866  

 

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サンドラ岩始末記(3) 5/5

2011-05-05 | 歴史・民俗

2011.5.5(木・祝)曇

 何が気に入らないって、あれだけ丸山(生守岳)の斜面を這いずり廻って、「上林七里野」に載っているサンドラ岩が見つからないのだ。この岩を見つけるために再度登ってきたのに、見つからないでは意味がない。掲載されている岩はきれいな節理で、節理の面が上を向いているのだ。この岩を探すべく本を持参して、出発前に二人で確認してから登っているのだ。しかし節理の面が上を向いた岩は見つけることが出来なかった。節理は極一部のものが横を向いている、いわゆる俵の横腹を見せているものがあったが、それ以外は正面を向いている。釈然としながら下山し、家本さんの宅に挨拶に寄った。田植えの時期とてご主人は不在だったが奥さんがおられて、色々話を聞く。お墓のこと、製糸工場があったこと、神社の事、越してこられた橋本さんのこと、獣害のこと、そして丸山のことなどである。丸山が宗教的な意味を持っていなかったか尋ねたがそのようなことは無かったという。Img_2714
 
この小唐内に製糸工場があったとは、、、それで鬼の岩屋に繭玉を保管しようという話が持ち上がったわけだ。


 最も気になったことは、前回の丸山登山についてサンドラ岩の案内役を引き受けたにもかかわらず上手く案内できなかったと悔やんでおられるということだった。
 帰宅後、Myあやべというサイトや「上林七里野」、それに撮ってきた写真を見比べて検討する。Myあやべは廃村生守村について詳しく調査され、文献についてもよくぞと言うぐらい多くの文献を発見しておられるし、現地調査も何回も重ね、自らの眼で確認するという姿勢が見られる。サイトは、その文を読んで写真や動画を見ればいまさら行く必要もないぐらい丁寧に編集されている。ただ、難点はどこの誰が作っておられるか不明なことだ。
 このサイトにサンドラ岩を探索される記事が載っており四枚のサンドラ岩の写真がある。筆者は「さんどら岩」らしき岩というふうに書いておられるが、謙虚な態度であり、敬服する。わたしなら「これがサンドラ岩だ」と書くだろう。それはともかくそのうち二枚が「上林七里野」に掲載されているのだ。樹木のアングルや葉の付き方で同一の写真であることが解る。ということはサイトの管理者と七里野の編集者が同一人であるか、あるいは画像を譲り受けたかということである。問題は七里野に掲載されている画像が90度回転していることである。よく見ると木の生え方、苔の付き方でサイトの写真が正当であることが解る。つづく
Img_2859
左下が問題の写真。


【作業日誌 5/5】
ベランダ塗装終了
草刈り、2回目

今日のじょん:朝の食事が終わって席を立つと、すかさずおとーの席にきて寝ている。一日中ほとんどそこの場所で過ごしているが、夕食前ふと見ると席の端に座っているのだ。これからおとーが食事をとるために座ることを予測していたとしたら、これは凄い。Img_2858 
 

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サンドラ岩始末記(2) 5/4

2011-05-04 | 歴史・民俗

2011.5.4(水)曇

 頂上から若狭側をのぞき込むと急な崖となっている。どうもこの部分にサンドラ岩の本体がありそうだ。古文書にはこの山は海上からの目印となる、山当ての山ということだから、きっとサンドラ岩は若狭の海に面していると思われる。この山は青葉山や三国岳に比べ、標高も低く目立たないので、サンドラ岩があってこそ目印になると思うのだ。Img_2837
 
頂上から若狭側をのぞき込むとかなりの急斜面となっている。


 頂上からまず三国岳側のコルに下る。まるで別世界のような広い平地で、廃村生守村(いもりむら)があったとしたらこの位置なんじゃないかと思わせるところである。せせらぎの音がするので上林側に行ってみると、すぐのところに谷が流れている。稜線上にこれだけの水が流れているのは不思議な感がするが、古代人が居住していたと予想するにたる水源である。サンドラ岩を探索すべく、若狭側の斜面をトラバースする。眼下の若狭側の沢にも豊富な水が流れ、水源の豊かさを思い知らされる。将に桃源郷といったところだ。Img_2842 Img_2844

丸山北西のコル、地図で見る限りではもっと広い場所が数カ所、三国岳の間にある。コルの左右には谷が流れていて水には不自由しないようだ。写真の谷は大唐内に続いている。


 まず頂上直下部分を右回りにトラバースしてゆく。丁度若狭湾に向かった斜面だ。灌木伝いにトラバースしてゆくと大小の節理の岩壁が出てくる。節理もはっきりしており、その節理の面は若狭湾を向いている。どうやらこの節理の岩壁は頂上下に数十メートルの巾で帯状に取り巻いているものと思われる。ただ風化したガレで覆われたり、土で覆われたりして部分的にしか露出していないが、もともとは総てが岩壁であって、千数百年前には周囲の山に比して異様な山容を見せていたのかも知れない。Img_2846 Img_2847
 
こういった岩塊がいくつか現れる。


 そうこうしているうちに主稜線上近くに回り込んできた。もう少し下のあたりも探索すべく、少しくだって再度若狭側へトラバースしてゆく。私は前回来たときの岩壁を下に廻って写真を撮ったりしていたが、若狭側に先回りした村上さんから声がかかる。「こっちは大パノラマやで」てんで行ってみると、確かに一面にサンドラ岩が広がっている。しばしその光景に見とれ、これがサンドラ岩の本家本元だと確信する。Img_2850 Img_2851
 
最大規模のものはこの場所のようだ。


 もう丸山の主稜線上の総ての部分は踏破した、サンドラ岩の総てを確認したと思っている。ところが何か満足できない気持が残っている。つづく

【作業日誌 5/4】
ベランダステイン塗り

今日のじょん:最近とみにおとーの席が気に入っている。多分あの長~い座布団の感触が気に入っているようなんだが、村長の座を狙われているようで不気味さを感じないわけでもない。とにかく夜はそこでずっと寝ているようだし、朝だっておとーがのいたらすかさずサークルから出てきて、そこで寝っ転がっているのだ。ウムム。Img_2823   

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サンドラ岩始末記(1) 5/3

2011-05-04 | 歴史・民俗

2011.5.3(火、祝)曇

 4月15日に老富の丸山(イモリ山)に登り、サンドラ岩や鬼の岩屋を探索したが、登山の面々がどうも腑に落ちないことがあった。サンドラ岩らしきものを二箇所見つけて帰ってきたのだが、「上林七里野」(四方英生著)にあるサンドラ岩の写真と違うというのである。本にある写真は節理がはっきりしており、いわゆる桟俵の面が空を向いているのである。私たちが見た二つの岩塊は節理が不鮮明で面は水平に向いていた。Img_2724 Img_2727
 
4月15日に訪れた二つの岩壁。もう少し若狭側に回り込むべきであった。


 皆が再挑戦せなあかんなあと思っているようだが、大人数では危険な場所だし、ルートも解ったことだし、村上さんとサンドラ岩探しに出かけることとなった。もちろんそれ以外にも目的があり、二人なら自由に行動できそうだ。
 9:00 じょんのび発
 9:28 小唐内林道終点発
 9:55 猪鼻峠着
10:25 丸山ピーク着、以後周囲探索
12:00 東側斜面で昼食 12:15 往路を辿る
13:00 小唐内着

 今日は上林中田植えの最盛期である。各家に都会風の車が停まっているのは子供達が手伝いに帰っているのだろう。おじいちゃんおばあちゃんにとっては忙しくても楽しい時期なのだろう。一気に林道終点まで行き、サッサと歩き出す。先日の大風で杉羽が沢山落ちており、枝が折れていたり根から起きているのもある。前回きれいに咲いていたミツマタは終わりかけになっており、残雪はすっかり無くなっていた。マ谷の出合いで小休止し、マ谷の様子を見に入る。谷床は岩盤になっており、最初の二股までは獣道らしきものがあるが、その奥は道は無さそうである。この谷を詰めようかと思っていたが諦めて通常の峠道を辿る。
 猪鼻峠から国境稜線を辿り、丸山の頂上を目指す。丸山の上部は細かいガレ場となっており、道は消えている。灌木を伝いながら頂上を目指す。
Img_2833
山椒は人が住んだところに生えると聞いたが、山頂付近にいくらでもあり、野生のものと思われる。


  頂上は心地よい平地で、落葉樹のため展望は良さそうだが、今日は生憎の黄砂で海までは望めない。Img_2836 Img_2838 つづく

山頂から青鄕方面と三国岳方面。



【作業日誌 5/3】
道具収納棚作り
玉切り、薪割り

今日のじょん:暖かくなってダニが増えてきた。草も伸びてきたのでてきめんだ。山に行ってる間にかみさんがシャンプーしてくれたので、フロントラインをすることにする。ところが隠して持っているのにすぐに気づいてサークルの中に入ってしまう。なだめすかしてようやく塗布すると、大層に転げ回る。刺激がきついのだろうか、それとも臭いが強烈なのだろうか。いつものことながらあんまり転げ回るので写真におさめた。Img_2856 Img_2857  

 

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もろかん 5/2

2011-05-03 | 日記・エッセイ・コラム

2011.5.2(月)曇、黄砂

 アラカンという言葉が流行り、嵐寛寿郎か荒畑寒村かなあと思っていたら、アラウンド還暦だって、上手く言うなあ。ところがアラカンどころかもろに還暦になってしまって、いよいよおまけ人生に突入ということになるわけだ。世が世なら、「おじいちゃんご苦労さん」なーんてお祝いされ、赤いちゃんちゃこ着てご満悦となるのだが、どうも昨今は寿命が延びたせいで還暦なんて見向きもされない。ましてや上林ではひよっこみたいなもんで、「若いな~」と言われる年頃である。
 それでも一応一周し終えたわけだから、アラカンならぬモロカンである。赤いポロシャツ着て仕事をしていたら、かみさんがしまだやさんでお祝いをしてくれた。
 還暦は嬉しくも哀しくも何にもないのだが、年金が支給されることは大変嬉しい。というよりはこれが無くてはやってけない。私の場合共済組合と厚生年金の二種類があるのだが、これが手続きを複雑なことにしている。両年金の間では連絡性というか協調性というかそういうものが無いわけだ。従ってお互いに加入期間の証明を出し合わなければならないのだ。その証明をとるのが数ヶ月かかるということなのだ。それでもってやっと年金の請求が出来るというものだが、こんな時代にたかが証明書一枚出すのに何ヶ月もかかるとは、少し大げさに言っておられるとしても納得の行かない話だ。その間に死んでもたらどうすんねん、タクモウ。

【作業日誌 5/2】
究極のじょんのびファーム草引き 

今日のじょん:今月のじょんカレンダーは鯉のぼりなんだが、主役の写りがよろしくないので先日の花壇展の鯉のぼり写真を紹介しよう。Img_2812
 

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続・耳石 5/1

2011-05-01 | 歴史・民俗

2011.5.1(日)曇

 上林名物春の大風が吹き荒れた。例年この時期に強風が吹くのだが、常に吹き荒れるわけでなく、突風というか息をする風である。天気図を見ると日本海に移動性の低気圧があり、これに向かって南風が吹き込んでいる。上林の谷は北東から南西に向かって流れており、偏西風の影響もあって南西の強風が吹くこととなる。この風は各峠で丁度鞴(ふいご)の役目を果たし、瞬間的に強烈な風となるのだろう。古代において野たたらがこの地で行われていたとしたら、この強風は非常に重要な要素となるのではないだろうか。
 さて耳石のことだが、私は子供時代に穴の開いた石を耳石と読んでいた記憶があるのだが、辞書を調べてもこの言葉は出てこない。耳石(じせき)といって脊椎動物の内耳にある炭酸カルシュームの結晶は生物学的な単語として出てくるのだが、耳石(みみいし)として穴の開いた石は出てこない。私の幼い日の記憶は勘違いなんだろうか。一般には穴開き石とか言われていて、なんとも風情がない。耳石(みみいし)という方が最もらしくて情緒もある。とりあえず耳石と呼んでみよう。
 田舎の家の前栽(せんざい)には大小の庭石があって、よく穴が開いているのだ。なぜかこの石が好きで、興味深かった。穴が貫通しているか、針金を通したり水を流し入れたりして確認したが、どうしても確認できない大きな石があった。中で穴が曲がっているので、針金でも水でも貫通しているのか解らない。何日か考えたあげく、良い考えが浮かんだ。二人で行って糸電話よろしく穴のこちらと向こうで小声でささやくのだ。小さな声がはっきり聞こえたとき、子供心にやったという達成感と満足感が感じられた。あの石はひょっとしたら持ち主の家人も穴が開いてるなんて知らないんじゃないかという優越感が今でも残っている。
 上林川で耳石を初めてひらったのは2009年の秋で、いつものように磁鉄鉱を探しているときに、4cmぐらいの耳石を見つけ、泥を洗い落としたらとても立派な形で宝物のひとつになっている。Img_3316あまりに立派なので、大水で上流の薬師さんから流れてきたのではないかとまで思った。つづく


【作業日誌 5/1】
玉切り

今日のじょん:よっこらじょん音頭
4.誰より先に飯食って
  後で人のをねだり食い
  「おかーよりようけ食べとるがな」(おとーセリフ)
※ よっこらじょん よっこらじょん よこらじょん音頭

5.ナイター放送は超苦手
  おとーの罵声がおとろしい
  「こらっ久保田なにしとんねん」(おとー)
  「じょんに怒ってんのんちゃうで」(おかーセリフ)
※ 繰り返し

6.じょんのび村の一日は
  じょんの寝顔で暮れてゆく
 「のびも飼うちゃらなあかんなあ」(おかーセリフ)
※ 繰り返しImg_2832
  

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