「次はあると信じています。信じているけど……」。現実を認めたくない気持ちも分かる。だが彼らの話を聞く限り、シャープの行く末は相当に厳しい。赤裸々すぎる告白の数々が、何よりの証拠だろう。
■またリストラか…
「『人生には、分かっていても止められないことがある』
今の社内の雰囲気を一言で言えば、そんな諦め、無力感でしょうか。
3000億円以上の大赤字を出した'12年以降、社内の風通しをよくしようと、社内ネットワークを使った掲示板が設けられたんです。私は一度、自主的にレポートをまとめ、そこに書きこんだことがあります。『液晶だけでは、いくら頑張っても韓国や中国にマネされる。液晶にすべてを賭けるのは間違いだ』と。
しかしその後、出社した私に浴びせられたのは『アホか!お前はソニーの社員か。ソニーの回し者か』という罵倒でした」
こう語るのは、シャープ天理総合開発センターに勤める40代の男性社員だ。
ギリギリで踏みとどまり、ひとたびは危機から脱しつつあったはずの名門が、今度こそ本当に倒れようとしている。
'15年3月期の赤字再転落の見通し、そして三菱東京UFJ・みずほ両主力銀行への支援要請報道で、シャープの苦境が白日のもとにさらされた。社運を賭け、余力のほぼ全てを注いできた液晶をはじめ、あらゆる分野でまったく勝てない-。
「またリストラが始まる」「対象は広島にある福山・三原工場など」という報道もあったが、方志教和専務が「工場は継続する」と否定。だが、その後、国内で3000人規模のリストラ計画があることも明らかになった。
「つい先日、社内では『マスコミへ情報提供している社員がいるようです。このようなことが発覚した場合、懲戒処分もありえます』という通達が全社員に向けて出されました」(前出・男性社員)
今度ばかりはただごとではない。すでにカウントダウンが始まったのではないか-箝口令の敷かれたシャープ社内で、社員たちの緊張とストレスは日に日に大きくなり、爆発寸前だ。
この男性社員が勤める天理は、今のシャープの「原点」であり、大阪本社、亀山工場、堺工場と並ぶ重要拠点だ。
新技術開発を担う中央研究所と、当時最先端の半導体工場を、奈良県天理市郊外の高台に建てると決めたのが'68年。最盛期には3000人以上が社宅に住み、若者と子供の声が絶えず、活気にあふれていた。天理からは、電卓や液晶テレビなど、世界を席巻する新製品が次々と送り出された。
それから約半世紀。シャープは最近、各地に分散していた研究開発機能を再び天理に集約した。ただし、勤務する社員は約1300人と、往時の半分以下。建ち並ぶ社宅は打ち捨てられて土埃をかぶり、近隣の住民も「まるで廃墟だ」と気味悪がる。別の管理職社員がこう話した。
「2年半前の希望退職者募集で辞めた40代の元同僚は、いまだに再就職できずにいます。彼は部署内の評価が高かったから、やっていける自信があったんでしょう。
しかし会社は、最初のうちこそ『就職先は見つけてやるから』と言っていましたが、結局リクルートに任せきりで何の便宜も図らない。彼も彼で、企業を紹介されても『そんな条件じゃ暮らしていけない』と突っぱね続けているそうです。
ついこの前まで『できれば戻りたい』とこぼしていましたが、最近は『シャープはじきになくなるかもな』なんて言っています。潰れたら私はどうするか?どうしようもないですよね……転職しようにも、歳を食った社員はお手上げです。スキルが何もないですから」
'12年8月の希望退職募集では、全国で3000人近い社員がシャープを去った。しかし一部の工場では、そのとき一度退職したはずの社員が、昨年夏以降職場にちらほらと復帰しているという。
「年齢的には働き盛りなのに、再就職先が決まらないというOBがまだまだ大勢います。彼らの中には、退職理由を無理やり『自己都合』と書かされて、退職金を減らされた人さえいるんです。
私の同僚は『辞めるか、それとも福島の下請け会社に転職するか』と迫られたそうです。彼は最近天理で家を買って、お子さんも小学校に慣れたばかりだったのに、出て行ってしまいました」(前出とは別の40代男性社員)
■「選択と集中」が大失敗
毎朝、ある者は駅と会社をピストン輸送で結ぶバスに揺られ、またある者は自分の車で、天理事業所のある丘のふもとへやってくる。社員たちは車を降りると、誰と挨拶を交わすこともなく、幾人かはイヤホンを耳に突っ込んだまま、無言で頂上の社屋へ歩いてゆく。
退社する時も同じだ。定時の17時を過ぎて、一斉に吐き出される社員たちは、やはり無言で丘を下ってゆく。同僚と「飲みに行こう」などと話す声は一切聞こえない。
「最近のシャープは、みんな息を殺している。北朝鮮みたいです」
別の若手社員が続ける。
「今の天理でやっているのは、基礎研究や商品を作るのに必要な生産装置の開発で、直接カネ儲けには繋がらない。予算が削られてしまったので、もはや『時間をかけてでもいいものを作ろう』というやる気も出ません。
経費削減で文房具は安いものに替わったし、満足に備品購入の許可も下りない。上司は『何か液晶に代わる新しい柱を考えろ』『カネになるものを作れ』と焦ってばかりですが、そんなものすぐにできるわけがない。どうせ残業代も出ないから、このところは毎日定時で帰ってますよ」
'12年の経営危機の後、シャープは中国製スマートフォン用液晶を大量生産することで、何とかどん底からの立て直しを図ってきた。しかし昨年秋以降、ソニー、東芝、日立の液晶部門が国策で合体した企業・ジャパンディスプレイとの競争が激化。命綱はいとも簡単に切れた。
三重・亀山工場製の液晶テレビ「世界の亀山モデル」でブランドを確立し、'07年には4000億円近い巨費を投じて大阪・堺に液晶工場を築いたシャープには、もう液晶の他に武器が残されていない。「選択と集中」の結果、退路を自ら断ってしまったのだ。
(その2へ続く)
「週刊現代」2015年4月4日号より
■またリストラか…
「『人生には、分かっていても止められないことがある』
今の社内の雰囲気を一言で言えば、そんな諦め、無力感でしょうか。
3000億円以上の大赤字を出した'12年以降、社内の風通しをよくしようと、社内ネットワークを使った掲示板が設けられたんです。私は一度、自主的にレポートをまとめ、そこに書きこんだことがあります。『液晶だけでは、いくら頑張っても韓国や中国にマネされる。液晶にすべてを賭けるのは間違いだ』と。
しかしその後、出社した私に浴びせられたのは『アホか!お前はソニーの社員か。ソニーの回し者か』という罵倒でした」
こう語るのは、シャープ天理総合開発センターに勤める40代の男性社員だ。
ギリギリで踏みとどまり、ひとたびは危機から脱しつつあったはずの名門が、今度こそ本当に倒れようとしている。
'15年3月期の赤字再転落の見通し、そして三菱東京UFJ・みずほ両主力銀行への支援要請報道で、シャープの苦境が白日のもとにさらされた。社運を賭け、余力のほぼ全てを注いできた液晶をはじめ、あらゆる分野でまったく勝てない-。
「またリストラが始まる」「対象は広島にある福山・三原工場など」という報道もあったが、方志教和専務が「工場は継続する」と否定。だが、その後、国内で3000人規模のリストラ計画があることも明らかになった。
「つい先日、社内では『マスコミへ情報提供している社員がいるようです。このようなことが発覚した場合、懲戒処分もありえます』という通達が全社員に向けて出されました」(前出・男性社員)
今度ばかりはただごとではない。すでにカウントダウンが始まったのではないか-箝口令の敷かれたシャープ社内で、社員たちの緊張とストレスは日に日に大きくなり、爆発寸前だ。
この男性社員が勤める天理は、今のシャープの「原点」であり、大阪本社、亀山工場、堺工場と並ぶ重要拠点だ。
新技術開発を担う中央研究所と、当時最先端の半導体工場を、奈良県天理市郊外の高台に建てると決めたのが'68年。最盛期には3000人以上が社宅に住み、若者と子供の声が絶えず、活気にあふれていた。天理からは、電卓や液晶テレビなど、世界を席巻する新製品が次々と送り出された。
それから約半世紀。シャープは最近、各地に分散していた研究開発機能を再び天理に集約した。ただし、勤務する社員は約1300人と、往時の半分以下。建ち並ぶ社宅は打ち捨てられて土埃をかぶり、近隣の住民も「まるで廃墟だ」と気味悪がる。別の管理職社員がこう話した。
「2年半前の希望退職者募集で辞めた40代の元同僚は、いまだに再就職できずにいます。彼は部署内の評価が高かったから、やっていける自信があったんでしょう。
しかし会社は、最初のうちこそ『就職先は見つけてやるから』と言っていましたが、結局リクルートに任せきりで何の便宜も図らない。彼も彼で、企業を紹介されても『そんな条件じゃ暮らしていけない』と突っぱね続けているそうです。
ついこの前まで『できれば戻りたい』とこぼしていましたが、最近は『シャープはじきになくなるかもな』なんて言っています。潰れたら私はどうするか?どうしようもないですよね……転職しようにも、歳を食った社員はお手上げです。スキルが何もないですから」
'12年8月の希望退職募集では、全国で3000人近い社員がシャープを去った。しかし一部の工場では、そのとき一度退職したはずの社員が、昨年夏以降職場にちらほらと復帰しているという。
「年齢的には働き盛りなのに、再就職先が決まらないというOBがまだまだ大勢います。彼らの中には、退職理由を無理やり『自己都合』と書かされて、退職金を減らされた人さえいるんです。
私の同僚は『辞めるか、それとも福島の下請け会社に転職するか』と迫られたそうです。彼は最近天理で家を買って、お子さんも小学校に慣れたばかりだったのに、出て行ってしまいました」(前出とは別の40代男性社員)
■「選択と集中」が大失敗
毎朝、ある者は駅と会社をピストン輸送で結ぶバスに揺られ、またある者は自分の車で、天理事業所のある丘のふもとへやってくる。社員たちは車を降りると、誰と挨拶を交わすこともなく、幾人かはイヤホンを耳に突っ込んだまま、無言で頂上の社屋へ歩いてゆく。
退社する時も同じだ。定時の17時を過ぎて、一斉に吐き出される社員たちは、やはり無言で丘を下ってゆく。同僚と「飲みに行こう」などと話す声は一切聞こえない。
「最近のシャープは、みんな息を殺している。北朝鮮みたいです」
別の若手社員が続ける。
「今の天理でやっているのは、基礎研究や商品を作るのに必要な生産装置の開発で、直接カネ儲けには繋がらない。予算が削られてしまったので、もはや『時間をかけてでもいいものを作ろう』というやる気も出ません。
経費削減で文房具は安いものに替わったし、満足に備品購入の許可も下りない。上司は『何か液晶に代わる新しい柱を考えろ』『カネになるものを作れ』と焦ってばかりですが、そんなものすぐにできるわけがない。どうせ残業代も出ないから、このところは毎日定時で帰ってますよ」
'12年の経営危機の後、シャープは中国製スマートフォン用液晶を大量生産することで、何とかどん底からの立て直しを図ってきた。しかし昨年秋以降、ソニー、東芝、日立の液晶部門が国策で合体した企業・ジャパンディスプレイとの競争が激化。命綱はいとも簡単に切れた。
三重・亀山工場製の液晶テレビ「世界の亀山モデル」でブランドを確立し、'07年には4000億円近い巨費を投じて大阪・堺に液晶工場を築いたシャープには、もう液晶の他に武器が残されていない。「選択と集中」の結果、退路を自ら断ってしまったのだ。
(その2へ続く)
「週刊現代」2015年4月4日号より