7月13日
5:30分起床
6時30分出発 コンビニで朝食と弁当購入
陸前高田を経由し大船渡市へ
8時着 日本共産党 岩手県 気仙地区 着 秋田から支援に来ていた方にあいさつ

時間があったので 近所を散策 津波の跡の一部を散策
不通になって瓦礫が散乱する岩手鉄道

歩道にタンクらしいものが置き去りに

市民体育館 市の物資受け入れ場所になっていた
津波の水の跡が残る

遺体安置所 勤労青年者会館

9時 地元3人市議の内、田中・三浦2人の市議からこの4カ月の説明と今日の行動の説明を受ける。3市議の内2人が津波で家を流された。
約3600世帯が流された。5月中旬から仮設住宅に移った。工場が壊滅、失業、漁業も、カキの養殖など3年間見通しがない。ワカメもこれから取り入れという時に流され、種付け、種移しとこれからで1年収入がない。失業か失業保険が頼りの生活。仮設住宅が建ったが、入って入れるには3から4年。仮設住宅が学校のグランドに立っているので、学校の生徒児童の遊び場がなくなりストレスがたまっている。恒久的な公共住宅の建設が急がれる。
津波は想定地区外のこの地区委員会も机の高さまで水が着た。
課題は、300戸の仮設住宅でコミニテイーがバラバラこれをどうつくるか、市全体の復興計画案を現在作っているが国の対応がどうななるかが大きい。
この間、仮設シート広げて青空市を行い被災者に全国からの物資を提供してきた。戸別の訪問で要望を聞き、行政に届けてきた。今日も、その活動をおこなった。
2つにわかれて、仮設住宅の戸別訪問で要望を聞く。
無料青空市で全国の支援物資を届ける。
市総合運動場にできた仮設住宅を訪問し、その1角にブルーシートを広げ、食器、雑貨など日用品、靴、衣類、文具など並べて無料で必要なものをもっていってもらう活動に参加した。気仙地区事務所に集まった仕分けされた物資を段ボールごとトラック車に積み込み、おろして種類ごと並べる。各戸を回って、「9時50分から 青空市やってま~す」と呼びかける。
300戸の住宅で、まだ入居が決まっていなかったり、仕事など出かけて留守が多いが、続々と住宅入居者が集まってくる。

物資が飛ぶように「売れる」。「醤油さしがないの?」「バス用クッションがほしかった」とか要望も聞きながら物資を渡す。中には「ああ生きてたのね」と出会いの場になることも。仮設入居者が孤立しないように、家に閉じこもりにならないようにすることでも重要な活動だ。「ここまできてくれるのはお宅とこだけ」と声が返ってきます。
12時前には、半分以上の物資が無くなり、後片付け。ちょうど雨が降ってきた。車に荷物を積み込み、「雨ですよ、洗濯物をかたづけて」と周りに声をかけて大雨のなか住宅を後にしました。
午後からは、1時30分から午前中の活動交流を約30分行ったあと、大船渡市内の地震と津波の状況を田中市議などに案内してもらいました。
市内一番の工場街が壊滅。

津波が来た高さで建物が壊されている。

にぎわった商店街も壊滅。街路灯も折れたまま。

時間が止まった時計台。

大型の船が民家の直前でとまった。つぶされた車。

壊滅した市内一円を望む。

沈んだ波止場。

海に近い側の民家住宅が壊滅。

陸前高田側と大船渡側の両方から津波が押し寄せ瓦礫が押し寄せた子友地域

家が流され沈んだまま4カ月。

3時40分 お礼を述べて宿舎への帰路につきました。
帰りに陸前高田の名勝「高田松原」を訪れ、残った「奇跡の1本松」を近くで見てきました。ここは、千本といわれる沢山の松が防風、砂「防波」林として密集して植えられていた場所です。
津波前の松原

残った「奇跡の1本松」

明日は、また陸前高田にもどって、朝からボランテイア活動をします。
5:30分起床
6時30分出発 コンビニで朝食と弁当購入
陸前高田を経由し大船渡市へ
8時着 日本共産党 岩手県 気仙地区 着 秋田から支援に来ていた方にあいさつ

時間があったので 近所を散策 津波の跡の一部を散策
不通になって瓦礫が散乱する岩手鉄道

歩道にタンクらしいものが置き去りに

市民体育館 市の物資受け入れ場所になっていた
津波の水の跡が残る

遺体安置所 勤労青年者会館

9時 地元3人市議の内、田中・三浦2人の市議からこの4カ月の説明と今日の行動の説明を受ける。3市議の内2人が津波で家を流された。
約3600世帯が流された。5月中旬から仮設住宅に移った。工場が壊滅、失業、漁業も、カキの養殖など3年間見通しがない。ワカメもこれから取り入れという時に流され、種付け、種移しとこれからで1年収入がない。失業か失業保険が頼りの生活。仮設住宅が建ったが、入って入れるには3から4年。仮設住宅が学校のグランドに立っているので、学校の生徒児童の遊び場がなくなりストレスがたまっている。恒久的な公共住宅の建設が急がれる。
津波は想定地区外のこの地区委員会も机の高さまで水が着た。
課題は、300戸の仮設住宅でコミニテイーがバラバラこれをどうつくるか、市全体の復興計画案を現在作っているが国の対応がどうななるかが大きい。
この間、仮設シート広げて青空市を行い被災者に全国からの物資を提供してきた。戸別の訪問で要望を聞き、行政に届けてきた。今日も、その活動をおこなった。
2つにわかれて、仮設住宅の戸別訪問で要望を聞く。
無料青空市で全国の支援物資を届ける。
市総合運動場にできた仮設住宅を訪問し、その1角にブルーシートを広げ、食器、雑貨など日用品、靴、衣類、文具など並べて無料で必要なものをもっていってもらう活動に参加した。気仙地区事務所に集まった仕分けされた物資を段ボールごとトラック車に積み込み、おろして種類ごと並べる。各戸を回って、「9時50分から 青空市やってま~す」と呼びかける。
300戸の住宅で、まだ入居が決まっていなかったり、仕事など出かけて留守が多いが、続々と住宅入居者が集まってくる。

物資が飛ぶように「売れる」。「醤油さしがないの?」「バス用クッションがほしかった」とか要望も聞きながら物資を渡す。中には「ああ生きてたのね」と出会いの場になることも。仮設入居者が孤立しないように、家に閉じこもりにならないようにすることでも重要な活動だ。「ここまできてくれるのはお宅とこだけ」と声が返ってきます。
12時前には、半分以上の物資が無くなり、後片付け。ちょうど雨が降ってきた。車に荷物を積み込み、「雨ですよ、洗濯物をかたづけて」と周りに声をかけて大雨のなか住宅を後にしました。
午後からは、1時30分から午前中の活動交流を約30分行ったあと、大船渡市内の地震と津波の状況を田中市議などに案内してもらいました。
市内一番の工場街が壊滅。

津波が来た高さで建物が壊されている。

にぎわった商店街も壊滅。街路灯も折れたまま。

時間が止まった時計台。

大型の船が民家の直前でとまった。つぶされた車。

壊滅した市内一円を望む。

沈んだ波止場。

海に近い側の民家住宅が壊滅。

陸前高田側と大船渡側の両方から津波が押し寄せ瓦礫が押し寄せた子友地域

家が流され沈んだまま4カ月。

3時40分 お礼を述べて宿舎への帰路につきました。
帰りに陸前高田の名勝「高田松原」を訪れ、残った「奇跡の1本松」を近くで見てきました。ここは、千本といわれる沢山の松が防風、砂「防波」林として密集して植えられていた場所です。
津波前の松原

残った「奇跡の1本松」

明日は、また陸前高田にもどって、朝からボランテイア活動をします。