7月14日(木)
6時30分起床
7時出発
約1時間半かけ移動
9時 陸前高田市日本共産党・市民の会共同支援センター着
9時30分 テントたてや青空市の物品並べなど準備。今日から大阪の支援隊が一部帰り、和歌山の支援隊が新たに参加。和歌山の支援隊は陸前高田市議団長から説明をうける。
午前10時から地域訪問にはいりました。和歌山と大阪から来ている支援隊で陸前高田市の南の端にあたる気仙町二日市(ふつかいち)の小さい港に訪問活動。
海側から津波が襲い、中腹まで壊滅状態、多くは高台に避難しましたが、いったん避難した方が欲しいもの探しに家に取りにもどり亡くなった方もいるといいます。
海を見下ろす高台でおばあちゃんの話をうかがう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/bc/cd1a9fbb9022cf0237ca690a60d1eed0.jpg)
海側からの写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/62/82ed66190fd1381060dd8073529a09c4.jpg)
10数件訪問。5件と対話。
数班に分かれて気仙町にはいりました。床鍋委員長と名手は、海岸近い一番被害のひどい地域から高台へと順に訪問しました。
山側からの写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c3/18a73665c15dcfb5c1c9916d49677043.jpg)
・一階の天井まで水が来て今は2階で暮らす。1階は修理工事中。下の海沿い瓦礫がいまだに残り、ハエが大量にあがってきて困っている。ペットボトルのハエ対策装置にはハエがいっぱい入っていました。
・海沿いの父の工場がつぶれて働く場がない。親戚10数人が亡くなった。私も、大船渡で水産加工の仕事をしていたが、工場は流された。仕事がない。父の船が流され漁業ができない。「エゾイシカゲガイ」の養殖をやっていたがそれもながされた。今、仕事がない。できないのが一番の困ったこと。
・姉が被災して、80歳なので点滴をうったりで仮設住宅での一人暮らしでは生活が困難なため、私の住宅にプレハブを作り引き取ったが一切公的支援がなかった。仮設へ入り、普通に1人で生活できたら問題ないがそうできない人への支援があるべき。
などなどご要望をいただきました。一人暮らしのおばあちゃんに合い津波の様子や家族のことをお聞きしました。
午後から
共同支援センターの周りの草が伸びてきたので、草刈りをしました。草刈り機がうまく動かず、鎌と手でちぎりとりました。その後、午前中の、気仙町のお宅で草刈りの要望が出ていた理容店の周りの草刈りを和歌山の支援隊が行っているのを手伝う。ほとんど終わっていたので、しっかりお礼のアイスをいただきました。
また、「ハエ対策を」の要望にこたえて、ハエ取り紙と蠅たたきをとどけていただきました。
気仙町に移動する手前で海沿いにあった市立気仙中学校が全壊 生徒は大丈夫だったの?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/82/8807a847980583da45bfb181e12931f0.jpg)
3時過ぎから青空市の物品などあとかたづけ、3時30分から 市議団長、事務局長も入り1日の報告や交流が約30分行われ4時過ぎに解散しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/9d/69ed0ea2fcbd8afce512fa0279940882.jpg)
一関の共同宿舎にもどる途中、いつもの風呂場が休みのため、今日は一関簡保の宿まで足を延ばし一日の汗をおとして帰りました。警視庁の宿舎になっており、警察の部隊が帰ってきていました。夕食を帰りの店で済ませ、現在、一関の両磐地区共同支援センターでブログの仕上げをしました。
明日もまた、朝9時半から陸前高田市に入りボランテイア活動をします。
6時30分起床
7時出発
約1時間半かけ移動
9時 陸前高田市日本共産党・市民の会共同支援センター着
9時30分 テントたてや青空市の物品並べなど準備。今日から大阪の支援隊が一部帰り、和歌山の支援隊が新たに参加。和歌山の支援隊は陸前高田市議団長から説明をうける。
午前10時から地域訪問にはいりました。和歌山と大阪から来ている支援隊で陸前高田市の南の端にあたる気仙町二日市(ふつかいち)の小さい港に訪問活動。
海側から津波が襲い、中腹まで壊滅状態、多くは高台に避難しましたが、いったん避難した方が欲しいもの探しに家に取りにもどり亡くなった方もいるといいます。
海を見下ろす高台でおばあちゃんの話をうかがう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/bc/cd1a9fbb9022cf0237ca690a60d1eed0.jpg)
海側からの写真
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10数件訪問。5件と対話。
数班に分かれて気仙町にはいりました。床鍋委員長と名手は、海岸近い一番被害のひどい地域から高台へと順に訪問しました。
山側からの写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c3/18a73665c15dcfb5c1c9916d49677043.jpg)
・一階の天井まで水が来て今は2階で暮らす。1階は修理工事中。下の海沿い瓦礫がいまだに残り、ハエが大量にあがってきて困っている。ペットボトルのハエ対策装置にはハエがいっぱい入っていました。
・海沿いの父の工場がつぶれて働く場がない。親戚10数人が亡くなった。私も、大船渡で水産加工の仕事をしていたが、工場は流された。仕事がない。父の船が流され漁業ができない。「エゾイシカゲガイ」の養殖をやっていたがそれもながされた。今、仕事がない。できないのが一番の困ったこと。
・姉が被災して、80歳なので点滴をうったりで仮設住宅での一人暮らしでは生活が困難なため、私の住宅にプレハブを作り引き取ったが一切公的支援がなかった。仮設へ入り、普通に1人で生活できたら問題ないがそうできない人への支援があるべき。
などなどご要望をいただきました。一人暮らしのおばあちゃんに合い津波の様子や家族のことをお聞きしました。
午後から
共同支援センターの周りの草が伸びてきたので、草刈りをしました。草刈り機がうまく動かず、鎌と手でちぎりとりました。その後、午前中の、気仙町のお宅で草刈りの要望が出ていた理容店の周りの草刈りを和歌山の支援隊が行っているのを手伝う。ほとんど終わっていたので、しっかりお礼のアイスをいただきました。
また、「ハエ対策を」の要望にこたえて、ハエ取り紙と蠅たたきをとどけていただきました。
気仙町に移動する手前で海沿いにあった市立気仙中学校が全壊 生徒は大丈夫だったの?
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3時過ぎから青空市の物品などあとかたづけ、3時30分から 市議団長、事務局長も入り1日の報告や交流が約30分行われ4時過ぎに解散しました。
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一関の共同宿舎にもどる途中、いつもの風呂場が休みのため、今日は一関簡保の宿まで足を延ばし一日の汗をおとして帰りました。警視庁の宿舎になっており、警察の部隊が帰ってきていました。夕食を帰りの店で済ませ、現在、一関の両磐地区共同支援センターでブログの仕上げをしました。
明日もまた、朝9時半から陸前高田市に入りボランテイア活動をします。