hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

首ったけ、里帰り、忸怩たる、塗炭の苦しみ

2021-10-12 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その33。このブログを書いているとついつい難しい表現ばかり気がいってしまうのだが。先日、あるクイズ番組で『首ったけ』とは人の身体のどこからどこまでいうのでしょうというのがあった。そういえば知らないなあ。

そもそも『首ったけ』という言葉を使った表現は榊原郁恵の『夏のお嬢さん』の歌詞と片岡義雄の小説のタイトル『ボビーに首ったけ』くらいしか知らない。調べてみると『首ったけ』の意味は2つあり、①意中の異性に深く惚れ込むこと、②何かに夢中になることである。

転じて『首までどっぷり浸かってしまう』ということで最初のクイズの答えは『首から下全て』であった。

TVを見ていると間違って使う表現に出会うことが結構ある。例えば『里帰り』、これはお嫁さんが出産のために実家に帰る時などに使う表現だが、これを海外に流出した仏像が日本に戻ってきた際に『80年ぶりの里帰り』などと使う。しかし、この場合は日本に戻ってきたものでもう元の国に帰らないのだから、『返還された』と言った表現にするべきなのである。

『忸怩たる』の使い方も難しい。競技会などでよく出てくる表現だが、意味は『自分でやったこと、言ったことについて自分で強く恥ずかしく思うこと』である。言い換えると『情けなく思う』とでもなるだろうか。ただ、『悔しい』『腹立たしい』『憤りを感じる』といったことは含まれないことに注意を要する。よく国会で誤った使い方がされているのだ。正しい使い方としてはオリンピックで選手が実力が出せず、記録が伸びなかった場合に『練習したにも関わらず、力が出せず忸怩たる思いである』となる。

忸怩を構成する漢字だが、『忸』は『はじる』、『怩』も『はじる』、つまりいずれも恥ずかしいいう意味の漢字であり、これが重なった熟語なのである。

最後は難しい表現だが、『塗炭の苦しみ』の意味はわかるだろうか。元々は『塗』が泥、『炭』が火を意味していて『泥にまみれ、火に焼かれるほどの苦しみ』という意味である。
使い方としては『会社の倒産と夫人の逝去が重なり、塗炭の苦しみであった』『あの人は塗炭の苦しみを乗り越えて成功を遂げた』などとなる。

そもそもの出典は中国古代の儒教の五経の一つである『書経』に『有夏昏徳にして民塗炭に墜つ』とある。これは『夏の国王(傑王)が不徳の暴君であったため、国民は泥にまみれ、火に焼かれるような苦しみを味わった』という意味である。

こういった表現の正確な使い方は調べてみて初めて分かる、やはり日本語は難しい。