いつもとほぼ同じ時間に事務所を出て、いつもと同じ経路で帰宅した時のことである。帰宅時間の京王井の頭線は急行と普通が交互に出発する。私の下車する駅は急行停車駅のため、渋谷駅1番線に並ぶ。乗る車両もほぼ同じ、この日は2人ずつ並ぶ2番目で次に来る電車を待っていた。
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一つのドアに並ぶところが2列ずつ2つあり、私の列は進行方向前の方である。折り返しの1830発の吉祥寺行急行はドアが開くと乗客が降り、乗る人は一斉に座席に座ろうとする。私は進行方向左側に座るが、斜め前にあたる右端の座席に飲みかけの蓋のしまった『いろはす』285ml入りの小さなペットボトルがあることを発見した。まるで梶井基次郎の『檸檬』のようにである。
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斜め前のため、そのペットボトルを繁々と見ていたが誰も退ける人はおらず、他の座席は全て埋まる。しかし、ペットボトルがちょこんと席の中央に置かれたまま。これをどけて座る人はいない。そのうち前に立つ人が増えてきたため、視界から離れたが、チラッと見てもその席にはやはり誰も座っていないのである。
電車は定刻1830に発車、下北沢駅でもかなりの乗降はあるが、相変わらずペットボトルはちょこんと座っている。
ところが次の明大前駅に到着直前に学生がペットボトルを床に置いたのである。しかし、学生は座るわけではなく、明大前駅で降りていった。
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席を注意深く観察していると頭が薄いおじさんが空いている端の席を見つけて座った。経緯を知っている隣の人は怪訝な顔をしている。もちろん、おじさんはそんなことは知る由もない。
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話はこれだけのものだが、これがコロナの感染が始まる前であれば、誰でも席に置いてあるペットボトルを床に置き、詰めて座るであろう。しかし、僅かな間に誰が触れたものかわからない物には手を触れないというのが日本人の常識になってしまったようである。もちろん、私も触ることなく、久我山駅で1847に下車した。
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ちなみに椅子の下に置かれたペットボトルは私が久我山駅で下車するときも同じ場所にやはり置かれていた。
こんな風景がふと気になったので駄文をしたためたが、世の中変わったなあ、と実感した。