『東京の坂、日本の坂』その212。今回は坂道と川歩きのコラボ企画である。小田急線成城学園前駅から仙川を遡りながら、坂道も歩くことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/27/bff4fe70cfbc789e17517e33172d107f.jpg?1716852877)
成城学園前駅に到着したのが平日午後3時半、ここから仙川沿いを歩き、途中にある坂道を巡る。駅北口を右の方に向かうと学生、特に女子学生がどんどん増えていく。当たり前、というのは成城学園があるからで、その横を川に突き当たるまで歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/4d/21b4bcc141b04e9c4659e381e7d535b1.jpg?1716852901)
下り坂となり、小田急線の陸橋と交差しているのが『成城橋』、さらに川上に行くとすぐの所に『東原橋』がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/05/bbe8178300251d76811982629197cb95.jpg?1716852928)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/5f/4a54b496842a6ccb07d9caa3635b4586.jpg?1716852928)
この辺りまで来ると学生の姿もぽつりぽつりとなる。左側には成城大学の校舎、対岸は高級住宅地となっていて庭のバラが綺麗に咲いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a6/15edd88e9d5a66dd52e0e5b94ea19bff.jpg?1716852953)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/5c/21622b854fedb6baf4e9872f5ac59d5a.jpg?1716852953)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9f/5699b4702e59d4f95dfca568a2ab1d75.jpg?1716852953)
少し行くとトラス橋が見えてくるが、橋脚はそれぞれ大学の敷地の中にあり、一般の人は通行不可となっている。川を挟んで校舎などがあるために作られた橋なのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/84/708fe65ce1be467f9ca92ff2ba6f8db8.jpg?1716852974)
この辺りの仙川は幅も狭く、透明で川底も見ることができる。また、川の真ん中にできた地面からは草が茂り、葉の色もかなり濃くなってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/b3/f84d44a6b7181cc1573daae508d644ae.jpg?1716852998)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a9/2335ed8921fff859baae92d26e18d382.jpg?1716852999)
『さくら橋』を渡ると大学のグラウンド、広々としている。この辺りから川幅が広くなり、また水面からの高さが高くなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ae/e860d1c710978821962cf66c3e6fdec3.jpg?1716853032)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3e/193576857f8faf508ef9bafe3233ad7a.jpg?1716853033)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/d6/9aeff6c3cb681ab4a559997a4614f834.jpg?1716853032)
『稲荷山橋』の先では白鷺が魚を探している姿を偶然発見した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/78/79254d2575cbadfbc951166e3f009a7f.jpg?1716853064)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/53/c2c7371617a60542db9e0e1ad12c0b4f.jpg?1716853066)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/8c/2a2429921bc3342fde7b064ede288944.jpg?1716853064)
『大石橋』まで到着、この辺りは凡そ400m毎に橋が作られていて、その間隔にかなり距離を感じる。ようやく『鞍橋』に到着、右前方は都立祖師谷公園となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a0/c207d5870609b5bf171f8223e90b2eef.jpg?1716853122)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/23/8d48b14145247801e81f70558c85fe55.jpg?1716853123)
変形4叉路の最も左道を歩くと上りの緩い坂道。これが『金兵衞坂』、由来は付近にある加々美家が坂下に隠居所建てたからとWebには書いてあった。しかし、金兵衞のどのように繋がるのかはわからない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/98/99dea988a7aa7818dd81d0cbffdbe86a.jpg?1716853154)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ca/1e349d346cb2d50ce893fe3909a36daa.jpg?1716853154)
再び鞍橋まで戻り、祖師谷公園を横切り歩く。道は突き当たるのでこれを右に曲がり、3本目を左に行くと上り坂がでてくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/9f/6857991534878a2b84a1aedaab154047.jpg?1716853190)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/56/8b8b11c033e655ae8234f3b8df011143.jpg?1716853190)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/02/3f0698145e587b3b1027bfa5e379cf16.jpg?1716853191)
これが『弔い坂』、細い路地のような道だが、東側が祖師谷、西側が上祖師谷に分割されていて1695年の検地の際に作られた。
この道をまっすぐ行くと安穏寺に至るのだが、死者を載せた輿を若者が担いで歩く弔い道であったためである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/a8/aefacf3c55cbdb1eff97246b3a184256.jpg?1716853240)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/2a/5a1e7239689be85f46f3368f2c6dac66.jpg?1716853240)
畑もあるのんびりした風景。坂を降りて左に行くと何もない所に鳥居があり、草も刈られていない中に小さな祠がある。今は看板も壊れていてわからないが、神明社とあったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/99/9300362c78f4c2e76d64c2e2170cd3a4.jpg?1716853289)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/25/3a94ab023919cad9cc8eb739a9532f28.jpg?1716853289)
明治時代初年まではこの地に熊野神社と稲荷森稲荷社があったが、この二つは明治7年に合祀、さらに明治43年に神明社と合祀。現在は小さな祠と庚申塔のみが残されているのである。(以下、次回)