hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東京の街をぷらっと⑪〜秋葉原駅→小伝馬町駅

2024-06-13 05:00:00 | 日記
『東京の街をぷらっと』⑪。約2年ぶりの企画、東京の街をぷらっと歩きながら色々な史跡を巡る散歩。復活の初回は『秋葉原駅〜小伝馬町駅』を歩く。



秋葉原駅と言うと『電気街とAKB』少し前ならば『メイド喫茶』が有名だが、昭和通り口を降りて右に曲がると神田川に架かる和泉橋に出る。東京メトロ日比谷線秋葉原駅出口前には書泉グランデ。鉄道ファンならば大概の人が知っているかなりマニアックな書店である。



和泉橋は江戸時代の地図に『いづみ殿橋』とあり、川の北側に藤堂和泉守の屋敷があったからとも、築城の名手といわれた藤堂高虎が創架したからとも言われている。1892年には鉄橋となり、今の橋は1916年に作られた長さ35.8m、幅44mの鋼橋である。即ち、関東大震災も太平洋戦争にも耐えた橋である。橋の横あたりには非常時に使われる防災船着場もある。



江戸時代頃は和泉橋から見て左側の岸は『柳原土手』と呼ばれ、土手の上を人が通り、下には古道具や古着を扱う葦簾張りの店が並んでいて繁盛していた。土手は1873年に壊されたが、須田町に軍服を扱う羅紗問屋ができたこともあり、橋を渡り、次の柳原通り沿いには多くの衣料問屋が立ち並んでいた。



昭和通りに沿ってまっすぐ行くと次の大きな交差点が岩本町、一八通り沿いの交番の奥に行く。



すると左に石碑が幾つかあるが、1つが『玄武館、瑶池館』跡の石碑。玄武館は千葉周作が開いた北辰一刀流の道場で練兵館、士学館と共に幕末三大道場と言われたとある。

その隣の『千桜百年の碑』は千桜小学校の百年の記念碑である。ただ、他の都心の小学校同様に生徒減少から1994年に神田司町にある神田小学校に統合され、今跡地は高層マンションとなっている。



(緑で囲んだ地点)

再び、岩本町交差点に戻る。昭和通りと水天宮通り、さらに靖国通りが合流する三角地帯に行く。不思議なもので周りはたくさんの車が行き交っているが、ここ土地だけは青い草が生い茂り、不思議な雰囲気を醸し出す。



ここが『馬の水飲み場』である。説明板には『江戸時代より房総や東北方面からの物資輸送(米、野菜、魚介類、材木など)のための荷車を引く牛馬の水飲み場として、また旅人の休息場として重要な役割を果たしてきた』とある。(地図に緑のマークした場所)(以下、次回)