hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『水害に向き合う』展を見学する

2022-09-03 05:00:00 | 日記
9月1日は防災の日、この起源を知らない人はまずいないだろう。正解はもちろん、大正12年9月1日に発生した関東大震災を教訓として地震などの備えを怠らないように定めたものである。しかし、平成23年3月11日に発生した東日本大地震など大きな被害を被る災害がその後も幾つも発生している。

大正後期から戦前期に同和火災の廣瀬鉞太郎氏は18世紀〜20世紀初頭までの災害記録1400点を収集、その流れを汲むあいおい ニッセイ同和損保では毎年防災の日にこれらの資料を一般に公開している。

昨年は『火災』がテーマであったが、今年はそのpart2として『水害と向き合う〜暴風と洪水の恐怖』と題した企画展が日本橋にあるUnpel Galleryで開催されている。今回は偶然、台風11号が接近するタイミングとなった。私は当時の記録、津波や浸水被害をどのように先人たちは伝えたのかを見に行くことにした。



展示物の中で目を引くのは『弘化丁未春廿四日信州大地震山頽川塞堪水乃図』、1847年5月7日に発生した善光寺地震の自然災害の状況、特に河川閉塞を描いた図である。写真がなかった江戸時代においてもここまでの記録が作り得たのか自体が驚きである。



因みに1847年5月27日に地震によりできた堰き止め湖が決壊し、山津波となったが、監視役を起き、狼煙で伝えることができたため、被害は最少限に留めることができたらしい。情報伝達の重要性は当時の人もよく知るところのようである。



ほかにも『慶應四戊辰年大洪水細見図』では関西地区の被害の状態、『江戸十里四方大風出水焼失場所付』は安政3年8月に発生した江戸の台風被害(高潮と暴風で10万人死亡)の状態など細かく描写されている。



特に後者は日本橋小網町や茅場町などよく知っている地名が出て来たが、当時は今よりもはるかに海が近く、被害も大きかった。



明治以降は罹災の状況を写した絵葉書、『両親愛子の最後を見送るの図』など状況の記録だけではなく、感情移入できるような絵や写真が展示されていた。明治に入ると記録だけでなく、現場のリアルな状況を伝えるようになったことが分かる。

北は青森県から南は広島県まで広い範囲の記録が展示されていて興味深い展示であった。驚くのは資料の保存状態の良さ、さらに色を付けたものの鮮やかさである。今から170年も前に版画で刷られたとはとても思えない。



会場は以下の通り。会期は〜9月25日、入場無料、休館日は月曜日である。
UNPEL GALLERY
中央区日本橋3ー1ー6
0335487780


最新の画像もっと見る