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『東京の坂、日本の坂』その195。今回は古墳巡りで訪れた等々力周辺の坂道を巡ってみた。
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まずは東急大井町線等々力駅から目黒通りに向かい、等々力不動尊の前あたりから下る坂道が『等々力坂』である。
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目黒通りは片道2車線の広い通りだが、等々力不動尊前あたりから下り坂がキツくなり、丸子川あたりまで続く長い坂である。
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名前の由来は地名からではあるが、『等々力』の名前の由来は等々力渓谷の川や滝の音が轟いていたことから付けられたとされている。同じような地名が青森県の『驫木』、福島県の『百目鬼』(どうめき)などと同じと考えられている。
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等々力不動尊から目黒通りを渡り、御岳山古墳の横をまっすぐ行く。突き当たりを右に、さらに次を左、見事な欅の木を右に曲がっていく。
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自動車通行止の案内をまっすぐ行くと階段坂となるが、これが『地頭坂』。山自体が地頭山と呼ばれていたため付けられた名前。
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途中に『大日如来尊』と言う小さな石の標識があり、細く崩れかけたような石段が続く。これを登ると3つの祠が現れた。
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左から地蔵菩薩、真ん中が大日如来立像、右が地蔵菩薩となっている。実はここが大日塚古墳で大田区郷土博物館の当時の館長西岡氏によって1930年に発掘された円墳なのだが、あまり詳細が分かっていない。
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坂に戻り、1番下まで降りると反対側に上り坂が現れた。これが『向田坂(むこうで坂)』で坂の下にある田圃に行くための坂から付けられたと思われる。因みに左右とも豪邸が並んでいた。
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等々力不動尊に戻り、坂を降りて行き、次の信号を右に曲がり、郵便局の次の道(左右)が『浄音寺坂』である。
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坂は丸子川に架かる天神橋まで続く左右に曲がる坂道。
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今も墓地だけが残る浄音寺は江戸時代天保年間に焼失して今は残っていない。坂道を示す小さな石の標識が建てられている。
等々力は国分寺崖線に向かう坂道は多いが、名前の付けられたた坂道はこの程度である、