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『東京の坂、日本の坂』その184。引き続き中井から高田馬場あたりの坂を巡る。見晴らし坂を上り、そのまままっすぐに歩く。
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(カラスウリの花)
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だんだん道が狭くなり、不意に階段の上に到着。階段の下は新目白通り、山手通りとの交差点を反対側に渡り、右にいく。二又になるが、左側に上る坂道、これが『市郎兵衛坂』である。
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案内板によると『豊多摩郡誌によれば市郎兵衛坂、中井道、字不動谷と前谷戸との間にあり』とある。また、坂道の名前の由来についてははっきりしない、ゆかりのある人名をとったものと思われる。つまり分からないみたいである。
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この細い坂道は緩く、登ると今度は下り、新目白通りに合流する。新目白通り開通前はもう少し長い坂ではなかったかと思う。
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(新目白通りとの合流にある標識)
新目白通りを少し行くと左に一度曲がり、ここから急坂となってぐねぐね登って行く坂が『霞坂』。新目白通りの歩道橋も霞坂歩道橋と名付けられている。
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霞坂は明治時代に開かれた坂道で、坂下が一面田んぼであったため、春霞が立つのんびりとした田園風景が美しかったので付けられた名前であろう。
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この坂道も勾配がきつい上にグネグネと曲がっていて下から頂上が見通せない。上まで登るがかなりくたびれる。
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再び、坂を降りてまた新目白通りを行く。少し先を左に行く細い道があり、これを行くと鋭角に戻るような急坂が現れる。
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これが『西坂』で、江戸後期の絵図にも名前が残されている。かつては坂上にあった徳川男爵邸の牡丹園は盛時には一般公開され、落合の名所の一つであった。
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この坂道も幅は狭く、蛇のように曲がっているが、左右は高級マンションや老健施設となっている。歳を取ってからこのきつい坂道を登ったり、降りたりするのはかなりきついだろうと思いながら坂を登った。
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(以下、次回)