hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『関東三十六不動尊巡り』⑭〜第12番志村不動尊

2024-08-02 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』⑭、今回は第12番札所、南蔵院(寳勝山、志村不動尊)にお邪魔した。地下鉄都営三田線本蓮沼駅から徒歩3分と交通至便なところにある。本蓮沼駅を降りると目の前に国道17号が走っているが、A2出口を出て右に向かって歩くと石材屋さんのお隣に目指す札所のお寺が現れた。

東京には南蔵院というお寺は複数あり、私の義父のお墓は豊島区にある南蔵院、ほかに練馬区中村にある南蔵院は万病に効く白龍丸が有名であるし、葛飾区東水元にある南蔵院はしばられ地蔵が有名、この他に葛飾区立石・新宿区神楽坂にもある。南蔵院は真言宗のお寺が多いが、何で南蔵院が多いのかはわからない。



志村の南蔵院は山門は新しく(2019年に改修)、掃除も行き届いている。境内に入るとすぐのところに3つの石仏が並んでいる。これは羽黒山・月山・湯殿山の出羽三山で構成されていた。



正面に本堂、その横に地蔵尊、左側に不動堂がある。まずは本堂にお参りに行くがガラス戸があり、中の様子はわかるが、カギが掛けられていた。1978年に再興された新しいもので、ご本尊の十一面観世音像が安置されているようだが、見ることは叶わなかった。

次に不動堂に行く。こちらの不動尊は当院の末寺であった『命王山金剛院』の本尊であった。1927年に当院に合併、本堂ごと移築された。


安置されている不動尊は怖いというより、親しみやすいお顔をされているが、これは2021年に籔内佐斗司氏(奈良県のキャラクターせんとくんの作者として有名)作と寺務所で教えてもらった。なるほど、怖いお顔ながら親しみやすいわけである。



南蔵院の由緒は1630年頃に新井三郎盛久の一族が戦乱を避けてこの地に土着、蓮沼を開墾し、その際に開基したものと伝わる。ただ、度重なる出水のため、記録は失われてしまっている。1722年に8代将軍吉宗の遊猟の際膳所となり、白銀を賜っている。この頃に志村坂下から現在地に移転した。

春には境内の枝垂れ桜が咲くと美しいとのこと。あまり広くはないですが、きちんと配置されていて気持ちの良いお寺でした。また、不動様のなんとも言えず優しいお顔が印象的な札所でした。


『昭和レトロカレー』巡り②〜吉野家

2024-08-01 05:00:00 | グルメ
『昭和レトロカレー』②。カレーライスは立喰そばやラーメン屋、牛丼屋などでもサイドメニューだけでなく、メインに次ぐメニューにしていることも多い。これが昭和レトロカレーに入るのかはよくわからないが、食べるとレトロなカレーの味がすると私が考える吉野家に行く。

吉野家のカレーは大別すると2種類あり、バターチキンカレーとスパイシーカレー。今回の趣旨からスパイシーカレーに焦点を当てた。肉の種類と量で牛スパイシーカレー(589円)、牛カルビスパイシーカレー(699円)、肉だくスパイシーカレー(699円)、牛×牛スパイシーカレー(864円)などがある。今回は肉だくスパイシーカレーを頂く。

小伝馬町の吉野家は弁当の入口と通常の丼の入口が異なり、通常入口から入店。近年、立喰そばは食券を先に買うシステムとなっていることが多いが、吉野家は相変わらずフロアの店員に注文をする。予め決めておいたので『肉だくスパイシーカレー』をお願いする。

すぐにお冷登場、わずか1分後にはカレーが到着。まあ、ご飯を入れて、これに牛丼の具を乗せ、最後にカレールーを注ぐだけだからである。

器は普通のカレーライス皿よりは丸く、丼よりは横長、深めの皿に入ったルーをまず一口。熱く、スパイシーでかなり辛味も強い。これだけなら昭和レトロカレーとは言えないだろう。しかし、牛バラを煮込んだ具が甘口のため、カレーと具を一緒に口に運ぶとうまくバランスが取れ、懐かしい味となる。

もちろん、牛丼として食べる場合はルーのない部分の牛バラとライスを掬って食べれば牛丼となる。不思議なカレー、しかし食べるとクセになる。

福神漬やラッキョウはなく、皿の空いたところに紅生姜をたっぷり乗せ、カレーと一緒に食べる。すると塩気も効いて、味変完成である。肉だくだけあって牛バラ、玉ねぎはたっぷり、具は2種類だけのシンプルさもいい。ルーのスパイスのバランスを考えた上で牛丼の具を生かすメニュー、これはかなり上級のテクニックを使ったものである。

うん十年前の牛丼と牛皿しかないなど昔話、吉野家も小鍋を煮るすき焼き定食、サバ定食(鯖塩焼き+牛皿の定食)、鰻丼などバラエティも豊かになっている。ご馳走さまでした。

吉野家小伝馬町店
中央区日本橋堀留町1ー11ー10
0356458140