この“革命の物語”を読めば、誰だって「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(J.D.サリンジャー)を連想するはず。在日三世で、日本語を母語として育ち、しかし小学校高学年で差別にさらされ、朝鮮学校に入学するジニという少女が主人公。
まず、この朝鮮学校の描写が(作者の経験だろう)圧倒的。生徒たちはチマ・チョゴリを着用し、金日成と金正日の肖像画が各教室にある、その事実に彼ら自身が何を考え、何を“感じていないか”。
クラスでひとりだけ朝鮮語が話せないジニ。そのためにクラス全体の学習が日本語で行われることになる。当然、ジニを白眼視するものもいて、彼女にとって朝鮮学校もまた安住の地ではないことがあらわになる。
そんなとき、北朝鮮が“飛翔体”を発射し、日本全体が怒りをあの国家に向ける。ジニは学校からの連絡がなく、他の生徒が体育着で登校しているのに、ひとりチマ・チョゴリで電車に乗ってしまい、ある事件に遭遇する……。
わたしたち日本人は、島国に育ち、まわりがすべて日本人であるという環境が自明のこととして暮らしている。だから異物(みずからが取り込んだにもかかわらず)を排除する輩が後を絶たない。要するに島国根性である。
しかし在日であり、朝鮮語が話せないジニの寄る辺なさ、哀しさは、“金日成と金正日の肖像画の存在に何の疑問もいだかない”朝鮮学校の生徒たちとの相克で倍加する。このままではジニに居場所はない。そこで彼女がとった行動が、自分のような子どもを救うためなのだとするあたり、ジニはホールデン・コールフィールドと同根なのだとやはり思える。彼らの地獄めぐりは、まだ終わらない。
群像新人賞受賞作。朝日新聞に全面広告を掲載するなど、講談社はこの作品に賭けてます。ヘイトスピーチとかをかましている連中に、ぜひ読んでほしい。あんたたちのやっていることは、安全な場所にいることを誇っているだけだ。