およそ一筋縄ではいかない映画でした。「ゆれる」「ディア・ドクター」「夢売るふたり」などの西川美和監督は小説家としても有望株で、この作品の原作で直木賞候補になっている。その先入観があるからか、画面の隅々にまで彼女の意思がきっちりつまっているのがひしひしと。
たとえばオープニング。美容院を経営している妻(深津絵里)に、自宅で髪を切ってもらっている小説家キヌガササチオ(本木雅弘)。夫のスマホに不倫相手からメールが入る。横目で見る夫。妻はそのまま友人とバス旅行に出かける。急いでスマホを手に取る夫。そこへ急にもどってくる妻。スマホを放り投げる夫。テーブルの上でストラップだけが揺れている……妻はそれを見ているのか見ていないのかも判然としない。夫婦の微妙な関係がこのシーン一発で理解できる。
たとえば髪の毛。山形でのバス転落事故で妻を亡くし、妻以外にしばらく切ってもらっていない夫の髪の毛は、ラストに向かってどんどん伸びていく。彼だけでなく、面倒をみることになった妻の友人の子どもたちの髪の毛も、彼らの心象風景のように描かれる。
妻の死に泣けない、うすっぺらいことしか言えない小説家を、本木雅弘はあいかわらず達者に演ずる。意外なほどゆるんでいる身体がどんどん締まっていくのも計算だろうか。苦手な深津絵里も、腹にいちもつ抱えた妻の役にぴたりとはまっている。
しかしそれだけだと観客はしんどいので、そら恐ろしいほどに自然な演技の兄妹の存在が画面を救う。とにかくめちゃめちゃにかわいいのだ。そんな兄妹を助けることで、小説家も次第に救われていく……という展開にもならないあたりがこの映画の意地の悪さ。でもラストは感動につつまれる。やるなあ。
どんな登場人物も正解にたどりつけないなかで、あの池松壮亮が生活者としてしっかりしていたり、黒木華が不倫相手として淫らだったりする展開もおみごと。人間のもろさと地震を関連づけるなど、うなる。ところで、マキタスポーツと木村多江はいったいどこに出てたんですかっ!