お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

ビハーラ基本学習会にて

2006年09月25日 | 仏教
 先日のビハーラ基本学習会では、以前K病院緩和ケア病棟の医師で、現S病院院長の大変興味深いお話を伺いました。
 
 現在、若い医師は、末期ガンの告知も、はっきり伝えることが多いらしい。
 
 末期ガン患者と家族の選択肢として、

 1・緩和ケア(ホスピス)病棟で、家族共々にしたいことをし、食べたいものを  食べ、痛みだけ取り除き、穏やかに死を迎える。
 2・抗ガン剤を使って、あくまでもガンと闘う。
  中には、新聞、雑誌に紹介されているような民間療法にすがる家族もいる。
  しかし、その心情はわかるので、咎めはしないこと。

 1を選ぶには、本人も、家族も日頃の人生観がしっかり出来ていないと、素直に静かに、明るく、心穏やかに「死」を受け入れることはできないと思う。
 特に若い人、子ども達が「死」に直面した時、家族の動揺が大きいでしょう。
 皆80歳くらいまでは、生きていて当たり前と思っていますから。

 講師の医師は、「宗教者にどんどん病院に入って来て欲しい」と言われました。医師、看護師は患者の心のケアまでゆっくりと向き合う暇がないのが実情だと。

 これが、キリスト教の神父さん、牧師さんならば、普通に病棟に出入りされて、誰も違和感を感じないのに、何故か仏教の僧侶が「お坊さんの格好」で病棟に出入りするのは、「縁起でもない!」と塩をまかれそうな違和感あり。
 
 いかに今まで仏教の僧侶が葬式・仏事だけに関わり、一般の方々に「僧侶→死」という連想を定着させてしまったか。僧侶の怠慢以外何ものでもない!と、あらためて悲しく思いました。
 
 ビハーラ会員のご住職方が、黒衣、袈裟姿でK病院に出入りし始めた当初、ギョッとされていた看護師さんたちも、今では挨拶してくださるようになったというお話もあり。
 これまでの「葬式仏教」のイメージを払拭するには、僧侶側の熱意と努力と時間が必要のようです。
 
 しかも、僧侶だからと頭ごなしに「説教」するのでは、患者さんが心を閉ざし、引いてしまわれると思う。まずは、苦しみにある方のお話をただ聞かせていただく「傾聴」が大切なのでしょうね。

 
コメント (2)
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