お寺のオバサンのひとりごと

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千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要

2006年09月14日 | 行事・案内
 毎年、首相の靖国神社参拝が国内外で問題になります。
 
 首相の参拝について、各人いろいろな思い、受け止め方がおありでしょうから、それを批判するつもりはありません。また、ウチが寺だから、神社を軽んじているわけでは、決してありません。でも、私は以下のように思います。

 日本のために戦地で戦い、尊い命をなくされた方々、また、大切な夫、恋人、愛しい息子、兄弟、戦友をなくされ、戦後大変なご苦労をされたご遺族、友人の深い悲しみ、犠牲の上に、今の日本があります。
 戦後に生まれ、恵まれた生活をしている我々が、戦死された方々を追悼し、感謝申し上げるのは、当然のことです。決して忘れてはならないことです。
 
 でも、その追悼施設として、「靖国神社」にこだわることに、私は抵抗があります。

・ 日本人は、無宗教的に「神道」をとらえている(当人の宗教に関係なく、自治会費に氏子費が含まれていたりするように、神道を宗教とは思っていない)。
 あるいは、明治以降、戦中までの教育、価値観のまま、日本人にとって神道は特別な宗教になっているが、戦後の憲法では、靖国神社をはじめ一つひとつの神社が、各寺院と同様それぞれ一つの宗教法人にすぎない。

・ 信教の自由、政教分離に基づいて、国はいかなる宗教に対しても中立性を保たなくてはならないのに、首相が特定の「宗教法人 靖国神社」に公的に参拝するのは、憲法に反するのではないか。

・ 神道は日本人だけの民俗宗教であるから、「神道」の名の下に、犠牲になった多くの外国人にとっては、大変憤りを感じる宗教である。 愛する家族を奪い、犠牲を強いた憎い軍幹部までが「神」として仰がれていることに、抵抗・不快感を感じられるのは、理解できる。

・ 日本人でも神道以外に自分の宗教をもっている者は、「靖国神社」では、参拝しにくい。僧侶が黒衣に袈裟、念珠で柏手打つわけにいかないし、キリスト教、イスラム教徒にしても、自分の宗教に基づいてお参りできない。
 海外の要人、例えばアメリカの大統領が日本の戦争犠牲兵士を追悼したくても「神社」ではお参りできない。

 だから、宗教国籍を問わず、誰もが戦没者に気持ちよくお参りできる公的施設整備を望んでいます。 
 それも、兵士だけの追悼施設ではなく、全ての戦争犠牲者を追悼する追悼施設です。
 
 浄土真宗では、毎年9月18日、東京千代田の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて「全戦没者追悼法要」をつとめています。
 「全戦没者」とは、先の戦争の日本人犠牲者のみならず、世界中の戦争犠牲者への思いをこめています。
 
 遺族が自分の家族だけを追悼する・日本人が日本人だけを追悼する・・ではなく、世界の中の日本人として、今後の生き方も含め、どうであるべきかを自らに問う法要です。
 
 
 
コメント (2)
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