お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

工事の重機たち

2007年11月06日 | 行事・案内
 境内東と南側護岸工事のため、岸縁に、故M氏が植樹してくださっていたカイズカ(そのうち数本)と、10月に甘い香りを放っていた金木犀を、境内北側に植え直してもらいました。(ちゃんと根付いてくれるか心配ですが・・・)

 昨日から、久々のまとまった雨。本日は、雨のため工事はお休みでした。  
 久々に静かな境内・・・
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人生相談

2007年11月06日 | 仏教
 昨日の新聞折り込みチラシに
 「人生相談・因縁のサワリ、病相を根本からご祈願、ご供養により開運招福への道をご指導致します・あらゆる凶災から免れる秘法あり」の文字が・・・

 他県のお寺さんのお名前で、10日間、佐賀に出張して、来られているようです。

 「宗教」というものを「思い通りにならないことを祈願するもの」
 「お経」を「思いをかなえるための魔法の言葉、呪文」
と、思いこんでおられる方々にとって、

 本当のこと(生まれてきたからには皆死ぬ とか 生身だから病気もするとか、事故にも遭うとか・・・自分の思いにとらわれては、悩みがつきないとか)を言う宗教は、敬遠され、
 浄土真宗を信心しても、悩みがなくならないならのなら、「役立たず」と思われているような気がします。

 そもそも人生において、「思い通りになる」を前提に生きているのか、「思い通りにならない」ことを前提に生きているのか
 この違いが大きいように思います。

 この違いにおいて、ストレスを感じる度合い、深刻度も大きく異なります。

 幸せを実感できるか、お陰様に気づいて感謝の生活を送れるか この違いも

 人生において、×「思い通りになる」を前提に生きているのか、○「思い通りにならない」ことを前提に生きているのか の違いのように思えます。

 お釈迦様は「人生は苦なり」と仰っています。これは、悲観的に生きるという意味ではありません。

 人生は、思い通りにならないことも多々あることを覚悟して、それを仏の智慧と慈悲の中で、明るく乗り越えて生きよ」ということだと味わっております。

 でも凡夫のお互い、悩みはつきませんね。病気を治癒したり、受験に合格させてあげたりすることは、できませんが、心の苦しみには添わせていただきたいと思います。

 ご一緒に、仏さまに人生相談しながら、生きてまいりましょう

 お気軽にお寺にお出でくださいませ
コメント (2)
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