本願寺から出ている
季平博昭師著『「自分色」のままで・・・』
にこう書かれています。
宗教的に物事を深く考えるとは、私たち一人ひとりの「いのちの尊厳」を考えることにつながると思います。他の人と比べた上での自信のところで一生懸命がんばっているという状況は、世間の価値観に合わせて、自分らしさを殺して生きるということでしょう。(略)自分が自分であることの自信が大事なんだということなのです。
私たちが劣等感を感じたり、嫉妬を感じたりするのは、全て人と比べた上で、自分の心が作り上げた「自分の思い」に、自分自身がが苦しんでいるのですよね。
人と比べた上での負けん気も、自分を奮い立たせ、向上させるためには、必要なことかもしれませんが、そればかりで生きていたのでは、疲れます。
何かの本で読みましたが、人に嫉妬・ねたみを感じるということは、自分がその人と同等だと思っているから、嫉妬するのですって
例えば、私が女優の黒木瞳さんに嫉妬することはありません。最初から違いすぎて比較の対象にならないから・・・
でも、身近な人で、自分と同じ程度と思っている人が、恵まれていたり、称賛されたりしたら、「何であの人が・・・」なんて思ってしまう。
人の幸せを素直に喜べないのは、そこにいつも「比較」があるからなんでしょうね。
比較しない「自分」を生きる。
自分のいいところも悪いところも、仏さまは、丸ごと包んでくださっている。
自分を肯定、自分を大切にできれば、人の幸せに、顔の引きつった作り笑顔でなく、心から素直に喜んであげられるように思います。
自分色を大切にできるということは、人の色も大切に尊重できるのだと思います。

にこう書かれています。


私たちが劣等感を感じたり、嫉妬を感じたりするのは、全て人と比べた上で、自分の心が作り上げた「自分の思い」に、自分自身がが苦しんでいるのですよね。
人と比べた上での負けん気も、自分を奮い立たせ、向上させるためには、必要なことかもしれませんが、そればかりで生きていたのでは、疲れます。
何かの本で読みましたが、人に嫉妬・ねたみを感じるということは、自分がその人と同等だと思っているから、嫉妬するのですって

例えば、私が女優の黒木瞳さんに嫉妬することはありません。最初から違いすぎて比較の対象にならないから・・・

でも、身近な人で、自分と同じ程度と思っている人が、恵まれていたり、称賛されたりしたら、「何であの人が・・・」なんて思ってしまう。
人の幸せを素直に喜べないのは、そこにいつも「比較」があるからなんでしょうね。
比較しない「自分」を生きる。
自分のいいところも悪いところも、仏さまは、丸ごと包んでくださっている。
自分を肯定、自分を大切にできれば、人の幸せに、顔の引きつった作り笑顔でなく、心から素直に喜んであげられるように思います。

自分色を大切にできるということは、人の色も大切に尊重できるのだと思います。