昨日まで自分ちの片付けに追われていた皆さんも、来寺されては、台風被害の話。
市内でも堀立交差点(佐賀市では大きな国道交差点)では、電柱が完全に倒れ、作業の方が大人数で、新しい電柱に取り替え作業があっていたとか、結婚式場の○○トピアでは、昨日停電の中、披露宴が行われていた(まさに、キャンドルサービス!)とか。○○地区は、まだ停電しているとか、どこが停電復旧が早かったとか・・・それぞれにドラマがあったようです。
まあ、ご近所、ご門徒さん皆無事でドラマを語ることができて本当によかった。
今日は早朝から先日お話した総代さんのM氏が来て下さって、畑の手入れと境内清掃(大仕事でした)をしてくださいました。
「坊守さんが、一人で骨病(ホネヤミ)したらいかんと思って」と、M氏。注:骨病みとは、佐賀弁で病気になるほど疲れ果てること 注2:住職は平日は別の勤務をしているので。さっさと仕事に出かけて不在のため
一緒に作業して、昼前には、無事お彼岸を迎えられるようにきれいに清掃できました。M氏に感謝!!
明日は秋彼岸の入りです。
先日若い美容師さんにカットしてもらいながら世間話をしていた時、私が寺に住んでいることを知っている彼女が「お彼岸って何ですか?」と尋ね、私はズルッとイスから落ちそうになりました。(もちろん、私は驚きを表さないが・・・)
でも、案外「お彼岸」って誤解されているかもしれません。以前ご門徒さん方にお配りした文をご紹介します。
お彼岸とは?
単に「お墓参りする日」のことではありません。
煩悩で汚れたこの世=此岸(しがん)に対し、清らかなさとりの世界を彼岸と言います。
親鸞聖人が七高僧と仰がれる一人で、中国の高僧である善導大師の著書「観経疏(かんぎょうしょ)」に「弥陀の王国は日の没するところにある」とあり、お彼岸には、ちょうど太陽が真東から昇り、真西に没するので、西方浄土(阿弥陀仏の極楽浄土)に思いをはせる「お彼岸」の習慣が古くから日本人の生活の中に定着してきました。
「西方浄土」をおとぎ話のように誤解しないでください。
「西方」=「日の没するところ」とは、太陽のように燃え盛る煩悩(自分の思いに執着し、心を煩わせること)が滅するところ、つまり、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)=煩悩の消え去った静かな「さとり」の境地に至ることを例えられたのではないでしょうか。
お彼岸に墓参りなり、お寺の法座が開かれるのは、「さとり」の世界である「お浄土」に往生(往き生まれ)尊い仏と成られたご先祖、亡き家族を生前の思い出として偲ぶだけにとどまらず、私が仏さまから「自己中心の思いに振り回され、思い煩ってばかりいないか」「仏さまにアンテナを立て、チャンネルを合わせて生きているか」の呼びかけ・願いに逢わせていただくためです。
お彼岸は、墓参りをしておしまいではなく、私が普段忘れがちな「さとりの世界」に思いをはせる一週間でありたいと願います。
と、言うわけで法専寺では23日お彼岸の中日に秋彼岸中日法要を開きます。今回は、この台風で敬老会が23日(秋分の日)に延期された地区が多く、いつもより参詣が少ないかもしれません。
市内でも堀立交差点(佐賀市では大きな国道交差点)では、電柱が完全に倒れ、作業の方が大人数で、新しい電柱に取り替え作業があっていたとか、結婚式場の○○トピアでは、昨日停電の中、披露宴が行われていた(まさに、キャンドルサービス!)とか。○○地区は、まだ停電しているとか、どこが停電復旧が早かったとか・・・それぞれにドラマがあったようです。

まあ、ご近所、ご門徒さん皆無事でドラマを語ることができて本当によかった。
今日は早朝から先日お話した総代さんのM氏が来て下さって、畑の手入れと境内清掃(大仕事でした)をしてくださいました。
「坊守さんが、一人で骨病(ホネヤミ)したらいかんと思って」と、M氏。注:骨病みとは、佐賀弁で病気になるほど疲れ果てること 注2:住職は平日は別の勤務をしているので。さっさと仕事に出かけて不在のため
一緒に作業して、昼前には、無事お彼岸を迎えられるようにきれいに清掃できました。M氏に感謝!!

明日は秋彼岸の入りです。
先日若い美容師さんにカットしてもらいながら世間話をしていた時、私が寺に住んでいることを知っている彼女が「お彼岸って何ですか?」と尋ね、私はズルッとイスから落ちそうになりました。(もちろん、私は驚きを表さないが・・・)
でも、案外「お彼岸」って誤解されているかもしれません。以前ご門徒さん方にお配りした文をご紹介します。

単に「お墓参りする日」のことではありません。
煩悩で汚れたこの世=此岸(しがん)に対し、清らかなさとりの世界を彼岸と言います。
親鸞聖人が七高僧と仰がれる一人で、中国の高僧である善導大師の著書「観経疏(かんぎょうしょ)」に「弥陀の王国は日の没するところにある」とあり、お彼岸には、ちょうど太陽が真東から昇り、真西に没するので、西方浄土(阿弥陀仏の極楽浄土)に思いをはせる「お彼岸」の習慣が古くから日本人の生活の中に定着してきました。
「西方浄土」をおとぎ話のように誤解しないでください。
「西方」=「日の没するところ」とは、太陽のように燃え盛る煩悩(自分の思いに執着し、心を煩わせること)が滅するところ、つまり、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)=煩悩の消え去った静かな「さとり」の境地に至ることを例えられたのではないでしょうか。
お彼岸に墓参りなり、お寺の法座が開かれるのは、「さとり」の世界である「お浄土」に往生(往き生まれ)尊い仏と成られたご先祖、亡き家族を生前の思い出として偲ぶだけにとどまらず、私が仏さまから「自己中心の思いに振り回され、思い煩ってばかりいないか」「仏さまにアンテナを立て、チャンネルを合わせて生きているか」の呼びかけ・願いに逢わせていただくためです。
お彼岸は、墓参りをしておしまいではなく、私が普段忘れがちな「さとりの世界」に思いをはせる一週間でありたいと願います。

と、言うわけで法専寺では23日お彼岸の中日に秋彼岸中日法要を開きます。今回は、この台風で敬老会が23日(秋分の日)に延期された地区が多く、いつもより参詣が少ないかもしれません。
