三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ねこしま」

2025年01月13日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ねこしま」を観た。
ねこしま : 作品情報 - 映画.com

ねこしま : 作品情報 - 映画.com

ねこしまの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。世界屈指の「猫島」とも言われるマルタ共和国を題材に描いたドキュメンタリー。 地中海に浮かぶ島国・マル...

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 以前、野良猫を手懐けようとしたことがある。駅から自宅への帰り道にある駐車場に、親子らしき数匹のキジトラがいて、見かけるたびに呼びかけていた。すると猫たちもこちらに注意を払うようになったので、次の日から、カリカリ系の猫の餌をカバンに入れて、猫がこっちを見たら、餌を少し置いて帰った。仕事帰りのたびにそれを繰り返していると、徐々に猫が近づいてくる距離が近くなって、呼ぶと走ってくるようになった。
 
 半年ほど経つと、すっかりなついて、手から直接餌を食べるようになった。野良猫に餌をやっていいのかどうか、自治体や地域住民の考え方はあるだろうが、週に何日か、僅かな餌を置いていく人間に頼らざるを得ないほど、野良猫の生活は逼迫しているということだ。短い期間だけ餌をやって、そのあとはどんなふうに責任を取るのかと追及されると、答えようがない。ただ、追求する権利が誰にあるのか、それもわからない。
 
 なついてくれたのはよかったが、休みの日に駐車場の隣の弁当屋に弁当を買いに行くと、猫たちがやってきて当方の足元にじゃれついてくる。中学生らしい女子たちから「何あれ?」と不審そうに見られてしまって、往生した。飼えればよかったのだが、残念ながら住んでいた集合住宅はペット禁止だった。
 餌をやり始めてから一年ほどでその街を引っ越したので、猫たちがどうなったのかはわからない。わからないが、餌をやり続けた一年間の猫との時間は、とても大事な時間だった。一日に数分でも、猫と触れ合うことで、精神的な安定を図れた面もあったと思う。
 
 猫は世界的に同じように振る舞うようで、マルタの猫も日本の猫と同じように、天上天下唯我独尊だ。2022年の邦画「たまねこ、たまびと」のレビューにも書いたが、猫は暴力や暴言を受けても、柳に風と受け流す。決して弱いものいじめをしない。ひとたび自分に被害が及びそうになると、どんな相手にでもひとりで立ち向かう。そして欲望に忠実だ。
 過去を引きずらず、未来に怯えず、淡々と現在を生きる。猫は愛おしい動物であり、長い間の人間との歴史に、無形の価値をもたらしている。そういう存在が虐待されることのない社会にしていかねばならないと、改めて思った。

映画「劇映画 孤独のグルメ」

2025年01月13日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「劇映画 孤独のグルメ」を観た。
『劇映画 孤独のグルメ』公式サイト

『劇映画 孤独のグルメ』公式サイト

【大ヒット上映中!】テレビ東京開局60周年記念作品。この映画…腹が鳴る。

『劇映画 孤独のグルメ』公式サイト

 テレビドラマはときどき観ていた。劇場版にするほどでもないと思っていたが、さすがは松重豊監督である。食材探しの旅にヒューマンドラマを重ねて、盛り上がる物語に仕上げている。淡々としてはいるが、こと食については貪欲な五郎さんのキャラクターがここでも十分に生かされる。
 パドルサーフィンは由比ヶ浜で見たことがあって、しばらく眺めていたらどんどん遠ざかり、最後は葉山の方まで進んでいたから、意外に長距離を進むんだなと感心した。直線距離にしたら5kmくらいだろうか。五郎さんも、海さえ凪いでいたら、対岸に辿り着けたかもしれない。それにしても、パドルサーフィンが伏線とは驚いた。

 テレビでも食べっぷりのいい五郎さんだが、本作品では、どんな状況でも見事な食べっぷりで、繊細に見えて実は豪胆な五郎さんの人柄がよく出ている。食べることは生きること。いつだって一生懸命に美味しいものを食べようとする姿勢には、とても共感できる。

 午前中に鑑賞したあとに予約した蕎麦屋に行くと、我ながら驚くほどたくさん頼んでしまった。五郎さんの影響に違いない。なにせあの人、たくさん食べるからな。などと思いつつ、さらに追加で注文。お酒も追加。そしてあっという間に完食。なんとなく五郎さんみたいで、気分がよろしい。ご馳走様でした。

映画「ここにいる、生きている。 〜消えゆく海藻の森に導かれて〜」

2025年01月13日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ここにいる、生きている。 〜消えゆく海藻の森に導かれて〜」を観た。
ここにいる、生きている。 消えゆく海藻の森に導かれて : 作品情報 - 映画.com

ここにいる、生きている。 消えゆく海藻の森に導かれて : 作品情報 - 映画.com

ここにいる、生きている。 消えゆく海藻の森に導かれての作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。日本の海で消失の危機に陥っている海藻を題材にしたドキュ...

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 磯焼けという言葉があるそうだ。磯の海藻が減ったりなくなったりすることを言うとのことで、作品内で紹介されている。海水温の上昇やそれに伴う食藻生物の増加などが原因で、地球温暖化の悪影響のひとつだそうである。
 温暖化の原因は、世界中が電力社会になったことに尽きる。かといって電力なしの生活には戻れないから、発電方法を工夫するとか、徹底した省エネ社会にするといった、国家規模での改革なしには、温暖化を食い止めることはできない。
 本作品では、海藻の復活のために頑張る民間の人々を映し出すが、対症療法の印象は免れ難い。長期的に考えれば、未来の海は、珊瑚も海藻も死滅した、無機質な海になりそうだ。
 本当に未来を考えるのであれば、脱電力社会というドラスティックな思想を実現する以外にない。温暖化懐疑論者のトランプをはじめ、世界の指導者は温暖化対策よりも軍事にお金を使うことに余念がない。絶望的である。

 人間の生涯が一万年くらいあれば、生きている間に環境の変化を実感するから、まったく違った社会になっただろうが、極めて短い人生を送る人間は、今だけ、自分だけよければいいという利己主義から脱却することができない。人類はこういうふうに自滅していくのだと実感させる作品である。覚悟を決められる人は、少ないだろう。

映画「シリアル・ママ」

2025年01月07日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「シリアル・ママ」を観た。
シリアル・ママ : 作品情報 - 映画.com

シリアル・ママ : 作品情報 - 映画.com

シリアル・ママの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。「ピンク・フラミンゴ」などで知られるバッドテイスト映画の巨匠ジョン・ウォーターズが監督・脚本...

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 ビヴァリーでなくても、日常生活で腹の立つことは山ほどある。誰もが一日に一度や二度は怒りを感じる瞬間があるだろう。殺してやりたいとか、死ねばいいのにとか思うかもしれない。心の中では、ホッブズではないが、万人の万人に対する闘いが繰り広げられているのかもしれない。
 ということは、自分も誰かの怒りを買っている可能性は十分にある。お互い様なのだ。大人はそれが分かっているから、自分の怒りを抑制する。所謂アンガー・コントロールというやつだ。理性と言ってもいい。

 そもそも共同体では、万人の万人に対する闘争が実際に勃発してしまったら、共同体そのものの存続が危ぶまれる事態になるから、法律で厳しく取り締まっている。刑法である。他人を殺したり傷つけたり、物を壊したり盗んだりしたら、相応の刑罰が適用される。ただし国家権力が好き勝手に人を取り締まったら、やはり共同体の存続が危うくなるから、刑罰を適用するのは法律に基づかなければならない。罪刑法定主義である。
 刑法には、違法行為に対する抑制の効果があり、罰せられるのを恐れているから罪を犯さないという面もある。それもひとつの理性ではある。

 本作品では、理性を失なって次々に殺人を犯すビヴァリーが、すぐに理性を取り戻して日常生活に戻る豪胆さが描かれる。刑罰に対する恐怖を一切持たない。検事の言う通り、まさにモンスターである。
 ビヴァリーはふたつの意味で象徴だと思う。ひとつは国家権力の権力者だ。専制政治の元首になると、法律は適用されず、どんな違法行為も許される。国家元首でなくても、諜報組織などが秘密工作に従事していることは誰もが知っている。
 もうひとつは、誰もが抱える心の闇の象徴である。他人の権利や人格を徹底的に蹂躙したいと願う黒い心だ。それは被害妄想であったり、独善であったり、アウトサイダーに対する怒りであったりする。多くの人が心の奥底にしまって、決して表に出さないようにしている。

 本作品の製作は1994年で、その後インターネットが急速に世界中に広まり、人々は匿名性の高いネットの世界に心の闇を解放してしまった。SNSや掲示板で他人を攻撃するのだ。その膨大な罵詈讒謗の実態を垣間見れば、ビヴァリーは既に世の中に溢れかえっていることがわかる。そら恐ろしい話である。

映画「ビーキーパー」

2025年01月03日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ビーキーパー」を観た。
映画『ビーキーパー』オフィシャルサイト

映画『ビーキーパー』オフィシャルサイト

2025年1月3日全国公開|全米No.1メガヒット!!!!!この男、キレたら終わり。

映画『ビーキーパー』オフィシャルサイト

 政治とカネの問題は、日本では江戸時代の越後屋から、伝統みたいに続いている。政策によって利害が左右される法人や個人が献金やら裏金やらで政治家にカネを渡し、政治家はそういう連中が得をするように法律を作ったり、施行令や施行規則によって法律の恣意的な運用をしたりする。カネは天下のまわりものとは言うが、貧乏人の懐にたまることはない。一生懸命に働いて稼いでも、家賃やら生活必需品やらで消えていく。その前に、税金と社会保険料でごっそり天引きされる。粗衣粗食でカネを溜めても、自分や家族が病気になったり仕事を馘になったりしたら、あっという間に使い果たしてしまう。政治家にカネを渡す余裕などないから、貧乏人のための法律や施行令や施行規則が作られることはない。

 アメリカでも、政治とカネの事情はそれほど変わらない。弱い人、困っている人、貧乏人は常に置き去りだ。日本と同じように、そのあたりを感じている人は割といると思う。しかし有権者の多くは、弱者を助ける社会よりも、自分たちが助かる社会を望むから、やっぱり弱者は置き去りにされる。誰が大統領になっても、あまり変わらない。
 それどころか、弱者は、いじめっ子よろしく、自分よりもさらに弱い人をターゲットにしてカネを稼ごうとする。弱者が弱者を標的にした犯罪だ。日本では貧乏な若者が年寄りを襲う。以前からおやじ狩りといった刹那的な犯罪はあったが、ネット時代はおやじ狩りも計画的だ。世も末である。
 本作品を観て、アメリカでも事情は同じなのかと、ちょっと驚いた。資本主義が成熟するとこうなるのか。いや、成熟と言うよりも、行き詰まっているのかもしれない。このまま格差と分断がエスカレートしていくと、マルクスが予言した通り、資本主義社会は内部崩壊するに違いない。

 国家をミツバチの群れに例えた本作品は、引退した秘密工作員が共同体の秩序維持のために異分子を排除する話だが、ひとりの特殊能力の持ち主がヒーローとなって活躍する道は、継続的な展望とは言い難い。
 しかしカネ至上主義の拝金主義者たちを日頃から苦々しく思っている向きには、主人公の活躍に溜飲を下げることができるだろう。斜に構えたFBIのパーカー捜査官の存在が、物語に奥行きを与えている。登場人物にもかかわらず、溜飲を下げたひとりでもある。その意味でも、主人公が快刀乱麻を断つ痛快さは、たしかにある。ジェイソン・ステイサムはまさに適役だった。

映画「苦悩のリスト」

2024年12月31日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「苦悩のリスト」を観た。
『ヴィジョン・オブ・マフマルバフ』公式ホームページ

『ヴィジョン・オブ・マフマルバフ』公式ホームページ

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 アフガニスタンでタリバンが2021年に復権したときのカブール空港の大混乱の様子は、強く記憶に残っている。残っているどころか、いまだにアフガニスタンは国中があんな感じなのだろうという印象さえある。タリバンはイスラム原理主義を掲げて、女性の権利や、人々の幸福追求の権利を蹂躙し、行動を制限して思想統制もする。まさにジョージ・オーウェルの「1984」のリアル版のイスラム教バージョンのようで、おかげでイスラム教に対する偏見がますます強まった感がある。そして、暴力を背景にした圧政の下でも、アフガニスタンの人口は増え続けている。

 3年前のタリバンの復権は、農村を中心としたタリバン支持を背景にしている。イスラム教は避妊も堕胎も禁じているから、子供が増え続けているのは仕方がないが、自分たちの権利を蹂躙しつづけるタリバンを支持する精神性は、先進国の人々には少しも理解できない。しかしそこを理解しないと、中東の紛争は永遠に解決しない気がする。その鍵は、イスラム圏で活躍している芸術家たちが握っていると思う。

 本作品では、タリバンを単に暴政の徒の集団として捉えていて、自由な精神の持ち主である芸術家たちが弾圧されることを心配し、なんとか回避させようと努力する人々が電話とインターネットで奮闘する様子が描かれる。彼らをアフガニスタンから、EU各国のどこかに亡命することができれば、アフガニスタンを救う道が残るということなのだろう。
 全体主義のタリバンを支持する一方で、女性の権利の解放を求めたり、イスラム教に頼りながらも、イスラム原理主義に苦しめられるという、意味不明の精神性には、それなりの理由があることはわかっている。それが人間の弱さだというなら、人類はいずれイスラム教に席巻されてしまうだろう。救われない魂は、永遠に救われないままになる。

 人類の愚かさに加え、なんだか底知れぬ恐ろしさを実感する作品であった。

映画「神は銃弾」

2024年12月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「神は銃弾」を観た。
神は銃弾 - 株式会社クロックワークス - THE KLOCKWORX

神は銃弾 - 株式会社クロックワークス - THE KLOCKWORX

「このミステリーがすごい!」 第1位!全世界のノワールファンを虜にしたベストセラー、待望の映画化!

株式会社クロックワークス - THE KLOCKWORX

 キリスト教の教えに従って、平穏に生きてきたし、世の中はキリストが教えた通りに健全に推移してくと信じていた主人公ボブ・ハイタワーにとって、全身にタトゥーを入れるカルト宗教は、理解できない世界であり、その信者は理解できない範疇に属する。
 そもそもそんな世界があることは知っていてもあまり考えなかったし、関わりたくもなかった。しかし向こうから関わってきたら、必要な対処をするしかない。ボブの心境はそういったところだろうか。ただ娘の奪還に対する執着は半端ではなく、通常なら受け入れがたいタトゥーの施術も受け入れる。このあたりから、主人公は警官というカテゴリーから自分を解き放っていて、目的のためなら何でもありという無法者に変身する。

 ある意味では爽快な変身だが、主人公の正当性を担保するためなのか、カルト側が一方的に絶対悪のように描かれているところと、家族第一主義のアメリカ映画の呪縛から脱しきれていないところがあって、本作品はB級作品に留まっている。その割に長いので、暇なら観ても損はない、という程度の評価にしておく。

映画「バグダッド・カフェ 4Kレストア」

2024年12月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「バグダッド・カフェ 4Kレストア」を観た。
映画「バグダッド・カフェ 4Kレストア」公式サイト

映画「バグダッド・カフェ 4Kレストア」公式サイト

アメリカ西部、モハヴェ砂漠にたたずむ寂れたモーテル「バグダッド・カフェ」。人々の心を温かく抱きしめた珠玉の名作が、公開から35年を経て4Kレストアされスクリーンに鮮...

映画『バグダッド・カフェ 4Kレストア』公式サイト

 本作品は4Kデジタルリマスターだが、もともとは1987年製作のドイツ映画である。2024年のいまからすると、37年前だ。この間に世界で起きた最大の出来事は、もちろんインターネットの普及である。

 インターネットが生活の中に密に入り込んできたのは、電話端末の発達で、時と場所を選ばずに大量の情報を得られるようになってからだろう。誰もがスマホを持って、世の中で何が起きているのかとか、今いる場所だとか、次の行動のためだとかいった情報をのべつ幕なしに収集し、同時に自分の情報を発信したりしている。お陰で人々が隠していたバイアスが世の中に広く明るみに出され、問題化したのが現代だ。

 本作品では、バイアスを抱えた人々が互いに交流して、自分の中の偏見や無為なこだわりを解消していく様子を描く。人種や民族の違いで相手を拒否しようとするカフェオーナーのブレンダに対し、カフェの人々の純朴さを愛するドイツ人女性のヤスミン。オーナーのバイアスで拒否されてしまうヤスミンだが、持ち前のポジティブな精神性で異文化を受け入れ、みずからも提案し、積極的に関わっていく中で、関係性の改善を実現する。
 まさに今の時代に求められる姿勢であり、行動力だ。差別や分断を解消するには、差別用語を使わないように気をつけるなどといった消極的な姿勢ではなく、積極的な関わりと寛容の姿勢が求められる。
 共同体の指導者たちは、自分たちの立場を守るために人間をカテゴライズして、敵と味方に分け、敵を攻撃することで味方意識を増強させるというバカな政治を繰り返してきた。民主主義の時代になっても、有権者は指導者たちの本質を見抜けず、バカを選び続けている。本作品は人類の愚かな本質を砂漠のカフェを舞台に描いていると言っていい。

 ドイツはフランスと並んで哲学の国だ。カントやショーペンハウエルのように、世界の本質を見抜くDNAを連綿と受け継いでいるに違いない。本作品は、極めて日常的な様子を描いているように見えるが、扱うテーマは実に哲学的だ。傑作である。

映画「型破りな教室」

2024年12月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「型破りな教室」を観た。
映画『型破りな教室』公式サイト

映画『型破りな教室』公式サイト

治安最悪な国境の町の小学校で起きた奇跡の実話 12/20(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

映画『型破りな教室』公式サイト

 ちょうど一週間前に、世田谷の小学校を記録したドキュメンタリー映画「小学校 それは小さな社会」を観た。子供たちを従順で隷属的な人間に育てようという国家権力の意思を、そのまま教育現場で実現しようとしている愚かな教師たちを描いていて、日本の小学校教育のレベルの低さに愕然としたのだが、メキシコの小学校も、似たような現状らしい。
 そんな教育政策に逆らって、独自のスタイルを試みる熱血教師が、本作品の主人公セルヒア・ファレスである。教育行政のお偉いさんに向かって「社会の歯車になるしか能のない人間を育てたいのか」と、独創的な啖呵を切る。見事な啖呵である。日本の教育の責任者にも言ってもらいたい。

 涸れ井戸に落ちたロバの話、ガウスの足し算の話といった、有名な話を織り交ぜつつ、子供たちが自分で考えて、原理や法則に辿り着く手助けをする。アルキメデスの浮力の原理を自分たちで思いつく場面は素晴らしい。もう子供たちは船を作れる。この調子だと、じきに揚力の原理にも行き着いて、飛行機も作れそうだ。

 メキシコの経済状況は厳しい。親は子供の教育よりも生活の維持を優先する。夢を見るな、現実を見ろという訳だ。攻めるよりも守ることが主体である。誰も既存の価値観を壊そうとしない。現状の中で少しでも自分や自分の家族が得をすることだけを考える。大人だけではない。メキシコにも半グレがたくさんいて、違法の凌ぎで荒稼ぎをする。
 そういった利己主義の価値観を壊して、新しい価値を創造することができる人間を育てようとするセルヒアの意志は、あまり理解されない。しかし子供たちは理解する。自分たちは変わることができる。社会を変える力もある。事なかれ主義だった校長も理解してくれる。大人の中で唯一の味方だ。太ったおっさんだって変われるのだと、心意気を見せている。なかなかいい。

 アベシンゾーが掲げた「美しい日本」という愛国主義は、戦争にまっしぐらに向かう世界観である。教育現場は、なんとしてもそんな価値観を壊し、理想を目指す子供たちを育てなければならない。どうすれば利するだろうかということばかり個人が考えていると、国家もどうすれば利するだろうかということばかり考える。つまり戦争に至る道だ。

 セルヒア教師は勇気があって、努力を惜しまない。その姿勢は見事だ。しかし教育の未来が教師の個人的な勇気に委ねられる社会は、健全ではない。
 原題は「RADICAL」である。英語でもスペイン語でも根本的という意味もある。社会の価値観を根本からひっくり返すのだ。世界はいま、戦争の価値観の真っ只中にある。ひっくり返さない限り、未来はない。セルヒア教師の教育観を標準化するのが近道だが、それだけの勇気のある政治家は、世界のどこにもいないかもしれない。本作品から学ばなければいけないのは、子供たちではなく、世界の有権者である。

 ニコが修理した船の名前は、すぐにわかった。セバスティアン・イラディエル作曲の古い歌のタイトルと一緒である。スペイン民謡と言っていいかもしれない。日本では津川主一の訳詞で有名だ。別れの曲である。この船名を使いたかったから、女生徒の名前を決めたのかもしれない。とても洒落ている。

映画「キノ・ライカ 小さな町の映画館」

2024年12月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「キノ・ライカ 小さな町の映画館」を観た。

 篠原敏武という歌手の歌ははじめて聞いたが、なかなか味わいのある声である。聞き心地のいい声と言っていい。本作品ではチェスを指す場面に本人が登場していて、鼻歌でワンフレーズだけ歌った「雪の降る街を」がびっくりするほど上手かった。

 説明がなくて、誰が誰だかよくわからない作品だが、人々にとって、あるいは街にとって映画とは何なのか、映画館はどんな存在なのかを、みんなが語る。集約すると、映画館があって、バーがあって、観たばかりの映画の話をしながら、気のおけない仲間と酒を飲めれば最高だ、そんなふうになると思う。

 フィンランドは人と人の関係が濃密なのだろうか。作品について本気で語ると、ぶつかり合う場合も出てくるはずだ。当方などは、他人と言い争いたくないほうだから、映画について語ることがあっても、あまり本音は言わない。相手の意見を否定しないように注意しながら、ついつい心にもない当たり障りのないことを言ってしまう。だからレビューを書いている訳だ。自分に語っているのである。
 しかし本作品の登場人物は、かなり穿った意見を言い合いつつ、互いに相手を認める。芸術に対する懐が深いのだ。フィンランドの歌を日本語で歌う篠原敏武さんの歌が好まれるのも、懐の深さのあらわれだろう。人種も民族も言語も関係なく、いいものはいい。

 映画は総合芸術である。本作品は、映画が日常をどれほど豊かにしてくれるかを、たくさんの人々に語らせながら、芸術を力強く肯定する。篠原さんの歌も含めて、気持ちよく観ていられる佳作である。