三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ビーキーパー」

2025年01月03日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ビーキーパー」を観た。
映画『ビーキーパー』オフィシャルサイト

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2025年1月3日全国公開|全米No.1メガヒット!!!!!この男、キレたら終わり。

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 政治とカネの問題は、日本では江戸時代の越後屋から、伝統みたいに続いている。政策によって利害が左右される法人や個人が献金やら裏金やらで政治家にカネを渡し、政治家はそういう連中が得をするように法律を作ったり、施行令や施行規則によって法律の恣意的な運用をしたりする。カネは天下のまわりものとは言うが、貧乏人の懐にたまることはない。一生懸命に働いて稼いでも、家賃やら生活必需品やらで消えていく。その前に、税金と社会保険料でごっそり天引きされる。粗衣粗食でカネを溜めても、自分や家族が病気になったり仕事を馘になったりしたら、あっという間に使い果たしてしまう。政治家にカネを渡す余裕などないから、貧乏人のための法律や施行令や施行規則が作られることはない。

 アメリカでも、政治とカネの事情はそれほど変わらない。弱い人、困っている人、貧乏人は常に置き去りだ。日本と同じように、そのあたりを感じている人は割といると思う。しかし有権者の多くは、弱者を助ける社会よりも、自分たちが助かる社会を望むから、やっぱり弱者は置き去りにされる。誰が大統領になっても、あまり変わらない。
 それどころか、弱者は、いじめっ子よろしく、自分よりもさらに弱い人をターゲットにしてカネを稼ごうとする。弱者が弱者を標的にした犯罪だ。日本では貧乏な若者が年寄りを襲う。以前からおやじ狩りといった刹那的な犯罪はあったが、ネット時代はおやじ狩りも計画的だ。世も末である。
 本作品を観て、アメリカでも事情は同じなのかと、ちょっと驚いた。資本主義が成熟するとこうなるのか。いや、成熟と言うよりも、行き詰まっているのかもしれない。このまま格差と分断がエスカレートしていくと、マルクスが予言した通り、資本主義社会は内部崩壊するに違いない。

 国家をミツバチの群れに例えた本作品は、引退した秘密工作員が共同体の秩序維持のために異分子を排除する話だが、ひとりの特殊能力の持ち主がヒーローとなって活躍する道は、継続的な展望とは言い難い。
 しかしカネ至上主義の拝金主義者たちを日頃から苦々しく思っている向きには、主人公の活躍に溜飲を下げることができるだろう。斜に構えたFBIのパーカー捜査官の存在が、物語に奥行きを与えている。登場人物にもかかわらず、溜飲を下げたひとりでもある。その意味でも、主人公が快刀乱麻を断つ痛快さは、たしかにある。ジェイソン・ステイサムはまさに適役だった。