三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

宗教団体不要論

2007年02月10日 | 政治・社会・会社

 愛知県知事選挙で自民公明の推す神田とかいう現職が当選して三選を果たしました。この人に投票した142万人の有権者の方々には、日本国民の大半が失望していると思います。142万人全員が創価学会員ということなら話はわかりますが、そういうこともないでしょうから、学会員でもないのに与党候補に投票した理由がとんと見当もつきません。
 というのも、折からの官製談合事件の多発で、長期政権が腐敗を生みやすいものであることは誰もが知っているはずだと思っていましたし、どこぞの大臣の「産む機械」発言の向こうに自民公明政権の本質が見えたはずだとも思っていました。封建的で不寛容、女性蔑視の軍国主義政権という本質です。しかし、愛知県の有権者の142万人にはそのことが理解できなかったようです。愛知県はこのところ経済状態がよく、変化を望まなかったという理由もあるのでしょうが、この選挙が日本の将来にとってどのような位置づけなのかを理解していれば、当然違う投票行動になったのではないかと思います。本当に残念でした。

 突然子供の頃の話で恐縮ですが、四歳くらいの時に斜向かいに住む五歳くらい年上の男の子と駅近くの踏切のそばで遊んでいました。純ちゃんという名前でした。列車が通るのは一時間に一本か二本くらいで、棒が降りてこないタイプの踏切でした。純ちゃんと私はそこらに生えているクローバーを摘んだり、その中で四つ葉のものを探したりして遊んでいましたが、遠くから列車の音が聞こえてくると純ちゃんが私を呼び、合図をしたら向こうに走って渡るように言いました。幼い私は何の疑いもなく「うん」と頷きました。警笛がカンカンと鳴りはじめたのもお構いなしに、純ちゃんの「行け!」という掛け声に踏切の向こう側を目指して駆け出しました。踏切には線路が五本くらい走っていて、列車は一番向こうの線路を右手の駅に向かって左から近付いてきていました。もうすぐ駅なので速度は落としていたと思います。ゆっくり走る列車と全力疾走の四歳の私との競争です。どちらが勝ったでしょうか。
 もちろん今こうして書いている私がいる以上、どうにか轢かれずにすんだわけですが、最後の線路に差しかかったときに左を見ると目の前に列車が迫っていて、思わず立ち止まりそうになりました。パニックです。しかしわけがわからないまま、目を瞑って駆け抜けました。列車が警笛を鳴らしたかどうかは覚えていません。反対側の道路に着いたときにちょうど自転車に乗ったおまわりさんが通りかかって、「コラッ!」と叱られました。危ないことをしたから叱られたんだということはわかりました。振り返って純ちゃんを見ると、おまわりさんを避けるように踏切のそばの繁みに隠れようとしていました。そこに自転車でおまわりさんが近付いて、純ちゃんを叱りつけました。私と純ちゃんの年格好を見て、純ちゃんが私を走らせたのだとわかったんでしょう。私自身も、それを見て初めて純ちゃんが私をおもちゃにしたことに気がつきました。そして純ちゃんが大嫌いになり、同時にたいそう悲しくなって、泣きながら家に帰りました。そして家族に聞かれるままに一部始終を話しました。その後父親が純ちゃんの家に怒鳴り込んだような気もしますが、よく覚えていません。いまになると、話さなければよかったと思います。純ちゃんとは年も五歳くらい離れていたこともあって、その後会うこともなかった。純ちゃんの家は創価学会の熱心な信者でした。
 それから十年くらいたった頃、純ちゃんは自殺しました。噂によると失恋が原因とのことでしたが、自殺の本当の理由は誰にもわからないものです。私との小さなエピソードが彼の人生の中でどのような記憶だったのか、あるいは記憶にさえ残らない程度のものだったのかもわかりません。純ちゃんが自殺した後も彼の母親は熱心に創価学会の活動を続けていました。そして私が思い当たったのが、純ちゃんの自殺は母親をはじめ、家族が創価学会の熱心な信者であったことと無関係ではないだろうということでした。以来、宗教団体とは一切係わらないようにしています。
 聖書や仏教書は少し読みました。布教の課程で師と弟子の関係が生じ、それが発展して宗教団体となりました。布教の目的はあくまで個人の魂の救済なのに、宗教団体が形成された後は、個人よりも組織の存続及び利益が優先されるようになりました。村落や国家といった共同体が一度形成されると、組織の論理というメカニズムが働きはじめて、共同体の存続そのものが目的化されていったのと同じ構図です。個人の魂は救済されるどころか、宗教団体の利益がすなわち個人の救済という論理のすり替えによって蹂躙されています。蹂躙される魂を増やそうとしているのが宗教団体であり、その代表的な存在が創価学会であることは誰もが認識しているところです。
 もともと、お釈迦様は「スッタニパータ」の中で、「何ものにも属さずとらわれずこだわらず、犀の角のようにただひとり悟りの道を歩め」と説いています。世のすべてのしがらみを解き放つことが、魂の解放、涅槃への第一歩であるということです。にもかかわらず、組織に属することで魂が救済されるという誤った認識を持つ人が、たくさんいます。そしてそういう方々が自民公明の救いようのない政権に投票し、組織に属さない人を巻き込んで魂を蹂躙させているのです。このような組織がある限り、日本に未来はありません。