三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

舛添に投票した都民の責任

2016年05月23日 | 政治・社会・会社

政治資金の使い道のことで舛添都知事が責任を追及されていますが、都知事が政治資金を不正に使用したのは石原慎太郎のときからずっと続いていることです。石原は在任中にそのことが指摘されたにもかかわらず、知事選では再選されました。得票数は大差の圧勝でした。
舛添も大差の得票数で都知事選で圧勝し、選出されました。選出したのは東京都の有権者です。当然有権者に責任があります。しかしテレビのコメンテーターの中には「私もこの人に投票したけど、こんな人だとは知らなかった」と言っている人がたくさんいます。もっともらしく聞こえますが、言い訳であり、有権者としての責任転嫁にほかなりません。

たとえば結婚した後で相手の欠点がわかることがあります。そういうときも人は「こんな人だとは知らなかった」と言い訳しますが、選挙の場合と違って、その後の生活で大変な思いをしなければなりません。人がそういった苦しさを甘んじて受けるのは、選んだ自分にも責任があるということを自覚しているからです。

舛添を選んだ都民が「こんな人間だと知っていたら投票しなかった」と言うのはあまりにも無責任です。舛添という人はテレビによく出ていた人で、自分の意見を存分にしゃべっていましたし、著書も何十冊もあります。どんな人間かを知る手段はたくさんありました。告示日から投票日まで18日もあったので、人間性を知るには十分な時間もありました。今回のような事案が生じることは十分に予測できましたし、一般的な洞察力を持っている人なら人間性に疑問を抱いたはずです。
にもかかわらず、都民のうち200万人以上の有権者が舛添に投票し、結果的に圧勝させて知事に就けたのです。彼に投票した有権者の責任はどのように追及されるのでしょうか。

2020年には東京オリンピックが開催される予定です。石原が発案し、猪瀬のときに決まりましたが、どうもワイロを渡して選ばれた可能性が強いという報道があります。金で買ったオリンピックです。オリンピックは開催地に何をもたらすかというと、庶民には何ももたらしません。ゼネコンなど一部の大企業に利益をもたらし、役人に許認可権という既得権益による利益をもたらすだけです。ハコモノをたくさん造成し、オリンピックが終わったら廃墟になります。それは住民にとって長い間の負の遺産となるのです。世界のどの場所でも、オリンピックは住民を幸福にすることはありません。経済がグローバル社会になった今、オリンピックの意義は商業的な利益以外にありません。そしてその商業的利益は住民ではなく一部の大企業と役人にしか利益をもたらさず、住民にはその後の長い負担が課せられます。オリンピックはもう世界の庶民には必要がないのです。
もし舛添が都知事にならなければ、東京オリンピックの開催が見直しされたかもしれません。都税の無駄遣いも生じなかったでしょう。

舛添に投票した有権者の責任は、別の候補に投票した有権者も含めて、都民全体の不利益として私たちに降りかかるのです。いい迷惑です。しかしここでこんなことを書いても、舛添よりもさらに無能で有害だった石原を4回も圧勝させた有権者にとっては馬の耳に念仏となるのは間違いありません。徒労感だけが残ります。