三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

集団の高揚感の下地

2016年07月30日 | 映画・舞台・コンサート
時々イープラスで舞台やコンサートのチケットを買っている。イープラスから無料モニター募集の通知が来たので応募したところ、コンサートが当選した。日本武道館でのスカパーのライブ中継だ。どんな番組なのか、どんな人がどんな歌を歌うのか、事前の情報は何もなかったが、無料はありがたいので聴きに行った。

司会はベッキー(レベッカ・レイボーン)で、以前サンシャインの噴水広場で見かけたときと同じくらい細かった。不倫騒動から半年くらい経つが、そこそこ元気そうでよかった。誰に迷惑かかけたわけでもないのだから、バッシングは理不尽で気の毒だ。

コンサートでは若手の歌手が次々に登場したが、いかんせんマイクのエコーが大きすぎて、歌詞が聞き取れないうえに、耳がキンキンしてしまう。先々週に同じ武道館で聴いたサラブライトマンの歌は、マイクエコーをほとんど感じなかった。
まともに歌として聞けたのは、華原朋美と塩ノ谷早耶香の歌だけだった。他の歌手のパフォーマンスは踊りと叫びにしか聞こえなかった。

華原朋美は自分のことがよほど好きなのだろうという印象。歌が空回りしてなにも心に響いてこない。コンサートの最後で女性歌手全員で「I'm proud」を歌うというので塩ノ谷早耶香のソロに期待したが、結局すべて華原朋美が歌い、他の女性たちはコーラスになってしまっていた。残念だ。
塩ノ谷早耶香はエコー効きすぎのマイクのおかげで声量豊かな声が割れてしまっていたが、まともなコンサートなら十分に楽しめるだけの声質と歌のうまさを持っている。今後に期待できそうだ。

生演奏のバイオリンやチェロの人たちもいたが、アンプやミキサーなど、電気的な増幅が大きすぎるコンサートでは、バイオリンやチェロの繊細な音はほとんど響かない。踊りと絶叫の女の子たちは生演奏でなくカラオケを使っているように見えた。

さて、ほとんどよくわからないその他の歌手だが、熱狂的なファンがいるようで、客席ではペンライトを何本も振り回してノリのいいところを見せている人がたくさんいた。特にミニスカートの女の子が集団で踊りながら歌うときは、客席の多くが同じ動きをして、同じタイミングで同じ掛け声を上げる。
それを見ているうちに、北朝鮮のマスゲームや日本体育大学の集団行動を思い出した。まったく同じだ。もっと言えば、軍事パレードとも同じだ。

観客が集団として同じリアクションをして、舞台の歌手にこたえるのは、集団の高揚だ。観客それぞれが舞台のパフォーマンスと向き合う個別の姿勢はそこにない。主体性を放棄して観客という集団と化すことが所謂ノリだとすれば、それはまさに全体主義である。こういうコンサートが全国いたるところで行なわれているとすれば、日本が戦争を始めるハードルは高くない。

夏のコンサートだったのに、背筋がうすら寒くなった。