三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「WAR ROOM」

2016年07月21日 | 映画・舞台・コンサート

映画「WAR ROOM」(邦題「祈りのちから」)を観た。
http://www.inori-chikara.jp/

さすがに信仰心の篤いクリスチャンが多い国アメリカの映画だけあって、映画の中でJesusという言葉がやたらに出てくる。強盗までJesus nameという言葉で撃退できるくらいである。
原題の「WAR ROOM」は祈りの部屋のことだ。世界は神と悪魔の戦争であり、悪魔に打ち勝つためには非力な自分が戦うのではなく、祈りによって神の力で悪魔を打倒するのが人間にできる唯一の方法だと、老婆クララは力説する。悪魔とは人のプライドであり、憎悪であり、悪い行ないである。人そのものではない。だから自分に関わるすべての人を愛し、その人のために祈るのだ。
聖書に「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ伝第5章)「敵を愛し、憎む者に親切にせよ。呪う者を祝福し、辱しめる者のために祈れ」(ルカ伝第6章)と書かれてあるとおりである。

しかし考えてみれば、あえてキリスト教の物語にしなくても、仏教のお経でも十分に役割を果たせただろう。あるいは大正の詩人の詩でもよかったかもしれない。
般若心経には、次の一節がある。
「心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃」
罣礙とは難しい言葉だが、人間のプライドであり、愛着であり、執着であり、憎悪であり、一言で言うとこだわりである。それらを捨てれば涅槃(ニルヴァーナ)の境地に至ることができると書かれてある。

中原中也の「山羊の歌」の中の「無題」という詩に次の一節がある。
「かくは悲しく生きん世に、なが心 かたくなにしてあらしめな。われはわが、したしさにはあらんとねがへば なが心、かたくなにしてあらしめな。かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ) 魂に、言葉のはたらきあとを絶つ なごやかにしてあらんとき、人みなは生(あ)れしながらの うまし夢、またそがことわり分ち得ん」
「頑なの心は、理解に欠けて、なすべきをしらず、ただ利に走り、意気消沈して、怒りやすく、人に嫌はれて、自らも悲しい。されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。従ひて、迎へられんとには非ず、従ふことのみ学びとなるべく、学びて 汝が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!」

いずれも、自分自身の凝り固まった心をほぐしていけば、周囲の心もほぐれていき、心を通い合わせることができる、それは本当に幸せなことだというテーマだ。簡単だが奥が深い。
とても感動的ないい映画だった。