15年位前に、歯が非常に痛んで歯科に通ったことがあった。数本の歯を抜いて処置し、痛みは治まったが、それからも心配で数ヶ月に一度、定期的にクリーニングなどの処置をしてもらっている。世の中に歯科があることはとても大切だ。医科歯科大学という学校があるように、医者の中でも歯科医は特別に需要があるので別枠となっている。
歯科医の大きな役割は、患者の痛みを取り除くことだ。痛くても我慢しろという歯科医はいない。抜歯すると数時間に亘って痛みが続くので、頓服をくれる。最近は抜歯するときも痛みがないような細い針の麻酔を使うし、抜いた後もあまり痛まない。歯痛は耐えがたい痛みなので、歯医者は地域に不可欠だ。
しかし歯医者以外の医者は、姿勢が違うように思える。十年以上前に腰痛で広尾の日赤医療センターに数年間通院していた。よく担当の医師が交代する病院で、数年間に3人の医師の診断を受けた。いずれの医師からも、手術しても完全によくはならない、日常生活に大きな不自由がないなら保存療法をすすめる、痛くても歩いたほうがいい、という説明を受けた。そして結局腰痛はちっとも改善せず、通院するのをやめた。通院しなくなってからのほうが、腰痛が楽になった気がしている。
たとえば酷い歯痛が少しも治らないままに数年間も数十年間も生き続けなければならないとしたら、それは文字通り死んだほうがましだ。耐え難い痛みを感じながら生きるくらいなら、命なんていらないのが人間の本音である。映画や小説で拷問シーンがあると拷問者が「そのうち耐えられなくなって、殺してくれと懇願するだろう」と脅す場面があるが、あれは真実だろう。自分の人生を拷問のように感じている人は、拷問を受けなくても殺して欲しいと願っている。
胃瘻という処置がある。嚥下困難な患者に対して胃に直接栄養物を補給する処置だ。これがなんとも情けない。そこまでして延命しなければならないのか。嚥下困難な症状が治ったら胃瘻を外せるのだろうが、それでも嫌だ。
医学会には救命延命至上主義というものがあって、そのために患者の苦痛や尊厳が無視されている。それは患者の希望ではなく、医者の独善だ。
加えて製薬会社の損益に関する忖度がある。製薬会社がなければ現代の医学は成り立たないのだから、医者と薬屋が互いに依存するのはやむを得ないが、その相互依存の状態から、利益のために癒着になるのは非常に容易である。法規や規範がないので飛越すべき壁などない。
厚生労働省によると日本人の健康寿命と平均寿命の差は男性で9.13歳、女性が12.68歳となっている。つまり寝たきりの年数だ。この年数だけ、医療費がかかるし、家族の介護労力もかかる。
医者が延命をしなければとっくに死んでいていいし、不健康で不自由で苦痛の状態で9年以上も生きるのは、本人にとって不幸以外の何物でもない。不健康で不自由で苦痛のある人は、早く死にたいのだ。無理やり生かしている医療は、一体何のためなのか。製薬会社の利益追求、製薬会社と厚生労働省の贈収賄、製薬会社と医者の癒着といった言葉が次々に頭に浮かぶ。