三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「WONDER WHEEL」(邦題「女と男の観覧車」)

2018年06月26日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「WONDER WHEEL」(邦題「女と男の観覧車」)を観た。
 http://longride.jp/kanransya-movie/

 ケイト・ウィンスレットは映画「愛を読む人」で、悲惨な運命を辿ったヒロインを迫真の演技で演じていて、非常に感銘を受けたことを憶えている。女優人生であれ以上の作品と役柄に出会える人は稀ではなかろうか。
 とはいえ本作の演技も素晴らしい。女優だった過去の栄光から一ミリも抜け出せず、現在の自分や置かれた状況を認めることが出来ないでいる哀れな女を、時に美しく、時に醜くみすぼらしく演じる。白馬の王子を待つ乙女のようかと思えば、嫉妬深いあばずれみたいだったりする振り幅の大きな演技は、自分は女優だという儚い拠りどころに縋っている彼女の精神性をわかりやすく表現している。芝居と現実の境界線がいつか自分でもわからなくなってしまっているのだ。女というものはこんなにも憐れで、そして男はそんな憐れな女に纏わりつくピエロであるというウディ・アレンの世界観がひしひしと伝わってくるようだ。
 狂言回し役のミッキーが一方的な見解を観客に伝える仕掛けはアイロニーが効いていて面白い。山の天気のように目まぐるしく移り変わる妻の心に振り回される夫ハンプティを演じたジム・ベルーシの演技は、ベテランらしく堂に入っている。実の父のいない子供リッチーは、ぽっかり空いた心の暗闇を照らすかのように、人の目を盗んでは火遊びをする。母親が現実を見ようとしないように、この子も現実に向き合おうとしない。この子役の演技もとても上手だった。
 人間の欲望と浅はかな計算と的外れなプライド、そして不安に駆られた衝動を、登場人物それぞれがリアルに演じ切ることで、高度な芸術作品に仕上がった。


映画「メイズランナー 最期の迷宮」

2018年06月26日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「メイズランナー 最期の迷宮」を観た。
 http://www.foxmovies-jp.com/mazerunner/

 前2作から随分時間が経っているので、どんなストーリーだったかうろ覚えになってしまっていたが、観ていなくてもそれなりに楽しめる内容になっている。
 人類の存続を大義とする全体主義者たちと、人間としての尊厳を守ろうとする若者たちの対決という大きな構図の中で、恋愛感情や友情、怨恨や憎悪、利己主義、組織の主導権争いといった人間関係が絡み、物語は必然的な方向に進んでいく。
 様々な価値観が様々な場面で衝突する映画で、登場人物はそのたびに決断を迫られる。ウィルスに感染した登場人物二人の行動の対比もテーマのひとつだ。ラストに二人と主人公の戦いが連続し、作品の見どころになっている。
 家族第一主義のアメリカ映画らしい世界観が底流にあるものの、様々な考え方の人間が交錯する立体的な構造の作品で、人類の行く末についての問題提起にもなっている。なかなかの傑作だと思う。


映画「終わった人」

2018年06月26日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「終わった人」を観た。
 http://www.owattahito.jp/

 田中角栄の日本列島改造で全国の上下水道が整備されてから、この国の衛生環境は飛躍的に向上し、年々寿命が延びてきた。比例するように健康寿命も延びてきて、同じ年齢でも昔の人と今の人では見た目からしてまったく違う。見た目が若々しい人は体力的にも若々しい。昔の還暦に出来なかったことも、今の還暦は楽々とこなす人がいる。いまや「年寄りの冷や水」や「老体に鞭打つ」といった慣用句は死語になりつつあると思う。
 主役の舘ひろしはコミカルな演技で、ともすれば重く暗くなってしまいそうな老いというテーマを、明るく笑い飛ばせるものに変えている。自分勝手で元気が余っているから、俺はサラリーマン人生をまっとうしきれていないと吠えてみたり、若い女性を相手にポテンツの心配をしたりする。情けなくも可笑しい場面である。ホテルのレストランで指を鳴らすなど、バブルを引きずっているところもあり、観ているこちらが気恥ずかしくなりそうだ。それもこれも、健康寿命が延びたから可能になった話で、この作品はいまの時代だからこそ成立する作品なのだ。
 老いらくの恋の相手役をつとめたのは広末涼子。最近おばさんの役が目立つが、まだまだ美人として通用する。女性としてのコケットリーも十分だ。
 妻役の黒木瞳はもともと表情の冴えない女優で、本作ではその欠点が露骨に出てしまった。子供がいる娘の年齢から察するに、主人公とは多分三十年以上連れ添っているはずだ。それだけの年月一緒にいれば夫婦の呼吸というものがあって、互いの気持ちが通じているところがあるはずだ。勿論何もかも通じ合えるものではないが、少しは思いやりの気持ちが垣間見えてもいい。しかし黒木の演技からは、思いやりも女の優しさの欠片も見えなかった。決して脚本のせいではない。まったく同じ台詞でも、喋り方によって全然違ったニュアンスになるのは誰でも知っている。配役ミスなのではなかろうか。
 そんなこんなで、ラストシーンもリアリティがなくなってしまい、映画としての完成度が著しく落ちてしまった。老いてからの承認欲求という、現代に相応しいテーマの作品で、舘ひろしや広末涼子がよく頑張っていただけに、殊更残念である。


映画「デッドプール2」

2018年06月26日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「デッドプール2」を観た。
 http://www.foxmovies-jp.com/deadpool/

 ハリウッドのB級作品である。だから映画としての深みはないが、笑って観る分には十分である。この作品はよくできていて、アクションとエロとグロがほどよいバランスで配置されている。主人公が必ずしも正義の味方でないところがいい。観て面白いことは面白い。
 登場人物はいずれも良心のタガが外れたように平気で残酷な行動をする。それはそうだろう、題名が「DeadPool」(死の池)だ。タイトルの由来はいろいろあるだろうが、イメージは赤い死体が掘った穴に大量に放り込まれ、あふれ出た血で池のようになっている感じ。主人公の真っ赤なコスチュームも同じイメージだ。
「フラッシュダンス」や「氷の微笑」のパロディ場面はそんなに笑えないが、忽那汐里は驚くほど可愛かった。これがハリウッド進出のきっかけとなるのかもしれない。
 全体に家族第一というアメリカのパラダイムの中で笑いを取り、登場人物の行動原理を説明する作品で、哲学のないアメリカのB級映画はどうしてもその世界観から脱しない。
 仮に、主要でない登場人物たちも主要人物と同様の人権を持つことを考えたら、実はこの映画はとんでもないジェノサイド(大量虐殺)映画なのだが、家族だけが唯一とする価値観からすれば、その他大勢がどれだけ死んでも知ったことじゃない。
 こういう作品が笑って受け入れられる現代という時代が、自分のことも含めて恐ろしい。どこかの大統領がアメリカファーストと叫ぶように、人々はマイファミリーファーストと叫びつつ、時代に対して高を括っている気がする。