三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

クラシックコンサート「名曲の花束 ソフィア・ゾリステン&リヤ・ペトロヴァ」

2019年11月13日 | 映画・舞台・コンサート
 Bunkamuraオーチャードホールでクラシックコンサート「名曲の花束 ソフィア・ゾリステン&リヤ・ペトロヴァ」に行ってきた。
 https://www.ints.co.jp/meikyoku2019-11/index.htm
 演奏曲は以下の通り。誰もが知っているか、一度は聞いたことのある馴染みの曲ばかりである。
(前半)
1.J.S.バッハ G線上のアリア
2.ドヴォルザーク ユーモレスク
3.シューベルト 楽興の時~第3番
4.パッへルベル カノン
5.ボッケリーニ メヌエット
6.チャイコフスキー アンダンテ・カンタービレ
7.エルガー 愛のあいさつ(※)
8.マスネ タイスの瞑想曲(※)
9.サラサーテ カルメン幻想曲(※)
(後半)
10.モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク~第1楽章
11.チャイコフスキー 弦楽セレナード~第2楽章「ワルツ」
12.ハイドン セレナード
13.J.S.バッハ 主よ、人の望みの喜びよ
14.J.S.バッハ 幻想曲 BWV.542
15.パガニーニ ラ・カンパネラ(※)
16.シューベルト アヴェ・マリア(※)
17.サラサーテ ツィゴイネルワイゼン(※)
(※)リヤ・ペトロヴァ
(アンコール)
18.赤とんぼ
19.ゴレミノフ 収穫と踊りより「ダンス」
20.ブリテン イタリア風アリア
21.ヤン・ヴァン・デル・ロースト リクディム

リア・ペトロヴァという女性バイオリニストは今回はじめて知った。済んだ音を出す人で、特に高音の技術が素晴らしい。ツィゴイネルワイゼンは流石に圧巻だった。

映画「It Chapter Two」(邦題「イット ジ・エンド それが見えたら終わり」)

2019年11月13日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「It Chapter Two」(邦題「イット ジ・エンド それが見えたら終わり」)を観た。
 http://wwws.warnerbros.co.jp/itthemovie/

 音響と映像で怖がらせるだけの作品で、大人が見るとあまり怖くない。大音響と画面の切り替えだけでは最早怖がらせることはできないと知るべきだ。
 第一作は思春期のいじめられっ子たちがペニーワイズが繰り出す様々な恐怖に打ち勝つ話で、青春群像としてそれなりに見られたが、本作品はその27年後という設定で、つまり主人公たちは略40歳くらいになっている訳だから多少なりとも胆が据わっている筈だし、鈍感にもなっている筈だ。それが子供の頃と同じように怖がるのは無理がある。怖がるのは登場人物たちだけで観客はちっとも怖くない。

 さて子供たちが自分たちをルーザーズ(負け犬たち)と呼んでいたのは自嘲の意味合いも込めたアイロニーだと思う。いじめっ子がいるからいじめられっ子がいる。いじめはコンプレックスと虚栄心の成せるわざであり、いじめがなくならないのは、人間がコンプレックスと虚栄心から自由になれないからだ。
 そんなことは大人になれば大方理解していて、つまらないことで人をいじめたりしなくなる筈だ。ところが本作品の主人公たちは、大人になっても昔のような罵り合いを繰り広げる。ホラーにするためには怖がらない大人だとうまくいかないから、人格的に子供から成長していない設定にしたのかもしれないが、リアリティに欠ける。
 続編だからといって同じホラーのジャンルにしなければならない訳ではない。ペニーワイズが子供にしか見えない設定のままでよかったのではないか。次々と殺される子供たち。集まった主人公たちにはペニーワイズが見えない。さて何ができるか。いいアイデアと上手いプロットがあれば本作品よりもいい作品が出来たと思う。本作品は大人の姿になったが中身は子供のままの主人公たちが第一作と同じように活躍しただけの作品だ。
 せめて冒頭のシーンの暴漢の台詞「これがデリーだ」という同調圧力に満ちた右翼的な言葉の意味くらいは回収してほしかった。


映画「ボーダー 二つの世界」

2019年11月13日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「ボーダー 二つの世界」を観た。
 http://border-movie.jp/

 本作品の「ボーダー」という言葉には複数の意味合いがあると思う。ひとつは文字通りの国境という意味で、主人公は税関職員の仕事をしている。もうひとつは隠された意味合いで、主人公は実は二つの世界の狭間に存在している。
 人間にとって言語を理解し使うことは、人間としての尊厳を確立するための最重要な条件である。他人の言葉を理解せず、言葉による表現もできない人間は、場合によっては人間扱いされない。逆に見た目が完全に犬であっても、言葉を話し理解すればその人格が認められる場合がある。携帯電話の某キャリアのCMがいい例だ。
 本作品の主人公ティーナは怪異な見た目ではあるが特別な能力があることで税官吏になれた訳だが、少なくとも言語を理解するから人間扱いされているのであって、もし言葉ができなかったら警察犬並みの扱いであっただろうと考えられる。

 何も説明せずストーリーの上で徐々に真相を明らかにしていく手法は見事で、ミステリーとしては上出来の作品だと思う。ジョン・カーペンター監督の「ゼイリブ」という映画を思い出した。日常的で当たり前に見える光景も、ひとたび仮面を剥がせばその下には異形の存在が隠されているかもしれない。
 映画を観ている間はそれほどに感じなかったが、終わっていろいろ思い返すと、この作品には底しれぬ怖さを感じる。大音響と映像で驚かせるハリウッドのホラー映画とはまったく違った、本物の怖さというか、現実にあってもおかしくない怖さである。結末も真相もすべて観たにもかかわらず、思い出すと怖くなる作品は滅多にない。もしかしたら大変な傑作ではないかという気がする。