映画「i新聞記者ドキュメント」を観た。
https://i-shimbunkisha.jp/
望月衣塑子のフラットな精神性が凄い。凹まないし、投げ出さないし、諦めない。それに人を恨まない。社内で衝突しても引きずることなく普通に接するし、ボツにされても腐らない。主観的な感情を排除して、あくまで事実のみを追い求める。ジャーナリストはこれくらいのタフな精神力の持ち主でなければいけないとすると、ジャーナリストになろうとする人にはそれなりの覚悟が求められるだろう。尤も、覚悟なしにジャーナリストを名乗る族もいるようだ。
事実とは何か。菅官房長官の言い分が面白い。事実誤認に基づく質問には答えられないという言い分だ。望月記者が質問したのは、辺野古の埋め立てに使われている土が赤土に見えるがどうなのかというものだった。赤土だと断言している訳ではない。しかし質問を聞いた人が赤土と誤認するからダメなのだという論理だ。権力が事実誤認と決めつければ、何も質問できなくなる。野党議員が「事実がわからないから聞くんでしょう」と当然のことを言っていたが、菅義偉は理解できない振りをする。
もともと安倍政権は、安倍晋三の頭の悪さに周囲が合わせているから、知的レベルは最低である。官房長官も同じようにレベルを下げて、非論理的な言い分を堂々と主張するようになってしまった。本当はもう少しまともな人だと思う。
嘘も百回言えば本当になる、というのはナチスのプロパガンダ手法らしい。麻生太郎が「ナチスのやり方に学べ」と発言して問題になったことがある。安倍晋三はモリカケ問題について「説明責任を果たす」と言い続け、結局何も説明しないまま、最後は「説明責任を果たした」と言い張った。国民は皆健忘症だとでも思っているに違いない。そして残念なことにそれは結構当たっている。麻生太郎の発言も、ドイツの政治家が発言したら大変な事件になったはずなのに、日本ではまたアホウタロウが何か言っているよ、と苦笑いで終了だ。
映像に出てくるおばさんが「どうせ選挙になったらまた自民党が勝つんでしょ」と言っていた。実際にそうなっている。「国難突破解散」だとか言って北朝鮮の脅威を訴えた総選挙は、モリカケ問題の説明責任を果たさないまま突入したが、結果は自民党が公示前議席を維持する形となった。安倍は「国民の信を得た」と得意満面だった。
日本国中の良識ある人々が無力感に押し潰されそうになったが、ジャーナリストは結果をニュートラルに受け止める。何が事実なのかということと選挙の結果は別でなければならない。ジャーナリズムが権力に押し潰されて表現の自由を放棄するようでは民主主義は終わりだ。しかし日本のマスコミは、かつて大本営発表を垂れ流していた頃に戻りつつある。それは退化と言っていい。「新聞記者」のレビューにも書いたが、いまや言論の自由を守るのはジャーナリストではなく映画人だ。
本作品は数少ない勇気のあるジャーナリストを言論の自由を守る映画人が撮影した貴重なドキュメントである。沖縄の基地問題、森友学園問題、加計学園問題、伊藤詩織さんの強姦事件、それに望月記者の質問妨害事件などのシーンがテンポよく進む。小気味のいいドキュメントで、まったく退屈しない。それは望月記者と森達也監督の覚悟と勇気がひしひしと伝わってくるからだ。観ているこちらまで、少しばかり勇気が湧いてくる。この作品が上映されなくなるようでは、日本の将来は暗澹たるものになるだろう。