三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「サンセット・サンライズ」

2025年01月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「サンセット・サンライズ」を観た。
映画『サンセット・サンライズ』公式サイト|絶賛上映中

映画『サンセット・サンライズ』公式サイト|絶賛上映中

監督:岸善幸、脚本:宮藤官九郎、主演:菅田将暉の豪華タッグで贈る、泣き笑い“移住”エンターテインメント!

 菅田将暉が演じた西尾晋作は、いまどき珍しい本音の人だ。釣り好き、魚介好きの人は、当然ながら、自然を大事にする。自然災害も自然のうちで、たまたま人間に被害があった場合に、災害と呼ばれる。被災者が大変なのはわかるが、偶然そこにいたから被害にあったとも言える。言い換えれば、誰もが被災者になる可能性がある訳だ。
 だからこそ、共同体は全力で被害者を助けなければならない。しかし現状は被害者を置き去りにして、武器や兵器を買うのに巨額の予算を使う。こんな予算の使い方では、将来自分が被害に遭ったときに、共同体は助けてくれないのだと、誰もが思う。子供を作りたくないと思う人がたくさんいるのは当然だ。少子化は共同体の指導者層の自業自得なのである。
 そういったことを踏まえて本作品を観ると、行政のちぐはぐさが見えてくる。コロナ禍の政府の対応は、いまから考えれば、とても滑稽なものだった。
 そもそも保健体育という科目が小学校からあるのに、感染症の教育は全く行なわれていないのが現状だ。ただ手を洗え、うがいをしろと言われても、応用が効かない。どうして手を洗うのかをしっかり教育していれば、コロナウイルスの蔓延にも、各自が適切に対応できただろう。
 こういうところにも、為政者の「由らしむべし、知らしむべからず」という高慢な態度が見え隠れする。そういう為政者ばかりが選挙で当選するのは、有権者のレベルがダイレクトに反映されている訳だ。やれやれである。

 これといった事件も起きず、坦々としたストーリーが展開する作品だが、東日本大震災とコロナ禍をうまく組み合わせて、登場人物たちの自然災害に対する姿勢の微妙な違いが、人間関係にダイナミズムをもたらしていて、それが力強く物語を牽引していく。上手に作られた作品だ。菅田将暉も井上真央も、とてもよかった。それに菅田将暉の絵が上手なことにも感心した。歌も歌えるし、絵も描ける。才能に恵まれているというのは、こういう人のことを言うのだろう。

映画「アンデッド愛しき者の不在」

2025年01月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アンデッド愛しき者の不在」を観た。
映画『アンデッド/愛しき者の不在』公式サイト

映画『アンデッド/愛しき者の不在』公式サイト

2025年1月17日(金)公開、「アンデッド/愛しき者の不在」公式サイト。『ぼくのエリ』『ボーダー』作者がおくる北欧メランコリックホラー。出演:レナーテ・レインスヴェ。

映画『アンデッド/愛しき者の不在』公式サイト

 ビデオゲームの「バイオハザード」で定着したゾンビの印象も、原作者ヨン・アイビデ・リンドクビストにかかると、まったく違うものになる。
 本作品のゾンビたちは、終始無言だ。アーウーと言いながら千鳥足でヨタヨタ歩いたり、近くの人間に襲いかかったりしない。しかし時折見せる残虐な一面には、空恐ろしいものがある。こちらのゾンビのほうが、よほど不気味だ。映画では一度も観たことのないキャラクターである。さすがは傑作映画「ボーダー二つの世界」の原作者だ。

 本作品の前日に邦画「君の忘れ方」を鑑賞していて、近しい人間の死と、残された者たちの振る舞いについての作品を、期せずして連続して鑑賞することになった。
 人の死を扱う作品が相次いで公開されたのは、偶然ではない気がする。世界にはどんよりとした不安が充満している。民主主義と金融資本主義が、縁故民主主義と強欲資本主義に変化してしまって、自分さえよければいい、いまだけよければいい、カネさえあればいいという刹那的な利己主義が蔓延しているのだ。

 働き者でずる賢くて、しかも運がいい者たちがのし上がる一方、金儲けの才も運もない者たちは、安い賃金の労働でなんとか生を繋いでいくしかない。近しい者の死は、自分の生を顧みる機会であって、それは自分の死を考える機会でもある。果たして自分の生に意味があるのか。

 近しい者がゾンビになって戻ってきたら、その疑問は立体的になる。ただ息をして心臓が動いているだけで、コミュニケーションが取れない存在に、どんな意味があるのか。
 振り返って、自分はどうなのか。ただ労働をして食っていくだけの生活に、ゾンビたちと何の違いがあるのか。強引に敷衍すると、人類の存在に何の意味があるのかという疑問になる。
 そう考えると、人類はゾンビそのもののような気がしてくる。強欲な利己主義者が共同体を牛耳って、他の共同体と衝突すれば、たちまち戦争になるだろう。弱い者は、誰かに殺されるのをただ待つしかない。ほとんどゾンビである。本作品には深い意味があると思う。

映画「君の忘れ方」

2025年01月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「君の忘れ方」を観た。
映画『君の忘れ方』オフィシャルサイト

映画『君の忘れ方』オフィシャルサイト

1月17日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開

映画『君の忘れ方』オフィシャルサイト

 昨年は相次いで年配社員が亡くなった。ふたりともひとり暮らしの独身男性で、出社してこないから部屋を訪ねてみると死んでいた、というパターンだった。

 人間が死んだら、人格も何もなくなってしまうことは、誰もが知っている。しかし、ふとした瞬間に、面影が蘇ることがある。幽霊を信じるのではなく、死を消化しきれていないのだ。
 年配の孤独死は、家族を探すことからはじまるが、それは警察の仕事だ。家族から連絡が来ない限り、葬式にも出られない。
 だから二人のお別れ会を催した。二人とも社歴が長いから、たくさんの人々が参加してくれた。社員たちは、それなりに納得した顔をしていた。セレモニーには、それなりの意味があるのだ。

 故人を偲ぶのは、義務でなくて権利だと思う。一番思うのは、あの人たちが生きているときに、何をどのように感じていたのかなということだ。
 人と人とは決してわかりあえないが、想像することはできる。感謝することもできる。死者に感謝することは、死者に対する何よりの弔いだ。

 近しい人のロスに対して、おせっかいな口出しをしてくる人がたくさん登場する作品だが、主人公が懐の深さをみせて、単純に拒否しないところがいい。もっとも、主人公の寛容がなければ、本作品は成立していない。脚本家という設定が、その寛容さを担保している。いろいろと考えさせられる作品だった。