三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「美晴に傘を」

2025年01月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「美晴に傘を」を観た。
映画『美晴に傘を』公式サイト

映画『美晴に傘を』公式サイト

心の雨を、言葉にかえて――・升 毅/善治役・田中 美里/透子役・日髙 麻鈴/美晴役 を主要キャストに迎えた言葉でつながる家族再生の物語。

映画『美晴に傘を』公式サイト

 歳を取った昭和の男が主人公とあって、言葉遣いに遠慮がない。口に出すのが躊躇われる「知恵遅れ」という言葉も、平気で口にする。昔からのTPOを重んじて、それに外れることや外れる人を嫌う。
 だからといって、本作品が差別的な作品かというと、そうではないと思う。差別の本質は、差別して相手の人格を軽んじるか、差別せずに相手の人格を重んじるかどうかである。言葉遣いの問題に矮小化するのは、差別を形骸化してしまうことになる。
 最近は、言葉遣いや態度を研究することで、どうすれば差別していないように思われるか、どうすれば誠意があるように見えるか、誰もがそんなことに勤しんでいる。そういうアドバイスを仕事にしているような人々もいる。そんな連中に頼らざるを得ないほど、社会全体が形骸化していると言ってもいい。中身がないのだ。
 
 本作品は、言葉を大事にしていることがよく分かる。取ってつけたような台詞、表面を飾る台詞を極力排して、登場人物が本音で話しながらも、愛情や優しさが滲み出るような、そういう脚本と演出である。
 升毅は、2016年製作の「八重子のハミング」以来の映画主演だが、やや強引なストーリーを演技でねじ伏せているような実力を感じた。この俳優本来の、消えてしまうかのような存在感の淡さに加えて、感情を抑えた渋い演技がとてもよかった。

映画「籠の中の乙女」

2025年01月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「籠の中の乙女」を観た。
映画『籠の中の乙女 4Kレストア版』オフィシャルサイト

映画『籠の中の乙女 4Kレストア版』オフィシャルサイト

ギリシャが生んだ巨匠ヨルゴス・ランティモス、キャリア初期の代表作が4Kレストア版にて蘇る。

映画『籠の中の乙女 4Kレストア版』オフィシャルサイト

 2023年製作の「哀れなるものたち」と2024年製作の「哀れみの3章」のヨルゴス・ランティモス監督が2009年に製作した作品である。やはりランティモス監督に通底する、支配とセックスと死がテーマとなっている。3作品とも実験的な作品だが、本作品は物語そのものが壮大な実験の記述となっている。

 下世話な話で恐縮だが、世界一セックス頻度が高い国がギリシアだそうで、本作品はギリシア映画だから、食事のシーンと同じくらい、セックスのシーンが登場する。ちなみに日本のセックス頻度は飛び抜けて低いというアンケート結果がある。邦画にセックスシーンが少ないのは、そもそもセックスが日常的ではないからという理由が濃厚である。

 子どもたちを外へ出さず、知識と経験を限定したら、どのような人間に育つのか。ひたすら従順に、勤勉に、正しく育つだろうという両親の思惑は、途中まではうまくいっていたように見えるが、思春期を迎えて歪みを生じたようで、その時期を描き出したのが本作品である。
 健康に育った子どもたちには、食欲と性欲を満たしてやる必要がある。食事には食材が必要で、セックスには相手が必要だ。それらは外界から調達するしかなく、家の外との僅かなつながりは、避けようがない。夫婦が最も苦心しているところだ。子どもたちが覚えてしまった不適切な言葉には、本来とは別の意味を与え、家の外は恐ろしい場所で、自動車でしか行くことができないと教え込む。

 子どもたちの知識欲と自由への欲求不満は凄まじく、暴力や悪意となって現れる。兄弟を傷つけたり、飛行機を見て、落ちればいいと願ったりする。飛行機については、目視で確認できるものだから、両親も正確に説明せざるを得ず、たくさんの人が乗っている認識がないことは考えにくい。落ちればいいと願うのは、明らかな悪意である。自由には、悪意も含まれるのだ。

 個人が頑張っても限界があるが、共同体が家族よりもずっと大きくなって、たとえば国家ならどうか。北朝鮮を扱ったドキュメンタリー映画を見る限り、情報の制限は、国家指導者に対する無条件の尊敬と服従を徹底できたように思える。しかし脱北者が存在するということは、どこかに破綻があるのだ。
 ジョージ・オーウェルの「1984」にも通じるような、国家的な洗脳を、家庭における思考実験として映画化した作品に思えた。メタファーとしてのヒントはいくつも散りばめられていて、微かなヒントからでも、子どもたちはものごとの本質に辿り着こうとする。それは人間という存在の可能性を示しているとも言える。意欲作である。