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揖斐川町長に宗宮氏再選 新人・粟野氏を破る 岐阜

2009-02-23 18:44:12 | Weblog
揖斐川町長に宗宮氏再選 新人・粟野氏を破る 2009年02月23日 岐阜 
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090223/200902230829_7203.shtml
 任期満了(3月5日)に伴う揖斐郡揖斐川町長選は22日に投票、即日開票され、無所属現職の宗宮孝生氏(66)=同町房島=が、無所属新人の農業粟野光氏(72)=同町上東野=を破り、再選を果たした。
 宗宮氏は、町村合併後の現・揖斐川町で進めてきた1期4年の実績をもとに、さらなるインフラ整備の充実や教育と福祉の向上、住民協働のまちづくりを掲げて支持を集めた。前回の町長選に続き2度目の挑戦となった粟野氏は、住民主体の町政の実現を訴えたが及ばなかった。
 当日有権者数は2万682人(男9842人、女1万840人)。投票率は76・15%で、前回を4・12ポイント下回った。
得票は宗宮氏9052票、粟野氏6447票。




 岐阜県揖保川町は、福井県大野市や滋賀県長浜市などに隣接する人口2.5万人弱の豪雪地帯で有名な地域ですが、その揖斐川町で行われた町長選挙では、現職で『町民とともに元気な町、住んでみたい町づくりを進めたい』と訴えた宗宮孝生が9052票を獲得し、新人で『町政を町民の手に取り戻そう。町政へ町民の積極的な参加を』と訴えた農事組合法人理事の粟野光氏を2500票以上の大差をつけて再選を決めました。
 ちなみに、揖斐川町は2005年1月に揖斐郡谷汲村・久瀬村・春日村・坂内村・藤橋村と合併し、新しい揖斐川町が発足。直後に行なわれた選挙では宗宮孝生氏が9867票、粟野光氏が5468票、田中寿氏が1733票を獲得しましたが、4年後の今回選挙では、(田中氏が出馬しなかったため)一騎打ちとなり、若干票差は縮小したものの今回も圧勝。こちらは現町長の町制運営が支持された形でしょうか…。

阿蘇市と山都町では現職が再選、南阿蘇村長選は長野氏が初当選 熊本

2009-02-23 18:30:00 | Weblog
佐藤氏が再選 熊本・阿蘇市長選 2009年2月23日 西日本
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/78869
 任期満了に伴う熊本県阿蘇市長選は22日、投開票され、現職の佐藤義興氏(59)=無所属=が、新人で元市議の井芹正吾氏(34)=無所属、公明推薦=を破り、再選を果たした。
 佐藤氏は2005年に阿蘇、一の宮、波野3町村合併で誕生した同市の初代市長として旧町村の融和に力を注いだ。地域づくりの柱として農畜産業者の収入確保や観光資源の掘り起こし、若者の定住促進などを掲げ、支持を集めた。井芹氏は合併特例債を積極活用した都市基盤整備などを訴えたが、及ばなかった。
 投票率は84.14%。当日有権者数は2万4110人(市選管調べ)。
■阿蘇市長選
当 佐藤義興 無 現    12087
  井芹正吾 無 新     8058

甲斐氏が再選 熊本・山都町長選 2009年2月23日 西日本
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/78874
 任期満了に伴う熊本県山都町長選は22日投開票され、現職の甲斐利幸氏(66)=無所属=が、新人で旧清和村長の兼瀬哲治氏(62)=無所属=を破り、再選を果たした。
 甲斐氏は、争点の庁舎建て替え問題で、現在地での建設を主張するなどして、支持を集めた。
 投票率は83.54%。当日有権者数は1万5908人(町選管調べ)。
■山都町長選
当 甲斐利幸 無 現     6849
  兼瀬哲治 無 新     6310

長野氏が初当選 熊本・南阿蘇村長選 2009年2月23日 西日本
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/78875
 任期満了に伴う熊本県南阿蘇村長選は22日投開票され、無所属新人で旧長陽村助役の長野敏也氏(63)が、初当選を果たした。長野氏は農産物のブランド化や、農業と商業を連携させた観光振興、高齢者を活用する人材バンク創設などを公約に掲げて、無所属新人5人の争いを制した。
 投票率は85.94%。当日有権者数は1万64人(村選管調べ)。
■南阿蘇村長選
当 長野 敏也 無 新     2221
  吉良 清一 無 新     2025
  市原 正人 無 新     1903
  岩下 友春 無 新     1597
  工藤 保雄 無 新      812



 熊本県では、県北東部に位置する阿蘇市・南阿蘇村と大分県に隣接する山都町の3自治体で選挙選が実施されました。
 まず2005年2月に阿蘇郡の阿蘇町・一の宮町・波野村が合併し発足した人口2.9万人弱の阿蘇市では、前回(2005年)の新人同士の選挙戦を2500票差で制して、財政再建に尽力した1期目の実績を強調しながら『医療・福祉・教育の充実、働く場所の確保を』と訴えた佐藤義興氏が、『現在の佐藤市政を「ビジョンが見えない」と指摘して市の基盤づくりに「合併特例債の有効活用を」』と訴え公明が推薦に回った井芹正吾氏を4000票差で破り再選。

 そして、2005年2月に上益城郡矢部町・清和村・阿蘇郡蘇陽町が合併して誕生した人口1.75万人弱の(八代市などに隣接する)山都町では、前回無投票で初当選し『庁舎について、商店街との近接と合併時の合意を重視し現在位置での建て替えを主張』した現職の甲斐利幸氏と旧清和村長の兼瀬哲治氏との一騎打ちとなったのですが、こちらは現職が前回選挙では出馬を見送った兼瀬哲治氏に439票差まで迫られるまさかの大苦戦。甲斐氏はとりあえずは信認を得たものの、厳しい舵取りを迫られることになりそうですね…。

 そして、南阿蘇村は2005年2月に阿蘇郡長陽村・白水村・久木野村が合併し発足した人口1.2万人・有権者10064人の村ですが、前回(2005年)も3人の新人による争いとなり、旧長陽村長だった今村輝昭氏が当選したものの、その今村氏が今回は出馬を見送ったため、なんとなんと新人5人による争いとなったのですが、結局2221票を獲得した元南阿蘇村議の長野敏也氏が、前回立候補組で旧白水村議の吉良清一氏(2025票)、同じく前回立候補組で旧久木野村長の市原正人氏(1903票)、元南阿蘇村副村長の岩下友春氏(1597票)、元南阿蘇村議の工藤保雄氏(812票)を破り初当選しました。
 それにしても、有権者が1万人しかいない村で、奈良県天川村のような不祥事(天川村では現職村長の車谷重高氏が昨年12月に収賄容疑で逮捕)があったわけでもないのに、5人も立候補したというのでは、村民も各候補者の違いというものがイマイチわからないまま、選挙戦に巻き込まれる形になったのではないかと思うのですが、一番得票数の少ない工藤氏はともかく、他の4人は誰が当選していてもおかしくなかったと思いますし、ここまで票が割れてしまうと、本当に村政運営が上手くいくのか、傍から見ていても心配になってしまいます。

柿坂氏が初当選-天川村出直し村長選  奈良

2009-02-23 18:22:51 | Weblog
柿坂氏が初当選-天川村出直し村長選  2009年2月23日 奈良新聞
http://www.nara-np.co.jp/n_all/090223/all090223b.shtml
 村公共工事に絡む汚職事件による前村長の辞職に伴う天川村の出直し村長選は22日投票され、即日開票の結果、村森林組合長の柿坂弥寿麿氏(64)=無新=が、元村助役の森本靖順氏(65)=同、元会社役員の楊枝源一氏(61)=同、元村議会議長の根来群二氏(55)=同=を破り、初当選を果たした。当日有権者数は1618人(男756人、女862人)。投票率は88.63%で実質的な選挙戦となった前々回(平成13年)の94.10%を下回った。
 同村坪内の柿坂氏の選挙事務所に当選の一報が入ると、歓声と拍手が沸きあがった。柿坂氏は「責任の重大さを感じている。村の発展に全力を注ぎたい」と当選の弁を述べ、支持者らとバンザイ三唱して勝利を祝った。




 奈良県の天川村と言えば、世界遺産に登録された修験の山の大峯山があり、そのふもとには天河大弁財天社がある人口1600人の秘境の村で、作家内田康夫氏の「天河伝説殺人事件」で一躍有名になったあの天川村ですが、昨年12月6日に公共工事を巡って、車谷重高村長が収賄容疑で逮捕され辞職したことで出直し選挙となり、4人が立候補する大混戦となったのですが、
 昨年12月の村長逮捕事件について、「村の体質、土壌的なものがある。それは変えたい」と主張し「事件の原因の究明と再発防止及び情報公開」を訴え、また村営3温泉に木質ボイラーを導入して間伐材利用を促進し、村長報酬は50%カットし、出産祝い金の復活も公約に掲げた林業家の柿坂弥寿麿氏が539票を獲得し、
 村の助役まで勤め上げ2005年に一旦退職したものの、今回の事件で『助役の時、当時の村長に「すべて村長の権限でできないように改善をと提言したが実現しなかった』ことを悔やみ、周囲から促されたこともあり立候補を決意、一般の人も参加する指名業者選定委員会を設置して「村民、職員の不安解消、村の立て直し」を主張した森本靖順氏(386票)
 マニュフェストで「指名競争入札は談合の温床」とし一般競争入札と企業の地域貢献度などを配慮する「審査会」設置と「最大限の情報公開」を訴えた楊枝源一氏(271票)
 88年から村議を5期務めその当時から「村議20年をめどに村長選に出たいと思っていた」とし、「老後の安心」を取り上げ「元気な年寄りが増えてほしい」とシルバー人材センターの設立も訴えた根来群二氏(214票)
 の3氏を破り初当選しました。

 ちなみに、前回選挙では、逮捕された車谷重高氏が1213票を獲得し、辻山清氏(104票)を圧倒したのですが、今回はその車谷重高氏が逮捕されたこともあり、4人全員が不正の再発防止と情報公開を訴える、傍から見ているとイマイチ各候補の違いがわかりにくい選挙戦になったのですが、得票率は88.63%と村民の関心も高かったようですし、村民としては不祥事から一刻も早く立ち直りたいところ。
 新村長がどのような村政運営を行なうか注目されそうですね。

奥尻町と清水町の町長選は共に接戦、奥尻は新人が制す 北海道

2009-02-23 18:15:21 | Weblog
奥尻町長に新村氏 現職和田氏に144票差 2009年02月23日 北海道
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/148726.html
 任期満了に伴う檜山管内奥尻町長選は二十二日投票、即日開票の結果、新人で前町議会議長の新村卓実氏(56)=無所属=が再選を目指した現職の和田良司氏(62)=同=を百四十四票差で破り、初当選した。
 当日有権者数は二千八百八十九人、投票者数は二千五百三十六人。投票率は87・78%で、前回選挙戦となった二〇〇一年の投票率85・75%を2・03ポイント上回った。無効票は四二。
 新村氏は、町民との対話を重視する姿勢を打ち出し、町の財政再建を先延ばししてでも経済活性化を優先すべきだと主張。まちに明るさを求める町民の幅広い票を集めた。過半数の町議が支持に回るなど厚い応援態勢にも支えられた。
 和田氏は、組織に頼らない草の根選挙を展開。財政再建など一期四年間の実績を強調したが届かなかった。
奥尻町長 開票結果(選管最終)
当 1319 新村卓実 無所属 新
  1175 和田良司 無所属 現

清水町長選 高薄氏3選 2009年02月23日 北海道
 任期満了に伴う十勝管内清水町長選は二十二日投票、即日開票の結果、現職の高薄(たかすすき)渡氏(67)=無所属=が九十五票差で、新人で前町議の橋本晃明氏(46)=同=を振り切り、三選を果たした。
 同町長選は前回が無投票で、選挙戦は二〇〇一年以来、八年ぶり。当日有権者数は八千六百三十八人、投票者数は六千九百四十二人。投票率は80・37%で、二〇〇一年を3・54ポイント下回った。
 高薄氏は、町債務の大幅縮減など、二期八年の行財政改革の成果を強調。町政の継続を訴え、自民党支持層や有権者比率の高い六十歳以上の票を手堅くまとめた。
 橋本氏は、三、四十歳代の農業や商工業者ら若い世代を中心に支持を集め、現職への批判票も取り込んだが、及ばなかった。
清水町長 開票結果(選管最終)
当 3487 高薄渡 無所属 現
  3392 橋本晃 無所属 新



 北海道では奥尻町と清水町で町長選挙が行なわれましたが、どちらも接戦となったようです。
 まず奥尻町ですが、町民との対話を重視する姿勢を打ち出し、町の財政再建を先延ばししても経済活性化を優先すべきと主張した新人の新村卓実氏が1319票を獲得し、財政再建など一期四年間の実績を強調した現職の和田良司氏(1175票)を144票差で破り初当選。
 奥尻町と言えば、1993年7月の北海道南西沖地震で津波や土砂災害により死者201名、行方不明者29名、負傷者323名を出したあの忌まわしい厄災で一躍有名になってしまった北海道の半島部から西側にある奥尻島(飛行機で函館市まで40分、フェリーで江差町まで2時間10分)にある人口3400人程度の町ですが、選挙前から接戦が予想されていたようで、有権者2889人のうち2536人(87.78%)が投票に行くなど関心も高く、まさしく町を二分する戦いになりましたが、新町長はどのような町制運営を行なっていくのでしょうか…。

 一方、十勝支庁の帯広市から北に向かう場所に位置し、南富良野町に隣接する清水町(人口1万人強)の町長選では、現職と新人の一騎打ちとなったのですが、現職の高薄(たかすすき)渡氏が3487票を獲得し、新人の橋本晃明氏(3392票)を95票差でかろうじて退ける大接戦に…。こちらは2001年2月に町長に就任した高薄渡氏が前回選挙(2005年)では無投票で再選され、2期4年の実績を問うものとなったようですが、若い世代が橋本氏を推し、年配者や自民党支持者が高薄氏を推すこちらも町を二分する選挙になったようですが、橋本氏は3選を決めたとはいえ、かなりきわどい勝負でしたし、お世辞にも町民全体から信頼を得ているとは言えない状況。高薄渡氏が次の4年間で財政再建を進めながらどう町民の信頼も取り戻すかが厳しく問われることになりそうな気がします。

江口氏が初当選 上野原市長選

2009-02-23 18:10:12 | Weblog
江口氏が初当選 上野原市長選 2009年02月23日 山梨日日
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2009/02/22/7.html
 任期満了に伴う上野原市長選が22日投開票され、新人で元上野原町立病院長の江口英雄氏(66)が、新人で前副市長の中村照夫氏(57)を3626票の大差で破り、初当選した。得票は江口氏11057票、中村氏7431票、無効122票(選管最終)。
 光ファイバー網を敷設した情報通信基盤整備事業をはじめ、引退する奈良明彦氏の市政を批判して市政転換を訴えた江口氏が、奈良氏後継との見方が強かった中村氏を退けた格好。
 選挙戦で江口氏は、情報通信基盤整備事業の見直しのほか、新市立病院計画の白紙撤回などを訴えており、奈良市政の施策が大きく変わる事が予想される。
 敗れた中村氏は、奈良氏のほか県議や市職員組合、公明党県本部など多くの支援組織を生かして、長年の行政経験をアピールしたが及ばなかった。



 山梨県上野原市は、同県の大月市や神奈川県相模原市・東京都多摩町や楡原村などに隣接する、2005年2月13日に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して誕生した人口2.7万人の地方都市ですが、合併前の旧上野原町を含めて6期約22年間続けた奈良明彦市長が今期限りで引退することを表明したため、奈良市政の継承かそれとも変革かを問う、事実上の後継者(副市長)と新人が争う選挙となったのですが、争点となった光ファイバー事業で見直しを訴え、また新市立病院計画の白紙撤回を訴えた江口英雄氏が11057票を獲得し、奈良市政の継続を訴えた中村照夫氏(7431票)を3626票差の大差で破り初当選しました。

 ちなみに、この光ファイーバー事業というのは、公共施設を結ぶ地域イントラネット基盤施設の一部を活用した事業のことで、昨年10月に周辺地域から運用を開始して市街地も09年度から段階的に運用を始める予定としていましたが、その事業費が14億円もかかり一般財源と合併特例債を充てるものの、江口氏は、「地上デジタルは個人と共聴施設(組合)を活用し、またインターネットについてはNTTに要請すると(事業の)中止を視野に入れて合理的に見直す」と強調したのに対して、中村氏は「市民のために最大限活用していく」と継続を訴えて真っ向から対立。
 私も、反対派が主張する「ノウハウのない市がやる事業ではない。そもそも、なぜ市がやるのか事業のいきさつも不透明」という意見の方が正しく思えますが、人口減少が止まらない中、貴重な財源の使途を巡って市民が現政権の継承を訴えた副市長にNOをつきつけ、前病院長の新人に市政運営を託した形になったように思います。

 それにしても、新病院反対派の江口英雄氏が当選したことで、新病院の建設計画はどうなってしまうんでしょうね…。
 ちなみに、この新病院は旧上野原中学校跡地に総事業費約40億円をかけて150床規模の新病院を建設する計画で、外来が内科など10科・入院も外科など4科を設置する予定ですが、市民からの要望が多い小児科や産婦人科は設置されませんし、かといって現状の上野原市立病院も医師不足の影響で17人いた常勤医が一時3人まで減少し、市民からも「職員の対応が悪い」「説明が不足」「待ち時間が長い」など不満が高まっていて、隣接する東京都など市外の医療機関に患者が流れ、病床利用率が70%未満の公立病院に見直しを迫る国のガイドラインに抵触する非常事態。
 新病院の建設問題うんぬんはともかく、前富士吉田市立病院長で元上野原町立病院長だった江口英雄氏がどう医師のやりくりをし、地元民から市民病院の信頼を取り戻すかという意味でも注目が集まりそうですし、財政運営の効率化と病院の運営の大きな2つの問題をかけて新市長は厳しい舵取りを迫られることになるのではないでしょうか。

米原市長に新人泉氏 僅差、現職破り当選

2009-02-23 18:03:37 | Weblog
米原市長に新人泉氏 僅差、現職破り当選 2009年2月23日 京都
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009022200127&genre=A2&area=S00
 任期満了に伴う滋賀県米原市長選は22日投開票され、無所属新人で前滋賀県東京事務所長の泉峰一氏(59)が、無所属現職の平尾道雄氏(58)を289票の僅差(きんさ)で破り初当選した。
 米原駅の東部土地区画整理事業、行財政改革、福祉施策の充実、地域間格差の解消など合併5年目以降のまちづくりが問われた。
 泉氏は「チェンジ米原」を掲げ、県職員の経験をバックに現場第一主義で地域の声を生かした市政運営を訴えた。知名度の低さが懸念されたが、ミニ集会を重ねるなど草の根の運動で挽回(ばんかい)。旧山東、近江、伊吹町の元町長や自民党県議、保守系会派の市議らの支援を得て旧伊吹、近江町で票を固めた。
 平尾氏は「合併第2ステージでのさらなる市政発展」を掲げ、教育や医療、介護支援の推進などをアピール。「対話の会」や連合滋賀の推薦を受け、民主党の国会議員や県議、市議らが運動を展開したが及ばなかった。
 当日有権者数は3万2603人で、投票率は68・73%だった。米原市は2005年2月、旧山東、米原、伊吹の3町が合併して誕生、同年10月に旧近江町が編入された。前回(05年3月)の市長選は無投票だった。
▽開票結果(選管最終)
当 11277 泉峰一 無新
  10988 平尾道雄 無現


 米原市は滋賀県北東部に位置する新幹線と在来線が接続する米原駅がある2005年2月に伊吹町・山東町・米原町の3町が合併してできた(同年10月に近江町が編入)人口4万人強の地方都市ですが、今回は前回の無投票とうって変わり、現職に新人が挑む一騎打ちとなりましたが、「チェンジ米原」を掲げ、県職員の経験をバックに現場第一主義で地域の声を生かした市政運営を訴えた泉峰一氏が知名度の低さを跳ね返し、現職で4年間の実績を強調した平尾道雄氏を破り初当選しました。
 ちなみに、合併前の米原町では、1976年から1992年まで無投票が続き、95年と99年・2000年は2人が立候補したものの、2004年と合併直後の05年は再び無投票となる無風選挙区だったのですが、今回は大接戦の末、新人が前回の相乗り候補を破る快挙。それだけ市民が変革を求めていることを立証する形になったのではないでしょうか…。

 もっとも、4自治体が合併して誕生した米原市は、引き継いだ役場建物を中心施設と支所に分類せず、いずれも市役所庁舎として使う「分庁舎方式」(教育部と健康福祉部が山東庁舎に、経済環境部が伊吹庁舎に、政策推進部と総務部と都市整備部が米原庁舎に、市民部と土木部が近江庁舎にあります)を採用して、普段はテレビ会議システム等で連絡をとっているものの、米原庁舎から最も遠い伊吹庁舎までは距離にして約18キロ車で30分かかるため、打ち合わせなどで職員が移動するたびに時間とガソリン代がかかる行政の非効率がありますし、かといって4箇所のどの庁舎にも他の庁舎がもつ課を収容するだけのスペースがなく、新庁舎を作る財政的な余裕もないだけに新市長には、町の再開発事業だけでなく、行政の効率化という難題ものしかかってきそう。新市長がどのような舵取りをするのかに注目が集まりそうですね…。