今もなお中共が社会主義国家を名乗っていることに、憤りすら覚えるのは私だけであろうか。埴谷雄高が問題視していたように、「レーニンは革命後の新しい権力について語るとき、必ず、すべての官吏は例外なく選挙によって選ばれ、また何時でもリコールされるべきで、その俸給は、熟練労働者の平均賃金をこえてはならない、という句節をいわばくどいほど繰返し述べている」(『埴谷雄高政治評論集』)にもかかわらず、それが夢でしかなかったことを、レーニン自身が思い知らされたのがロシア革命であった。「あらゆる権力はソビエト」というスローガンであったのに、民衆の一部分を代表しているだけの党に、全ての権力が集中したのであり、レーニンが頼りにした鉄の規律を誇る前衛が官僚となったのだ。いかなる勢力もそれを批判することは許されず、民衆の解放を目指したはずの革命が、かえって民衆を鉄鎖につないだ。中共の今の姿は、まさしくその末路である。名前だけは共産党を名乗っていても、その実は特定の官僚組織に牛耳られている。言論は統制され、権力を批判しようものならば、実刑を言い渡される。そこまで堕落した中共は、外に向かっては帝国主義であり、国内的には独裁である。民衆の怒りは徐々に高まってきており、いつかは爆発するだろう。それは時間の問題である。しかし、その前に日本を含む東アジアを侵略しようとしてきている。二昔前であれば、社会主義国家としての中共を擁護する声もあったが、もはやそれは過去のことである。日本は武力を用いて襲いかかっている中共に対して、国家として身構える勇気を持たなければならない。暴走する帝国主義国家の侵略を阻止しなくては、日本の存亡にもかかわるからだ。
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