安保関連法案が早ければ今夜にも採決されるようだ。昨日の参議院平和安全法制特別委員会の公聴会が昨日行われたが、薄ら笑いを浮かべて自分たちの正しさを主張する浜田邦夫元最高裁判事と小林節慶応大学教授には、ある種の不気味なものを感じた。二人にとっては現実はどうでもよく、法律の字句の解釈において正しいか、正しくないかが判断材料の全てなのである。平気で「違憲でしょう」と決めつけられるのは、法匪と呼ばれる部類に属し、一般常識とは無縁な世界に生きてきた証拠である。暗記だけが得意なエリートであることを物語っている。それと比べると、やはり法哲学者の尾高朝雄は別格であった。昨日に続き尾高の『国家構造論』からの文章を引用したい。「政治上の目的を盛る法の形式は、本来固定的であり、硬化的であるために、法超越的目的と法内在的目的とが一たび完全に合致し得ても、時と共に静的なる後者が前者のために過去に取り残され、両者の間には大なり小なり疎隔矛盾の関係が生ずる。かかる場合には、徒らに法文の意味に忠実な法の解釈はもはや必ずしも正義の要求には適はず、単に論理的な法の適用は決して司法の任務を充たす所以ではない、と考へられて来るのである。それは、法内在的な司法と法超越的な司法との分離であり、政治の生命を失ひ、従つて形骸と化しつつある法の適用と、新たなる政治の生命を実現するための法の適用との対立である」と書いている。浜田と小林は鬼の首でも取ったように、今回の法律を批判するが、政治の果たすべき役割については一言も述べることができないのである。とくに、浜田はとぼけたような口調で、安倍首相をバッサリと斬り捨てていたが、あくまでもそれは書生論的法律解釈であり、政治のレベルにおいては床屋政談の域を出ないのである。現実を無視してよくぞ得々と語れたものである。
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