鬼怒川の下流である常総市での大洪水をめぐっても、メガソーラーが建設されたことが原因かどうかをめぐって、バトルが繰り返されている。ネットでの問題提起に関しては、センセーショナル過ぎると突っぱねるむきもあるが、民主主義は討論が根本であり、そこで何かが少しでも見えてくればよいのである。保守派の牙城であったネットが最近ではそうではなくなってきた。それでもかろうじて影響力を保っているのは、日本人の多くが冷静な議論を望んでいるからだろう。ありもしないデマを流すとの批判もあるが、間違っていれば即座に反論されるのである。上から目線で解説する似非インテリとはわけが違う。日本では昔から声なき声というものがあった。マスコミが取り上げてくれなくても、「元号法制化」のように人々は無言うちの行動で意思表示をしたのである。ネットの中心も声なき声なのである。スマートモブスについての公文俊平は「最初のうちは、彼らの価値観や行動様式は、既存の組織や個人のそれにくらべると、ばかばかしいとか幼稚だとか取るに足らないといった否定的な評価ばかり、もっぱら受けるかもしれない。しかし、、いずれはその中から、既存の思想や行動の基盤を掘り崩し、それに取って代わるような新しい動きやそれが生み出す新しい秩序が、事前に計画されてというよりは、いつのまにか『創発』されてくるのでないだろうか」(『情報社会学序説 ラストモダンの時代を生きる』)と書いている。ネットの保守派は新たな可能性を秘めており、大衆に根差した声なき声の力こそが日本を救うのだから。
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