日本人は心根が優しいのである。物を食べるのに、武器になりそうなナイフやフォークを用いる人たちとは違う。平和を愛好する点では世界のどの民族にもひけを取らない。日本民族は保田與重郎の『日本の橋』に代表されるような独自の文化を保持してきた。保田は「王者無敵とは権威の絶対専制の声でなく、むしろその宣言がたゞ王の負い目を作るものに過ぎなかったことは、代々の歴史が明らかに示したところである。こんな東洋人は道のやうに自然なものの果に、自然なものの延長として、けだものの作ったような橋しか作れなかった。しかしさういふところにある優雅にして深遠な哲学を今日の人々は考へねばならない」と書いた。天皇がかつてお住まいになられた御所は要塞ではなく、人々の尊皇の心によって守られてきた。そうした日本人の国民性が今の世界に通用するかとなると心もとない。日本人は否応なく国家として身構えるしかないのである。平和安全関連法案を「戦争法案」と批判する人たちがいるが、あらゆる戦争を容認しないのであれば、武器を持つ全ての国家を批判し、まさに日本に襲いかからんとする中共にも、断固抗議すべきだろう。吉本隆明によれば、シモーヌ・ヴェイユは戦争について「相手の国家の労働者や大衆によって、自分の国の労働者や大衆を殺させることだ」と定義した。相手があって戦争が起こるのであり、双方に割って入らなくてはならないのである。一方的に安倍政権を批判するのは、あまりにも子供染みている。ユーラシア大陸から離れた島国である我が国は、平和はあたりまえにように享受してきた。日本浪漫派の保田のこだわり続けた日本は、これから世界が目指すべき理想であろうが、それが実現されるのはまだまだ先のことなのである。
←応援のクリックをお願いいたします。