なりふり構わずに反対しても、安保関連法案は参議院も通過するだろう。民主、共産、社民などの野党は一大汚点を残し、国民を煽った責任はいつか取らされるだろう。60年安保騒動や70年安保騒動のような盛り上がりに欠けるのは、目前に危機が迫っていることを、国民の多くが自覚しているからだろう。目に余るのは反対する政党の戦い方である。NHKも中継してくれたわけだから、ゴールデンタイムに堂々と持論をまくしたてることができたはずだ。採決までの質疑時間は2時間しかなかったとしても、有効に使用する手があったのである。参院平和安全法制委員会を開かせないというのは、国民から顰蹙を買うだけである。どうして気付かないのだろう。女性議員に「セクハラだ」と大声を張り上げさせるにいたっては、言語道断である。国会は国権の最高機関である。当然のごとくそこでの決定は尊重されなくてはならない。憲法9条を守れと言いながら、もう一方では憲法を順守しないのであれば、ダブルスタンダードではないか。民主党などはあくまでもアリバイづくりのパフォーマンスでしかなく、今になってみると国会を取り囲んでいるデモ隊にどう思われるかが、気になって仕方がないのだろう。マスコミが発達しネットでも自由に呼びかけられる時代にあっては、国民の間に本当に反対の意見が多ければ、国会の周辺はもっと大変なことになっていただろう。しかし、現実はそうではない。共産党や社民党を支持する人たちがデモ隊の大半である。60年安保騒動のときは反米ナショナリズムが根本にあった。今はそうではない。『ルイ・ポナパルトのブリュメール18日』でマルクスが「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」と書いている通りで、今回の反対運動は茶番劇でしかないのである。
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