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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

マスコミが煽る安保関連法案の反対運動を甘く見るなかれ!

2015年09月15日 | 政局

政府や自民党は今の事態を甘く見てはいけない。国会を取り囲むデモ隊に対しても、法律にのっとって断固たる処置をとらなくてはならない。機動隊の車にスローガンを掲げられたりするのはぶざまであり、取り返しがつかないことになる。道路にあふれるようなデモは規制しなくてはならない。混乱を阻止するためにはあらゆる手段を講じるべきだろう。日本は議会制民主主義の国家である。その採決が妨げられるようでは、重大な危機を迎えることになる。ようやく自民党も中共の軍事的脅威を口にするようになってきた。それを国民にストレートに語ることが大事なのである。一部に最高裁の砂川判決を否定するような意見があるが、日本の国家の行方を決定するような局面において、法学者田中耕太郎の果たした役割は大きく、そこで政治的な判断が下されたとしても、それは批判されるべきではないだろう。日米安保条約を骨格とする日本の安全保障はそこで方向性が決まったのであり、法の番人を自称して発言をする方が間違いなのである。平和な日本を守るためには、ここ数日が勝負である。反対運動は一時的には盛り上がるとみられており、それを放置することは許されない。70年代とは違って警備も公安も危機感が不足してはいないか。政府や自民党もここまでもめるとは思っていなかっただろう。次世代の党などの野党が賛成に回ったことでようやく展望が拓けつつあるが、油断は大敵である。共産党や民主党を恐れろというのではない。マスコミの偏向報道によってつくられた空気を恐れるのである。取り越し苦労であればよいのだが、あまりにも政府や自民党の対応が生ぬるいように思えてならない。本来は情報戦でもワンサイドゲームであったもよいのに、オンゴールの連続である。最後だけはきちんと締めくくりをすべきだろう。

 

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「政治の生命から離れた法は死せる観念の形骸」と主張した尾高朝雄!

2015年09月15日 | 思想家

平和安全関連法案をめぐって、憲法に違反するかどうかの世論調査があるが、愚問中の愚問でしかない。政治はときとして憲法を突破することもありうるからだ。尾高朝雄の『国家構造論』を読んで、なおさらその思いを深くした。昭和11年に世に出たこの名著は、大日本帝国憲法下にあって、それを絶対視すべきでないことを主張した。いうまでもなく当時の日本は、まだまだ民主化されてはいなかった、女性にも選挙権は与えられていなかったし、農地改革も行われてはいなかった。政治がやるべき懸案があったために、それを踏まえて大胆な問題提起をしたのである。そして今、戦後70年を迎えた我が国は、日本国憲法下にあって安全保障面での充実を余儀なくされている。ベクトルは違っても、政治が憲法を突破することの必要性を教えてくれる主張に、私たちは耳を傾けるべきだろう。「国家の全法秩序は、観念的には根本規範の制約の下に妥当するのであり、実在的には主権的実力によって実定性を発揮するのである。故に、国家の法は全て政治によって内容づけられて居るのであり、一たび政治の生命から離れた法は、忽ちにして死せる観念の形骸と化せざるを得ない」。憲法があって政治が行われるのではなく、日々の務めを果たさなくてはならない政治が優先されなくてはならないのである。さらに、尾高は「政治を克服する法」を定義して「自ら伝統的の政治理念を内容とする法であり、政治の実力によって立つところの法でなければならない」とも書いている。安倍首相はたじろぐことなく決断すべきなのである。

 

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