安保デモ終わってみれば喜劇かな
自由とか民主を口に媚中かな
マスコミに煽られただけ民主党
テレビにて煽りし者が矢面に
シールズは共産の真似ソフトかな
共産の独裁知らぬ無知無学
捕まりし者の狼藉暴かれし
年寄りが昔の夢を反安保
日当をもらったデモは時間まで
戦争を誘発させる花畑
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安保デモ終わってみれば喜劇かな
自由とか民主を口に媚中かな
マスコミに煽られただけ民主党
テレビにて煽りし者が矢面に
シールズは共産の真似ソフトかな
共産の独裁知らぬ無知無学
捕まりし者の狼藉暴かれし
年寄りが昔の夢を反安保
日当をもらったデモは時間まで
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沖縄は日本の故郷ではないか。忘れられた日本がそこにあるのではないか。先祖を祀る信仰もその原型は沖縄にあるのではないか。柳田國男の『海上の道』を読んでその思いを抱いた人も多いはずだ。柳田はまず「アユは後世のアイノカゼも同様に、海岸に向ってまともに吹いてくる風、すなわち数々の渡海の船を安らかに港入りさせ、又はくさぐさの珍らかなる物を、渚に向かって吹き寄せる風のことであった」と書いており、そして、明治30年の三河の伊良子崎での思い出を語ったのである。風の強かった朝などに、椰子の実が流れ着いたのを三度まで見たのだった。さらに、柳田は沖縄に今も残る先祖信仰にも注目した。海の彼方に常世があり、それが周期的にマレビトがやってくるとの折口信夫見方を生むにいたったのである。日本の原型が沖縄には残っているともいわれる。そこからまとまった集団として日本列島に移り住んだのではないだろうか。今、沖縄では日本から独立を主張する人たちまでいる。日本国家によって人権を奪われているとの意見まである。しかし、これに抗して我那覇真子さんのような沖縄の若者が、スイスジュネーブの「沖縄で人権侵害がない」と述べたことは立派であった。大東亜戦争の沖縄戦においては、陸海軍合わせて1900機のカミカゼ特攻が出撃した。戦艦大和が帰りの燃料を積まずに沖縄に向かったのも、日本と日本人を守るためであった。沖縄を失うことは日本を失うことであり、あらゆる犠牲を覚悟しても沖縄を守り抜かなければならないのである。沖縄で頑張る我那覇真子さんのような若者を応援することは、私たち日本人として当然のことではないだろうか。
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