「ネトウヨ」なる言葉は、一方的な決めつけでしかなく、本来であれば一つ一つのテーマについて議論をすべきだろう。一括りして罵倒するのは、既得権益を守りたいマスコミの嫌がらせでしかない。マスコミが持ち上げていたシールズなる学生組織が、共産党系の労組の車を借りていたり、民主青年同盟の影響下にあることを暴露したのは、それこそネットであった。真実を伝えないテレビや新聞を尻目に、堂々たる言論戦を展開したのである。朝日新聞が捏造した「従軍吾慰安婦」の問題にしても、ネットではかなり前から取り上げられており、それがボディブローになったのは確かである。もっとも本質的であるのは、今の若い人たちが情報を手にする機会が多くなったことだ。朝日新聞などが反日的な言説に終始しようとも、そうではない見方が浸透をしてきているのである。好奇心が旺盛な若者であれば、歴史を勉強することで、日本が一方的に断罪されることへ疑問を抱くのは当然の成り行きである。ネットの言論は、そうした若者の意識に支えられている。かつて葦津珍彦は「日本の子どもたちが、教師がいかに非難しようとも、英雄的な戦記文学に心をひかれ、悲壮な戦争映画にあこがれるのは自然である。そして子どもたちは、戦争についても、公式平和論者よりも遥かに豊富で、遥かに正確な知識を有つにいたる」(「右翼ハイ・ティーン」)と書いたが、ようやく戦後70年目にして、ネットの力によって失われた日本を取り戻しつつあるのだと思う。
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