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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(88) 長尾家 1

2024年05月03日 10時38分08秒 | 甲越軍記
 ここ越後の国に一人の英雄が生まれた
軍法を内外に余さず行き渡らせ、数百年の今に至っても、その英名を残す。
名を上杉弾正大弼(だんじょうのだいひつ)輝虎入道謙信と云う。
その先祖は桓武天皇より出でて、村岡五郎良兼の末葉なり
良兼より六世の孫を太郎景明と云う、景明の二男次郎景弘、初めて長尾と改称する。
代々、上杉家の老臣なり、そもそも上杉家と言うの足利鹿苑院殿義満公の時代、上杉民部太夫憲顕の末子、左近将監(さこんしょうげん)憲栄に越後国を賜る
しかし憲栄には出家遁世の志があって伊豆国大石の郷、如意輪寺に閑居した。

これによって越後国内は国中の諸士が蜂起して上杉家を争って奪おうとした。
上杉家の老臣、長尾筑前守高景は大いに驚き、鎌倉の古主上杉左近将監憲栄の兄、上杉安房守憲方の子、龍命丸を越後府内の城に迎えて、上杉民部大夫房方と号して長尾筑前守高景が馳せまわって忠義の士を集めて、逆臣を討ち滅ぼして越後を安定させた。
後に法体して、長尾高景入道魯山と号す。
魯山に二子あって、嫡男を長尾上野介邦景と云い、これは越後三条の領主の祖となり、二男を長尾左衛門佐頼景と云い、これ越後府中長尾謙信の祖である。
頼景の子、信濃守重景は父に先立って死んだ、重景の子、信濃守能景(よしかげ)が祖父の家を継いで武略を天下に振るう。
その子、長尾為景が家を継ぐ、これが謙信の父である。

長尾家は代々、越後守護上杉家の老臣忠功の家であるが、六郎為景の代になって父祖の忠義にいささかも似ず、性質は欲心深く、我意をもっぱら通して上杉家の老臣、石川、千坂、斉藤、中条、加地、柿崎、本庄らを見下して政治を思い通りにしていたが、為景は大身(=勢力が大きい)の上に猛威を振るっていたので誰も是を制することができないでいた。








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